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(どんな人間とも、か)

 解散後、オマールは先程の会議を振り返る。

 僅か一か月しか参加していないオマールでさえ見える先の無さに、とうとう中核からの説明があった。情報を小出しにしていた点では不信感が拭えないが、それは仕方のないことだと納得する。

 中央と繋がりがあるなど、無暗やたらと口にしていいものではない。

(幹部は信頼に値すると見なされたわけか)

 新参者であるオマールがそこに含まれていたのは、幹部と言う名目だからだろう。武力に関しては解放軍で一、二を争うオマールをそれだけ頼りにしていると言う証拠だ。

 日の浅い自分をそこまで信じて良いのかと不安になる一方、信頼を寄せられていることに自尊心が膨らむ。

 幹部でない仲間には悪いが、差異をつけられたことで特別感を得る。これも見越しての会議だったのだろうと思う。


 心中でほくそ笑みながら、獲物の手入れに励んでいたオマールの傍を女性が通りかかる。


「あら?」


 ふわりと人を和ませる雰囲気のある彼女を見たオマールは、ぴたりと動きを止めた。


「…クロエ殿」

「オマールさんですね、こんにちは」

「ああ、こんにちは。何をしている」


 どこか鋭い声は大抵の者を怯ませるが、彼女は例外だった。こうしてのほほんとした笑みで見せてくるのは、布と針。


「折角時間が空いたので、止まっていた刺繍でもしようかなぁと思いました」

「ほう」

「オマールさんの邪魔にならなければ、お隣失礼してもいいですか?」

「邪魔ではない」

「ありがとうございます」


 すとんと座った拍子に、女性特有の甘い香りがする。その存在がオマールとは触れるか触れない彼の場所で、早速チクチクと針を通し始めた。

 オマールは獲物の手入れ中、口を開かない。彼女もそれを知っているようで喋らなかった。

 沈黙が下りるが、決して悪いものではないなとオマールはどこか口元を緩める。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 オマールが彼女に出逢ったのは解放された直後のことだった。

 当時の主は『誓約』によってオマールを操り、解放軍と意に沿わぬ戦いを強いられる。解放軍としては奴隷を傷つけたくないのだが、オマールの強さを前にそうも言っていられなくなる。精鋭たちが決死の覚悟でオマールの足止めをして、その間に主を拘束することができた。

 オマールに下った命令が撤回された時には、精鋭たちを含めオマールは浅くない傷を負っていた。いくら命令とはいえ、同胞を傷つけたことに強い罪悪感を抱いたオマールは駆けつけた治療部隊の手を払う。


 このまま死なせてくれ


 暗い瞳でそう言ったオマールに手をこまねいていた治療部隊の面々だったが、とある女性が真っ直ぐオマールの前にやってきて。


――――――パァン


 傷だらけの頬を、容赦なくひっ叩いた。

 罪悪から驚愕に変わったオマールの眼が捉えたのは、口を一文字に結んで真っ直ぐオマールを見る女性。

 

 生きてください。生きる権利があるのですから


 死を望んだオマールにそう言った彼女は、淡々と治療を開始する。その手を振り払うことなど忘れ、オマールはなされるがままになっていた。ようやく応急処置を終えた彼女は再びオマールを見上げて、力強い視線をやる。


 生きたいと望んだ人が沢山いました。けれど生きられなかった人だっています。あなたはまだ生きている。生きて、まだここにいます。それを無駄にすることは許しません。誰もが許しても、私が許しません


 傲慢だ


 そうおっしゃっていただいても結構です。それでも、勝手に死んだら絶対許しませんから


 言いたいことだけ言って立ち去る後姿を睨む。

 何と勝手な女だろうと腹を立てた。だがその時、死という選択肢を放り投げた。初対面の女に死んだら許さないと強い瞳で言われ、オマールは罪悪から驚愕に、そして憤怒に感情を支配された。

 何も知らないくせにと、オマールは口汚く罵った。その背が止まり、半身だけ振り向き、不敵に笑う。


 だったら教えてくださいな


 笑う、その笑みにオマールは釘付けになった。傲慢で、なのに受け入れる器のある女に、心惹かれた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その傲慢な女は、こうしてのんびりと針仕事に精を出している。

(凛々しい姿も、のほほんとした姿も、どちらも彼女か)

 だが芯の強い女性だと知っているオマールは、そのどちらにも好感を抱いていた。奴隷に落とされてから久しく抱く感情だった。


チクチク、ポンポン、チクチク、ポンポン…。


 手入れの音と、針の音が聞こえてきそうなほど、二人は黙々と作業に徹する。

 それをどちらも居心地が悪いとは思わず、どちらも穏やかな顔をしていた。

 しかしオマールの手入れが終わったことで、その静かな雰囲気にも終わりを告げる。

 きちんと手入れ道具を所定の位置に戻して獲物を収めてからオマールは、少しだけ開いた距離を埋めるように、体重を傾ける。


「あら?」


 針が止まり、代わりに彼女ののんびりとした声が聞こえる。それを心地よく思いながら、オマールは穏やかな表情で瞼を降ろす。


「休憩だ」

「私はまだ仕事が終わってませんよ」

「俺は終わりだ。付き合え」

「まあ、何て自分勝手でしょう」

「あなたも似たようなものだろう」

「否定できませんから、背中なら貸しますよ」

「十分だ」


 オマールはその小さな背に、押し潰さないように気を付けて体重を乗せる。そうすれば彼女もゆっくりと、重心を後ろにずらす。

 体格の良いオマールは自然と彼女の力に合わせるのことになるが、それが面倒だとか苦だとは思わなかった。むしろ、小さな背から感じる体温に癒される。

(奴隷の頃は考えつかないほど、穏やかな時の流れだ)

 自由を縛るものもなく、現状に絶望を抱くこともなく…好意を抱く者を傍に感じる。

 こんな些細な、だが心を和ませる時間が訪れるなんて。そしてまた、これが当たり前なのだ。当たり前でなければ、ならない。


 人らしく生きる権利。自由を謳歌し、他者からの絶対的な従属に怯えることなく生きていく。


(解放軍が掲げる目的)

 まだ、それはどこか夢物語なのではないかと思う心がある。例え中央に味方の貴族がいても成し遂げるのは容易ではない。悪の根は最高権力を持つ王族にまで蔓延っていて、それをどう覆すかは指示されなかった。

 それでも、とリーダーの言葉を思い出す。再び、あの生活に戻るわけにはいかない。

 一つの命を、オマールは背中越しに感じる。オマールよりもずっと小さく華奢な身体の持ち主が不当に扱われ、その尊厳を踏みにじられるようなことがあってはならない。


(そんな未来など、認められない)


 だったら、とオマールは思う。

 だったら、そんな未来にしないために、僅かな希望でも賭ける価値はある、と。

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