120 茶室での密談
「そういえば、あなた、お伝えしておかないといけないことがありましたわ」
「こんなところでか?」
いったい、なんだろう?
俺はルーミーの髪を撫でながら言った。暗い部屋でもルーミーの白い裸体はよく見えた。
「あなたが帰還する数日前、安産の神様の神殿でお参りをしておりましたの。そこで、お告げを受けましたわ。今日ならきっと子供を授かることになると」
俺はルーミーをもう一度抱き寄せた。
「正妻で子供がいないことを気にしているのなら、心配しなくていい。俺はそんなことでお前を疎んじたりはしない」
セラフィーナの生んだ息子がすくすく育っているのを見て、ルーミーにも焦りがあるのかもしれない。
「心配しているわけではありませんわ。ただ、きっとあなたの子をわたくしも授かるはずと言っているだけです」
ルーミーは笑っていた。そう、不安になっていたりするようではないみたいだが。
「神殿から薬草もいただきましたし」
「あまり、怪しいものは服用するなよ……」
子供のことより、ルーミーのことが気がかりだ。
「大丈夫ですわ。きっと、玉のように美しい赤ん坊が生まれます」
確信したようにルーミーは言った。
「あなたと王家の血を引く赤ん坊が」
その言葉が妙に頭に残った。
ルーミーの娘なら、それは王であるハッセの甥か姪か。
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そして、しばらく後。俺が政務に追われつつも、軍事動員の大規模な計画を立てていた頃のこと。
俺はルーミーにこう打ち明けれた。
「本当に懐妊したようですわ。つわりというのでしょうか。そういった兆候が最近ありますの……」
「本当か? 気にしすぎで勘違いしたりしているわけではないんだよな?」
「あなた、これは殿方にはわからないかもしれませんが、間違いありませんから。わたくしを信じてくださいませ」
俺はルーミーを抱きとめて心の底から喜んだ。
それと同時に、一つの策を思いついた。
まだ不安定なうえに、危険も多い手だが、策は策だ。
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俺はヤーンハーンのところを訪れた。
名目は茶式を行うため。無論、そちらも作法に則って、丁寧に行う。俺の茶式の腕もそれなりに上がってきたと思う。
ヤーンハーンは俺にとっての一種の政治顧問だ。とはいえ、いくつもの方策を提示するようなことはしない。俺が、ヤーンハーンに話し、結局は俺自身が決める。ヤーンハーンは賢者のように、それとなくほのめかす。
商人も将も、本質的に運否天賦の部分を避けられない。
どれだけ計画をしても完璧ということはない。圧勝のつもりが、流れ矢で死ぬこともある。積み荷でいっぱいの船が沈んで、途端に多額の借金を抱えることもある。
だからこそ、商人出身のヤーンハーンと話をしていると、自然と腹が据わる。
俺は茶式で出た茶を静かに飲む。腹の中に茶が流れていくのをたしかに感じる。
「美味いな」
「それはどうも」
ヤーンハーンは目を細めて笑った。
「戦争で使う街道の選択ででも悩んでいるのでしょうか~? 今、考えごとをしているとなると、それぐらいしか思い当たりませんが~」
間延びした声でヤーンハーンは言う。わざわざそんなことを出すということは、それが理由だとは思ってないということだろう。
「ここで話すことは密談だと考えていいな?」
「言うまでもなく。商人は信用が第一ですし。茶式での言葉は外に漏らすのは禁じられていますので」
少しばかり、俺は間を開ける。
音を殺して、間者がいないか、動きを探るのだ。できうる限り、慎重になったほうがいい。
「陛下が次の遠征では総大将として戦いたいとおっしゃっている」
「そのようですねえ。古来、王とは兵を率いる者。それも道理かと」
ヤーンハーンの目がもう少し大きく開く。
「だとしても、陛下に優秀な軍師がいないのであれば、作戦立案は摂政がなさればよろしいかと。それで、これといって不便なことはないはずです。今の摂政に大切なのは、負けないことではないですか? 何をするにしても、まずは天下を一つにしてからのはずですよ」
これは俺が国の簒奪を前提にしている発言だ。
「それなんだが、たとえば、あくまでもたとえばの話だが――」
俺はじぃっとヤーンハーンの瞳を見据えた。
「陛下が戦死しても、こちらが戦で勝てる見込みというのはどれぐらいあるだろう?」
ヤーンハーンが唾を飲んだのがわかった。
一呼吸置かないといけないような質問だったからだろう。
俺はこう聞いたわけだ。
王をこの戦で除き、かつ、戦で勝つことはできないだろうかと?
もしも、その策が成功すれば、俺は完全にサーウィル王国を牛耳ることになる。王は誰になろうと間違いなく幼年であり、王国統一の立役者は健在とあらば、もう、それは必ずそうなる。
「私は戦争の専門家ではありませんので、細かなことまではわかりません。だとしても、危険が大きすぎます。それで勝てればよいですが、もし前王の勢力に追われるようなことにでもなれば……」
やはり、前王の支配が正しかったのではないか、そう多くの者が考えることになるかもしれない。それほどまでにこの手は恐ろしい。
次々に味方が前王のほうに寝返ったら、摂政である自分も終わる。
「しかし、首尾よく運べば、俺の権力はさらに強くなる。いや、もっとはっきり言おう。俺より偉い者は国でいなくなる」
当然、王は俺ではない者が継いでいるだろう。
だとしても、それは死んだハッセのまだ幼い子供だ。何もできはしない。その母方の親にも力はない。
となれば、俺が国のすべてを差配するしかない。もし、俺がいなければ王国は大混乱に陥る。そんなことは誰も望まない。王国がせっかく一つに治まったのだ。戦争に倦んでいる者たちは、それを維持しようと思う。
それと、もう一つ、大きな切り札があった。
むしろ、それがなければ、こんな話を真面目に考えることもなかっただろう。
「ルーミーが懐妊した。俺の血と王家の血を引く子供が生まれる」




