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花祭りを明日に控えた湖は、日中は明日の準備の為に集まった人と、その様子を見に来た観光客で溢れ、混雑をしていたが、日が傾くと、人もまばらになり、それまで湖の隅々まで、人混みで通り抜けられる道を見つけきれなかった風が、ようやく見つけた道に喜び勇んで走り、それはマリーのところにもすごい勢いで通り過ぎた。
「あぁ…いい風」
「マリーちゃん、そっちはもう片付いたかい?」
「アドニスさん!もう少しです!」
額に光っていた汗をふき取り、バケツを片付け始めていたが、足元に萎れたスノーフレークの白い花を見つけて、手を止めると「あの時、全部拾えなかったんだ。ごめんね。」と手に取り、そっとスノーフレークの白い花に口付けた。
*****
花祭りの前日…湖にいた。
ううん…本当は、ラファエルとはこの湖で、また会いたくて、この一年、私は毎日この湖に訪れていた。
この日アドニスさんが湖岸に、花屋を出店していると聞いた私は、店はもうずいぶん前にやめてはいたが、どうしてるかなぁ。と、こっそりと覗きに来たんだったんだけど、店内は、明日の為にブーケやコサージュの準備であたふたとしていて、今日は帰ったほうがいいかなぁ。と一歩足を引いた時だ。
アドニスさんと目が合った。その時のアドニスの顔は、真っ暗な道で見つけた明かりに、必死に縋りつく迷子のようで…手伝って欲しい…でも…無理だよなぁと葛藤する心が、なんとも言えない顔にさせていた。アドニスの葛藤を感じ取った私はクスリと笑い
「アドニスさん、久しぶりにブーケやコサージュを作らせてもらえます?」
どれくらいたっただろうか。
ブーケはこれぐらいかなぁ…と、ふう~と息を吐き首を回しながら、次はコサージュを…と手にとった花を次々とコサージュにするべく、ワイヤーを掛けていた手が……止まってしまった。
花自体がこんもりと丸く淡いピンクのスカビオサと、花色は白く先端のみに緑色があるスノーフレーク。
それは…
一年前の花祭りの日に、ラファエルが買ってくれた、あのピンクとホワイトのガラスの花の髪飾りが、生花という形で私の手で甦っていたからだった。
あの花の髪飾りは淡いピンクのスカビオサと、花色は白く先端のみに緑色があるスノーフレークを模して作られていたなぁ・・あの髪飾りは今・・
私の目は湖へと行き…項垂れた。
(あんな事があったとはいえ、湖に落とすなんて…)
手を止めたまま、ぼんやりとする私に、アドニスさんが心配そうに声をかけた。
「マリーちゃん、大丈夫かい?」
「ご、ごめんなさい、ぼっとしてて」
にっこり笑うと、花にテープを巻き、コサージュを仕上げようと急いで手を動かしたら…
「なぜ、あなたがこんなことを?」
突然、その手を止めるような声が聞こえた。
「アルバーニ公爵様…?」
「あなたは貴族なのです。それも今をときめくベルトワーズ伯爵の妹君。こんな下世話な者の仕事を手伝うなんて…。」
アルバーニ公爵は私の手から、スカビオサとスノーフレークのコサージュを奪うと地面に投げ捨てた。
それはまるで、ラファエルを思う私の心を、否定されたように見え、悲しくて、苦しくて…。
地面に投げつけられたコサージュを手に取り、胸に抱き…
「数年ほど前まで、私の家は飢え死にするかもしれない程、追い詰められておりました。そんな私が、今こうして生きていられるのは…アドニスさんのおかげです。」
と言ってゆっくりと立ち上がると
