3
私は、ラファエル王子がいる華やかな世界を覗きたかった。
確かにラファエル王子が描く、まるで恋愛小説のような世界を覗きたかった。
ほんのちょっと覗きたかっただけで、その舞台に上がりたかったわけではなかった。
でも今私は……それに近い状態にいる。
舞台の袖から、一気に舞台の中央に出されたって感じだ。
落ち着け、マリー。この状況を把握して、そう、把握だ。把握。
私は今…。
身分の高い方々が、お楽しみの為に利用する例のお宿の王子様のあの部屋に…いる。
そして目の前に、凄みのある笑顔を浮かべる王子様…ラファエル王子が…いる。
ゴックン…。
間違いない。やっぱり舞台の中央だ…何でこんなことに…。
事の起こりは数十分前だ。
例のお宿までいったものの、ラファエル王子がいる華やかな世界や、ラファエル王子が描く、まるで恋愛小説のような世界が、見えるものではない。
勢いで出て来たことを後悔しながら
「私、なにをやってんだろう…こんなところまで来て…」と目の前の宿を見上げていた。
現実の世界での生活は、私の両肩に掛かっているわけで、取り敢えずバイトは行かなきゃいけない。
22時から翌朝4時まで居酒屋で皿を洗い、仮眠をとって10時から17時まで花屋で働くこんな生活をやって一年。居酒屋での仕事は肉体的には辛いが、親父さんであるライナスさんが、良い人だからまだ頑張れているが、問題は花屋の店長のアドニスさんだ。とにかくスキンシップと言う、お触りが多い。でもやめる訳にはいかなくて、我慢していたが、だんだんエスカレートする可能性もある、いい加減話をつけなければいけないと思っていたが、どう切り出していいものか、それがまた憂鬱の種で…
そんなことを思いながら、大きな溜め息をついたときだった。後ろから
「あの男とは、話がついたのか?」
「アドニスさんとは、これからよ。…へっ?!」
私は誰と話を?恐る恐る振り返った先には…苦い顔のラファエル王子が…いた。いや…いらっしゃった。
「君と一緒にいた男は、確かケリーと言っていたようだったが…別の男もいるのか…」
ゴックンと音が聞こえていたかもしれない。
唾を飲み取り敢えず笑ってみたが、だが…ラファエル王子はどうやら、それがお気に召さなかったようだった。ピクンと眉が上がり、突然言葉も荒くなって
「ちょっと、来い。」
「えっ?」
「今21時だ。まだ人通りも多い時間に、宿の前で男女が大騒ぎしていたら目立つだろう。」
い…や…大騒ぎしているのは、王子様…あなただけであって、私はまだ「へっ?」と「えっ?」しか言っておりませんが…と言いたかったが、なんだかお怒りのようで恐くて言えない。
「部屋に行くぞ。」
「…ちょっと…ちょっと…」
ちょっと、待った!
だって部屋には今夜のお相手がいるんでしょう…えっ?!ま、まさか…
いくらなんでも…自分でも顔が青くなって行くのがわかった。
ラファエル王子は…ふっ…と溜め息を吐くと、私の頭の上に手を置き
「子供のくせに、碌でもない事考えるな。」と言って、私の髪をくしゃくしゃにして
「…もう帰った」と一言。
もう、帰った…か。なんだか…そう、なんだか嫌だった。
ラファエル王子がいる華やかな世界を、ラファエル王子が描くまるで恋愛小説のような世界を、覗きたかったはずだったのに…覗きたくてここまで来たはずだったのに…そして望みが叶ったはずなのに。
でも垣間見えたその世界が……なぜだが嫌だった。
王子様は物語の世界の人、その人が描く恋の駆け引きを見てときめていた心が…なぜだか今は沈黙している。ドキドキはしてくれない。そんなことを考え、ぼんやりとしていたのだろうか。
…気が付いたら、ここにいた。
この状況にどうしたらいいのかわからず、また私はヘラッと笑ってみたら、ラファエル王子の顔がより恐くなったと思ったのは、どうやら気のせいではなかったようだ。
声は低くなり…青い瞳の色が濃くなっていた。怒っていらっしゃる…うわぁ困った。
「隣の部屋で一緒にいた男、ケリーとはどうなった。いや、それどころか…アドニスってのは?」
ケ、ケリーって誰?あぁ!!お兄ちゃんだ。
アドニス…?って花屋の店長だけど…。まさか、まさか誤解していらっしゃる?
あの時は王子様の秘密を探っていたから、誤魔化すために、愛読書の【夕暮れの恋人達】のヒロインの台詞(参照18ページ)をそのまま使ったんだけど…どうしよう。なにか言わなきゃ…とラファエル王子の顔を見た。
ビビッて乾いた唇を舐め
「あっ…あれはですね。」とようやく開いた口が言葉を無くした。
それは…
恐い顔で問いつめるラファエル王子の背に見える寝室の扉が、完全に閉まっていなくて部屋の中が…乱れたベットが見え、慌てて視線を下げた先には、テーブルに並べられたお酒のビンと…グラスが2つ。
女性といた跡がまだ色濃く残っていたことに…気がついた。
また黙り込んだ私に、ラファエル王子は
「子供のくせにおまえは2人の男とつきあっているのか…それも、こんなところに出入りをして…」
なんで…こんな事を言われなきゃいけないの。
目の前の王子様は、自分のことは棚に上げて、私に説教?ふ、ふざけんな!
夜毎、相手を変えるあなたに…成り行きとはいえ、はしたない女のように言われるなんて…
切れた…。なにかが切れた音がした。
「ケリーは気が弱いけど、優しい人なの。アドニスさんは、ちょっと、スキンシップが激しいけどお金持ち。私の人生には必要な人達なの。そしてなにより私を愛してくれるわ。社交欄で見聞きしておりました有名人のどこぞの王子様みたいに…夜毎相手が変わるより、私のほうがよっぽど、相手に対して誠実よ!!」
もうどうでも良かった。カチンとした頭は、目の前の人が王子様であることを忘れて、言葉遣いさえ粗くなっていた。
「22時には、ライナスさんと会わなければならないから、失礼したいんですが、王・子・様!」
ラファエル王子の顔から、表情が消えた。
立ち上がると…
「男は何人いるんだ。3人か?複数の男と付き合えるのなら、もうひとり増えても、支障はないだろう。」
「ど…どういう意味?」
ラファエル王子は、私の左手をとると
「……こういう意味だ。」
そう言って、王子様の唇は…私の手に軽く触れ、そして私の唇を指で触り…見つめたが…
ゆっくりと背中を向け
「次の男のところにいく時間じゃないのか…」と言った。