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その掠れた声は、いつもより低くそして震えていた。
「宿に戻っていいか…?」
一瞬、ラファエルの胸元に置いていた手に力が入った。それは、初めてラファエルの部屋に訪れた時、寝室のわずかな隙間から見えた、寝乱れたシーツが、頭に浮かんだからだった。
(…なぜこんな事を思い出すの。)唇を噛みしめ、ラファエルに気づかれないように微笑んだつもりだったが、口角が上がらず、悲しげな顔のラファエルと目が合い、思わず両手で顔を隠し、ゆっくりと頷いた。私の複雑な思いに気が付いたのだろう。
「…すまない。」
震えるラファエルの声に、何度も頭を横に振り、両腕をラファエルの首に回し
「…連れて行って」
と哀願するように言葉を紡ぐと、ラファエルは私を抱き上げ唇にそっと触れ…歩き出した。
宿は湖から歩いて5~6分のところにあり、そう遠くはなかったが、その道のりが記憶に留まらないほど、近い#理由__わけ__#でもなかった、だが抱き上げられ、ラファエルが歩く度に感じていた軽い振動が止まるまで、私は気がつかず、気がついたときには、ラファエルが借りていた部屋の扉の前だった。
部屋の扉を前にし、私は…
「えぇっ!!…いつの間に?私って…どれだけ緊張してんの。」
と、思わず、心の声を口に出し…ハッとした顔をして、慌てて口を押さえたが、しっかりとラファエルの耳に入ったようで、私を抱き上げていた腕が、小刻みに震え、笑い声を堪えるように
「いつものマリーらしい声が聞けた。」
「ひ、ひどい!こんなときに…!」
と叫んだが、ラファエルの目を見て言葉を失った、 なぜならその目は愛おしそうに…私を見つめていたから。
愛されている。
そう思えた…そう思った瞬間、
体の芯が熱くなり、心はこの人に抱かれたい…と叫んでいた。
溢れてくる熱い思いに私は、ラファエルの首筋に、愛してと誘うように口付け、ラファエルの頬にかかったプラチナの後れ毛を、そっと指で触り、その髪にも唇を落とした。
「…バカ、ここで理性が切れるような事をするな。」
その言葉が…始まりとなった。
*****
広いベットに、横たわっている自分に、私は不思議な気持ちで、両腕で体を抱きしめ、その手をゆっくりと裸の胸へと動かし、手のひらで覆うと、私の小さな手のひらに、大きな手が優しく重なり、 その手を持つ男の声が、私の耳を震わせた。
「恐いのか?」
「ううん、そうじゃないの。初めての時って、きっと不安や恐さや、恥ずかしさでわけがわからなくなると思っていたの。でも本とは…違うのね。」
そう言って、眼を瞑った私の瞼を、ラファエルの唇が触れ、私は小さな笑い声を上げながら
「恥ずかしい気持ちはあるの…胸だってないし…それをあなたに見られるのは、やっぱり恥ずかしい。でも…それ以上に…」
「それ以上に?」
「あなたが…欲しいの。」
縋るように伸ばした私の手はプラチナの髪に触れ…その髪を結ぶ皮の紐をほどくと、それはまるで光をその一本一本に閉じ込めたかのように、私の目の前で煌めいて見せ、思わずその光に微笑んだ私に
「…俺も…おまえが欲しい。」と、ラファエルが掠れた声で…耳元で囁いた。
*****
マリーを欲する心が、止められなかった。
まるで飢えたように、俺の唇はマリーの唇を覆うと、甘い声を飲みつくすように奪おうとしたが、マリーの甘い声は、途切れることなく溢れ、その度にマリーの唇を覆い、唇は離れる事がないのではないかと思わせた、だが甘い声が「ラ…ファ…エル」と俺の名を呼んだことに、ようやく満足した餓えた唇は、クスリと笑うと
「 誰にもやらないその甘い吐息さえも、俺の物だ。」
マリーの唇の上で囁き、その唇を味合うように食むと
「見せて…」…と懇願した。
「見せて…?」
「…俺に見せて…おまえの女の顔を…」
マリーを欲する心が…マリーの中にある女の顔を…求める。
俺の飢えた唇が…マリーの中にある女の顔を…引き出そうとして…マリーに口付ける。
だが…
*****
恥ずかしくて、私はそんな事を言うラファエルを恨めしそうに、真っ赤になった顔で見上げ
「…そんなこと…言わないでよ。は、はずかしいじゃない。」と言って、顔を両手で隠した。
クスリとラファエルが笑い
「顔を見せて」
と言って両手を顔から外させると…黙って…私を見つめ、微笑んでいたけど…
青い瞳は…揺れていた。
それはまるで泣いているかのように揺れていた…私は息を飲んだ。
あぁ…ラファエルは…約束が果たせなかった時、私の傷の大きさを考えて…最初から触れあうだけのつもりだったのかも…きっと…そうだ。もうこれ以上触れるつもりはないんだ。
でも…私は…
私は目を、一度瞑ると…
「もう…」と言って、目を開け笑いながら
「まだ迷っているの?」
私の明るい声に、目を見開いたラファエルだったが…小さく笑うと…
「俺ってひどい男だと思ってね。」そう言って、私の唇に口付け
「俺から逃げて欲しいと道を作ったのに…土壇場になって、やっぱりおまえを諦める事ができず、自らその逃げ道をふさぎ、おまえを絡め取った。」
「違うわ。私があなたを失いたくなくて、あなたが作ってくれたその逃げ道に、背を向けたのは私自身の考えよ。」
戸惑い、揺れる、ラファエルの青い瞳を私は見つめて
「愛してるの。約束を頂戴。甘い約束を…この体に頂戴。」
ラファエルが目を瞑って…頭上を仰いだ。
叶うかわからない約束を、私の体に刻み込むのは不安なんだ。
ラファエルの力だけで、どうにかなる問題じゃないから…ただ…運命を委ねるしかないから…
でも…お願い…そう心で呟き、ラファエルの頬に手を伸ばし
「もう、無理なの、あなたを知らない頃に、心も…体も…戻れないわ。触れ合うだけでは嫌。もっと、欲しいの、あなたを…」
ラファエルの青い瞳は大きく見開き、私をじっと見ていたが、大きな手で私の髪を梳くと
「どうして…俺は…」
途中まで口にした言葉を、唇を噛んで押さえると、私を見た。
青い瞳はまだ揺れていたが…でもほんの少し口元には笑みを浮かべ
「あぁ、もっと深く繋がろう。マリー、おまえを愛してる。」
重なりあう体は…心も深く重なり…そして繋がっていった。