102 シンゲンの力を持つ女
俺たちが兵を引き返して進んでいくうちに、続報が次々に入ってきた。
アルティアの夫であるブランド・ナーハムはマウスト城のほうに接近して、こちら側の領主と交戦中であるとか、裏切った財務官僚のファンネリアが自分の側の数を増やそうと調略に動き回っているとかいった情報だ。
少なくとも報告が来る限りでは、敵もまだまだ状況が整っていないし、すぐにこちらを席巻するというほどの力はないようだ。
「もし、蜂起して失敗したら家の存続もままなりませんからね。情勢がはっきりしてくるまでは大半の領主は日和見を決め込むと思います」
移動中、ケララが落ち着いた口調で説明した。
「これがかつての領主間の争いであれば、裏切りは日常茶飯事でしたし、たいていの場合、頭を下げれば許されていました。しかし、摂政様は裏切った者に関しては容赦をしておりません。領主たちもそれが恐ろしいのでしょう」
「当たり前だ。俺は私兵ではなくあくまでも王国の軍隊を指揮しているんだ。陛下に弓を引いた賊軍にはそれ相応の報いを受けさせる、それだけのことだ。俺の勝手なルールを運用するわけにはいかない」
最初から敵対している者には降伏の機会は与えてきたが、味方としてありながら裏切った者は許すことはしない。
「それと、ファンネリアはどうしてこのタイミングで動いたんだ? たしかに最近はあまり重用していなかったが」
「王都に入って以来、摂政様が商人出身の者を利用することも多くなったので、居心地が悪くなったのでしょう。ラッパも結局は摂政様の直轄になってしまいましたし」
「そういえば、ヤドリギたちも俺がもらってしまったな。しかし、あれを手放すことに同意したのはあいつだぞ。無理矢理奪ったわけでもない」
ケララは少し言葉に迷っていたが、
「先を見通せなかったということは、商人としてその程度の器だったということではないでしょうか」
と言った。
「まったくだ。そして、逆らってはならない人間に対して牙をむいた点も最悪だな」
途中、もっと邪魔が入るかと思ったが、ケララの言う日和見を決め込んでいるというのは本当らしく、領主たちは大半が俺に好意的なだけでなく、こちらを丁重に扱おうとした。うかつなことをここでやる意味はまったくない。正しい対応だ。
おかげでほぼ戦いもなく、ネイヴル郡のほうに近づくことができた。まだマウスト城もシヴィークの指揮のもと、落ちずにしのげている。
オルビア県の領主、ブランド・ナーハムは本来なら完全にオルビア県を制圧したうえで、余裕があればマウスト城さえ接収するつもりだっただろう。しかし、抵抗する勢力が多く、手を焼いているうちに好機を逸した。
というより、好機など最初からなかった。敵に備えられてしまっているなら奇襲は価値を持たない。俺のことが気に入らなかろうと勝てるかどうかわからない戦いに乗ってはいけなかった。
ブランド・ナーハムはフォードネリア県の北部でとりあえず防御を試みることに決めたようだ。
背後から攻められるとややこしいことになりそうな手だが、後背を突くことは去就を決めかねている領主たちにはできないから、そこは問題なかったらしい。
ブランドの最大の弱点は野望がありすぎて、それ相応の力も持っていたことだろう。何県も領有するだけの英雄になりたいという意識がどこかにあった。
だが、俺が摂政となって、新しい政治秩序を作ってしまえば、同じように服属している周辺領主を滅ぼすわけにはいかなくなる。気概のある青年領主だからこそ息苦しかったというわけだ。
しかし、お前のやったことは失敗だ。
俺は味方したいという者たちの兵を糾合し、ひとまず一万五千でブランドに対峙した。
一方で、ブランド側はエイルズの援軍もあるだろうに、七千ほどだった。
――浅井長政はやはり何重にも運が悪かった。しかし、武士として兵を出してしまった以上は責任はとらねばならない。
オダノブナガもそういう事例はたくさん見てきたんだな。俺もだいたいわかる。せめて俺より十年ほど早く生まれてきてたら、もう少し立場も変わっただろうに。
おそらく、ここで勝つことはブランドも考えてはいない。エイルズと合同して、ネイヴル郡で迎え撃つつもりだ。
だからこそ、ここでは使える戦力を試す場にさせてもらう。
俺はタルシャを決戦前の宿所――といっても小さな小屋みたいなものだ――に呼び出した。
「本当に護衛もいないのか。もし、我がお前を殺そうとしたらどうするつもりか」
「その時は俺も剣を抜くし、だいたい敵側につくつもりなどないと言ったのはお前だ。味方の
言葉を信じられるかどうかは俺が決める」
つまらないことのように俺は言った。
「はぁ……。我が夫もその程度の気骨があれば、死なずにすんだだろうに」
「男に飢えているなら、相手をするが」
戦場では卑猥な冗談はよくあることだ。殺し合いをした仲だから、今更、気をつかう間柄でもない。
「気が昂ぶっていたとしても、それは戦場で静める」
「前線に立つなら兵を貸してやるが、平原だから策を立てて攻めるのは難しいぞ」
「必要ない」
きっぱりとタルシャは言った。
「我が指揮をすれば、あっさりと敵を討ち破ることができる。敵軍を徹底的にのしてやろう」
まったく、強気な女だ。もしかすると、これも職業のせいか? いや、逆だな。シンゲンみたいな性格だったから、そういう職業になったのだ。職業はその人間の人格に由来するものだ。
二千の兵を率いたタルシャは本当に縦横無尽の活躍を見せて、ブランド側の前線の兵を叩きつぶした。
敵はもとから指揮が上がってなかったせいもあるだろうが、あっという間に敗走していった。
――やはり、女とはいえ、シンゲンを職業に持つ者だな。この程度の敵では簡単に倒してしまうか。
オダノブナガも好敵手とまみえたような調子だった。気持ちはわかる。大物の気持ちは大物しかわからないだろうしな。
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