「貴族と名ばかりで、痩せてみすぼらしい私に出来る仕事などなくて、どこに行っても、邪険に扱われ、不安で涙が零れる中、その日最後に訪ねた店で(明日からでもおいで)と言って雇ってくださったのが、アドニスさんの花屋さんでした。花屋さんだけの給金で暮らしていけないと知ると、今度は知人の店も紹介して下さった。…今をときめくベルトワーズ伯爵ですって…笑わせないで下さい。あの時、アドニスさんが助けて下さったから、今の我が家があるんです。その優しさに恩返しできる事が少しでもできるなら、そしてそれが花屋のお手伝いであるのなら、これぐらい当たり前の事です。」
私の強い視線に、アルバーニ公爵は大きく溜め息をつくと
「数年前まではそうだったでしょう。だが、今のあなたは違う。その頃とは違うことをわかっていない。自分の価値をわかっていないから、あの王子があなたの気持ちを利用し、弄んでいるのです。それをわかっておいでか?」
「…アルバーニ伯爵様…あなた様はなにが仰りたいのですか?私の価値?それってなんですの?」
「マリー嬢、あなたがどんなに慕っても、あの王子の寵妃として扱われるのが関の山です。王家には愛のある婚姻などありません、すべては国の為、自分の権力を増大させる為しかない。あなたは美しく、そして聡明な方だ。寵妃など…体で王家の人間を慰めるだけの玩具になってはならない。わかっていますか?あの王子の側にいることになっても、王宮という名の籠の中で、寂しい気持ちを抱えてひとり、あの王子を待つだけのつまらない日陰の人生です。私なら、あなたを妻として迎え、この国の表舞台で、あなたのその優しく、そして聡明な知力を存分に発揮できる場所を提供できます。」
「でも…」
「えっ?」
「でも、あなたの妻になっても…私は幸せではないわ。だって…そこには愛がないもの。」
「わ、私は、あなたを愛しています!」
「いいえ…あなたのお話を聞いて、はっきりとわかりました。あなたは、私を愛してはおられません、あなたが仰る私は、それこそ玩具。私は今をときめくベルトワーズ伯爵の妹ですものね。あなたの権力を増大させ、自尊心を満足させる為にふさわしい玩具だわ。」
「マリー嬢!」
「あの人は…私を寵妃という名の玩具にしたくないから、頑張ってくれているんです。それは簡単な事ではない事は、アルバーニ伯爵もおわかりになるでしょう。だから私は、頑張っているあの人に、これ以上無理をさせたくないから…ただ待つと言っています。何年でも…たとえ、二度と会えなくても待つと…」
「…待つのですか…?王子が他の女性と結婚してもですか?!」
「ただ私は……あの人を愛しているんです。」
そう言って、私は微笑んだ。
*****
萎れたスノーフレークを握り締めた私の背中に
「今日はありがとう。助かったよ。マリーちゃん。」とアドニスが声をかけた。
「こちらこそ、久しぶりにお花に触れられて、楽しかったです。」
そう言って微笑む私にアドニスさんは、スカビオサとスノーフレークのコサージュを差し出し、
「お礼と言っても、作ってもらったコサージュを渡すのは、変なんだけど…なんだかこの花に、思い入れがあるみたいだから…貰ってくれ。」
「アドニスさん…」
アドニスは照れくさそうに、鼻の下を擦ると
「俺は感動したよ。アルバーニ公爵様に、マリーちゃんが(ただ…愛してるんです。)と言って、微笑んだとき、もう、電気がビリビリ走ったよ。それにしてもアルバーニ公爵様も哀れだよなぁ。誰もが知っている愛と言うのを知らないんだからなぁ。結局、マリーちゃんの言葉に項垂れて…。マリーちゃん、俺にはマリーちゃんとあの方の事情ってやつはわからないが、ただ一年前のあの事件の時…雲の上の方もこんなに切ない顔で、恋をするんだなぁと思った。」
「…アドニスさん…」
「身分がどうあれ、同じ男なら、あの目は本気だとわかるよ。」
そう言ったアドニスさんに、私は頷くと、目尻をそっと拭った。