26
グラスの中の酒を飲み干し、俺は少し冷静さを取り戻していた。
情けない…あの御伽噺と現実が、一瞬重なったように思えて、こんなに動揺するとは…
俺はグラスを手の中で転がしながら…彼女を待った。
でもなぜだか、不安は消えなくて、化粧室から戻ってきた彼女を見て、ようやく小さく息を吐くことが出来た。そんな俺を彼女は…キョトンとした顔で
「どうしたの?顔色が悪いみたいだけど…」
俺は誤魔化すように微笑むと
「君を待っている間に、踊りの輪を見ていたら、踊れるだろうかと心配になってきたんだ。」
彼女はクスクスと笑うと
「ならば、花の妖精の私が王子様をリードいたしましょう。」
と彼女が小さな手を俺に差し伸べた…その時だった。
俺達を見る奇妙な視線に気が付き…眉が上がった。
殺気…?いや違う。
数人から感じるこの視線はなんだろう。殺意は感じられないが、悪意は感じる。
俺は踊りながら、その男達の位置を確認していた。
出入口にふたり…楽団の近くにひとり、そして湖側にひとり…の計4人か
マズイなぁ…今日は帯刀はしていない。
それに他国に訪れる時は、本来なら十数人の供を連れてくるのだが、今回はロレーヌ国が、わが国に行なった不正を、公にならないようと配慮することで、ロレーヌ国に恩を売るというのが目的だった為に、目立たぬよう供の数を、数人にしてやって来たのだ。
いやそれだけではない……今宵はその数人の供さえも、連れてきてはいない。
今宵は彼女とふたりだけで過ごしたかったのが…仇になるとは…
だが、舐められたものだ。あんな異様な雰囲気を出すような素人に、俺をやれると思われていたとは、悪意は感じても、殺意がないが、だがどっちにしろ…やつらは来る。
どうする…この人出だ、動きようがない。ひとりならどうにでもなるが…
だが彼女がいる。
自分の腕の中で、真剣な顔で踊るマリーに目をやって…こんなときなのに、自然と口元が綻んでいった。ダンスに自信があるような素振りだったが、視線は足元から離れず、必死にステップを踏んでいる。
「彼女は必ず…守る。」と小さく声に出すと俺は…唇をマリーの耳に寄せ…
「…数人に囲まれている。このままステップを踏みながら…出口に行く。ついて来れるか?」
「えっ?」
彼女の顔は、一瞬強張ったが、にっこりと笑うと
「もちろん、この見事なステップでついて行くわ。」
俺の顔も彼女の返答に口元が綻び
「そうだなぁ…その見事なステップなら大丈夫だな。」
こんな時なのに、二人は笑った…その時だ!キラリと光る剣先が見え、ラファエルは、マリーを抱きしめると横に跳んだ、と同時に「マリー!!」と叫ぶ声が、二度ほどマリーの耳に届き、マリーはその声がする方向に目をやり…固まった。それは、自分に向かって走ってくる兄の背後に、剣を振りかざす男が見えたからだった。
ラファエルはそんなマリーに気が付かず、立ち上がるとマリーを自分の後ろにやり
「アデラ!俺から離れるな!」
と言って、切りかかってくる男の剣を避け、その男の横腹を蹴り上げた。だがマリーには、ラファエルの声が耳に届かず、ラファエルから離れると兄の下へ駆け出した。
「アデラ!!」
目の端にマリーが走るのが見え、叫んだラファエルは、切りかかる男の剣先を避け損ない、剣先はラファエルの左腕を掠り、薄っすらと白いシャツに血を滲ませた。
それを見て、ラファエルに剣を向けた男のほうが、まるで自分が切られたかのように…体を震わせ「ヒィ~~」と叫ぶと剣をその場に落とし、腰を抜かしたように座り込み、真っ青な顔でラファエルを見ると、」「ヒィ~~」と叫んだ。
ラファエルは暴漢が落とした剣を拾いながら、
