35
目が覚めたとき、私は自分の部屋だった。
ベットの周りには、おばあさまが、お兄ちゃんがそして、顔をグシャグシャにして泣くアドニスさんまでいたのに…あの人はいなかった。いないと思った瞬間、私は迷子の子供のように不安になり、不安な心は顔に出たのだろうか…兄が掠れたような声で
「…ラファエル王子は、エフレイン国の使者と明日の事で、打ち合わせをなさっている。」
「明日の事?」
「あぁ、明日、ラファエル王子は王宮に入られ、今回の件について、ロレーヌ国王と話し合いをなされると聞いた。」
「明日……。」
明日…王宮に行かれたら、もう、もう会えない。
もう、二度と……会えない。
肌に残ったわずかに温もりだけでは、一生あの人を思い続けるのには、辛すぎる。
もっと、肌に刻み付けて欲しかった。
一生残る傷跡として残して欲しかった。
もう一夜の夢さえも、叶わないんだ…。
「……マリー」
ぼおっとしていたのだろうか。
おばあさまの声に、ハッとして微笑んだ、大丈夫よと微笑んだつもりだった。
心配かけてはいけない。始めからわかっていたことじゃない。
ううん、私とラファエル王子には始めから何もなかったのだから、終わりと言う言葉さえもない。
おばあさまは黙って、私の頬を撫でると、自分の腕の中に囲い込み
「…涙がね。涙が零れそうよ。」と言って、強く抱きしめられた。
涙?泣くほどの事などなかった。そう、泣くほどの事なんか、何にもなかった。
恋の始まりもなければ…恋の終わりもなかったもの。
ただ、王子様とほんの少し時間が重なっただけ、そう…たったそれだけのこと。だけど、だけど…
「会いたい…。」
言葉にすると、涙は堰を切って零れ…マリーは泣いた。
*****
「ラファエル王子?」
ぼんやりとテラスを見つめるラファエルに、エフレイン国の外相が声をかけた。
「あぁ、すまない。なんだ?」
「いえ、やはり私どもがいる宿のほうには、お泊りにはならないのですか?ここは…ちょっと…」
ラファエルは、苦笑しながら
「明日は、ロレーヌ国の王宮に入るんだ、ここにいるのは今日までの事、わざわざたった一日のために宿を変えるのは、面倒だしなぁ。」
「はぁ…そうではありますが、よろしいのですか?」
「明日の朝までの数時間だ、構わない。あと…数時間…か」
「ロレーヌ国から、帰るのが惜しいようですが、私には、花祭りと、歓楽街くらいしか、思い浮かばないような国で、そうは思わないとですが…。」
「リンネル外相。ロレーヌは、面白い国だぞ。夢が溢れ、俺にもひょっとしたら、掴めるのではないかと思えるほど…心が浮かれた。一生忘れられない夢を見せてもらえたのだ。」
納得できない外相に、ラファエルは、昨日から何度も見つめた自分の手をまた見つめ、この手の中に掴めそうだった夢の欠片を思い出すと…そっと握り締めた。
「…ラファエル王子?」
「でも、夢だ。夢はいつか覚めなければならない。わかってはいる、やらねばならない王家の宿命を…だから明日までは…夢を見させてくれ。頼む。」
そう言って、ラファエルは、テラスへと視線をまた移し…いるはずがない少女を捜した。
もう一度、会いたかったが、会えば辛いだけか、手放した花は可憐で、王宮と言う花壇の中では、その可憐さゆえ、風や雨に煽られ散っていくかもしれない。
花祭りのあの王子のように…
(行くな!人でも妖精でも関係ない。おまえだから…おまえだから愛してるんだ。)
(すべてを捨てても、おまえと一緒にいたいんだ。俺を置いてくな。)
と、はっきりと言えればどんなに良いか…。
だが、まだ俺には自由がない。そう言えること出来ない。
いや、一生できないかもしれない。
いずれ、王太子である兄に王子が生まれれば、俺は臣下に下るつもりだ。だが兄は、先日正妃を娶ったばかり、子はまだできてはいない。第二王子の俺は、兄の子が生まれるまでは、王家の血を継がねばならない宿命がある…まさに種馬だ。もし、兄に子供ができなければ、あるいは王女しか出来なければ…俺は王家から出ることは叶わない。
彼女に、マリーに…
もし、兄である王太子に男の子が生まれれば、俺は臣下に下る。だから、兄に子供ができ、俺が自由になるまで待っててくれないか…と言ったら、彼女はどうするだろうか。
バカなことを…。そんな約束を頷くはずはない。一生叶わないかもしれない約束に、頷くはずはないだろう。
あてのない約束は、偽りと同じだ。
この気持ちに偽りはない。
だから…言えない。
だから…待っててくれとは…言えない。