「やはり、俺を殺すつもりではなかったのか…でもどういうつもりだ。」
と吐き捨てると、マリーのほうに向かって走りだそうとしたが、足を二、三歩踏み出して、その体が止まり、ラファエルの顔は徐々に歪んでいった。
マリーはラファエルから離れると、兄の背後にいる男に、穿いていたハイヒールを脱ぐと投げつけ、相手が怯んだ隙に、兄の手を引こうと手を伸ばしたが、だが、マリーの手は横から伸びてきた、知らない男の手に引っ張られ、マリーはその男に捕まってしまった。
男はゆっくりとマリーの手を引くと、もう片方の手をマリーの首に回し、覆面をした口元から、勝ち誇ったような笑い声をあげた。
「とんでもない、花の妖精だな。」
と言いながら、掴んでいたマリーの手を外し、腰からナイフを出すと、マリーの首にあて…
「道を開けてはくれないか。」
と、顔を歪めたラファエルに視線を向けた。
「俺が目的なのだろう。彼女は関係ない!放せ!」
「そうだ、この女は関係ない、だが、ここを出るのには大事な人質。」
そう言いながら、ゆっくりと動き出し、ダンスで賑わっていた舞台下の船着場へと移動して行った。ラファエルも男との距離を縮めようと、一歩づつ足を進めていったが…
「動くな!!」と男は叫ぶと、ナイフを持つ反対の手で、マリーの首を締め上げ、マリーの口から、くぐもった声がもれてきた。
「止めろ!!」
「ならば、大人しくしてもらおうか!」
その男は舞台から下り、マリーを船に乗せ対岸へと渡ろうとしているようだった。対岸から町の中心部へは一直線、そして対岸は、決まっていたわけではなかったが、恋を語らう場所と、誰もが暗黙の了承をしていたせいか、人も少なくひっそりとして、今なら対岸に渡れば、逃げ切れることは可能だった。男は、覆面から見える目を細め…クックッツと笑うと、襲い掛かった3人の男達に、「来い。」と一言いうと、3人を引き連れ、2艘に分かれ乗り込み、数艘をつなぎとめていた舫綱を切ると、対岸へと船を漕ぎ出した。男達を乗せた船以外は、舫い綱を切られたために、ユラリと揺れながら、湖の中心部へと船体を動かし、船はすべて湖岸から離れていった。
舞台の上から、その様子を見たラファエルは、足元に落ちていたガラスの花の髪飾りを拾い上げ
「くそっ!!」
と叫ぶと、躊躇することもなく、舞台から湖に飛びこんでいった。小さな湖とはいえ、対岸まで数百メートルはある、服を着たまま泳ぐのは、並大抵ではない。いや危険だ。だが、ラファエルはそんなことは考えらなかった、冷静な判断など、とうの昔にラファエルにはなかった。
男にナイフを首にあてられながら、乗り込んだ船だったが、マリーは不思議と落ち着いて、周りを見ていた、自分にナイフをあてている男以外は皆、体を震わせ…口々に
「どう…なるんだ、ラファエル王子に怪我をさせて…」
「もし、俺たちだとわかったら…処刑だ。間違いない処刑だ。」
騒ぎ出す男達に
「いい加減にしろ!動き出した計画は止められないんだ!」
「で、でも伯「バカやろう!!名前は言うな!!」」
怯えた男が、マリーの背後でナイフを押し付ける男に言った一言が、男を激昂させ、ナイフをマリーからその男へと向けようとしたときだった、マリーはナイフを持つ手を思い切り噛みつき、親指の付け根辺りを噛み付かれた男は、「ぎゃぁ!!」という叫び声をあげ、マリーを引き離す為に押した。
・・・バシャン!!!!!
マリーは勢いよく湖に落ちていった。
バシャバシャと手を回し、泳ごうとしたが、花の妖精の衣装は、あっと言う間に水を吸い込み…
マリーの体は…湖の中に引きずり込まれるように……消えていった。