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ユベーロ伯爵という男は、小心者の癖に若い頃は、マリーやケントの祖母を手篭めにしようとした破廉恥で、傍若無人な男だったが、国王の妹を妻にしてから、飛ぶ鳥を落とす勢いで、王の側近にまでのし上がってきた。だが、中身は、今も変わらず小心者で、大きなことを言う割には、何にも出来ない、所詮小悪党だった。
その小悪党のユベーロ伯爵が、一世一代の大勝負を仕掛けていた。
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「アデラ殿の孫が、役に立つとは全然思ってはおらん。」
テーブルのウオッカを取ると一気に飲み干し、後ろに控える騎士にそう言うと、ユベーロ伯爵は高らかに笑った。
「ですが、閣下。ベルトワーズ子爵にエフレイン国のラファエル王子を、花祭りの最終日に呼び出すように仰っておいででしたが…。」
「あぁ…あれか、誰かをラファエル王子の暗殺者にせねばならなかったから、あの男を選んだまでよ。意趣返しだ。アデラ殿の件では、先々代ベルトワーズ子爵に、恥をかかされたからなぁ。まぁ…あの時、アデラ殿を手に入れることが出来なかったから今、国王の妹を妻にする事ができたのだがのう。」
「そうでございますよ。エフレイン国との貿易で不正を行い、その件でロレーヌ国に訪れたエフレイン国のラファエル王子を暗殺を目論んだと言うことで、ロレーヌ国王に退位して頂き、まだ幼い王子たちの後見人として、王子たちの義理の叔父である閣下がこの国を治める。」
ユベーロ伯爵は、ニヤリと笑うと
「王子の周りをあのベルトワーズ子爵が、ウロウロしていたという目撃は多くあるし…、後はほんのちょっとあの王子に、切りかかれば良いのだ。まともにやって勝てる相手でもないし、王子が襲われたと言うという事実があればよいのだ。」
「ですが…あのベルトワーズ子爵が、上手くラファエル王子を花祭りに連れて来れるでしょうか?」
「ダメな時は、それなりに考えておる。」
「さすが、閣下!」
「花祭りの最終日は楽しみだ。」
そう言って、またなみなみと注いだウォッカに口をつけた。
*****
マリーは、ケントと家に帰り、いつものように仮眠を取るために、ベッドに横になっていたが、眠れるわけもなく、体を起こしベットに座り込み、ケントの言葉を思い出していた。
【ロレーヌ国より大きな国の第二王子、剣の腕も一流だという噂だ。おまけにあの整った容姿、女の噂も半端じゃない。奇蹟なんだぞ。今、お忍びだからと言っても、俺たちが近づける方じゃないんだ。奇蹟なんだ。】
(奇蹟…ほんとだ。会えるはずもない人だった。)
私はベットから立ち上がると、鏡台の前に立ち、自分の顔を見た。
幼かった顔はいつのまにか女の顔をして、心細そうに瞳が揺らいでいるように見え、そっと手を伸ばし、鏡の中の女性に触れた。
【その夢は現実の世界に傷を残す、悪夢に近いものだろう。それでもなのか?それでも…見たい夢なのか?】
(ひとときの幸せのためなら、私はきっと何度でも選択してしまうだろうな。でも夢から覚めた時、私はどうしているんだろう。)
鏡に映る女性の目元を…頬を…そして唇に…触れながら
【あの王子様が好きになったのか?でも、お話みたいに2人は幸せに暮らしましたとエンドマークはでないぞ。】
(ハッピーエンドにはならない物語のヒロインは…
一夜だけの恋を求める王子様に出会い、このまま王子様の頭から忘れられていく女のお話。
王子様にとっては恋ではなく遊びなのに、そんな王子様に恋をしてしまった女のお話。
舞台の中央に憧れながら、いつも舞台の袖で怯えていた女のお話
そして相手役の王子様は…本当はヒロインと同じように、恋を夢見ていた。
でも初めての知った恋が、結ばれる事ができない恋だった為に、傷つき、その悲しみや寂しさを別の女性に求めようと、迷子の子供のように不安と寂しさを抱えて探していたが、また傷つくのが恐くて踏み込めず、一夜の恋に身を委ねている。弱虫で、 優しくて、子供みたいに寂しがりやで…でも残酷な男。)
最後まで演じられるだろうか?本当の自分を隠して…演じられるだろうか?
でも演じなければ、側にいられない。
マリーは赤い口紅をつけた。幼い顔立ちなのに、赤い唇ひとつで、艶やかな女になったが…、頭を振り、手の甲で拭うと
「似合わない。」と、ひとこと言って眼を伏せた。
*****
ラファエルは、ケントと会った事で心の動揺が抑えられなかった。
【ラファエル王子、しばらく時間を頂戴したい。必ず、すべてをお話に上がります。どうぞそれまでは、マ…アデラには黙っていてください。今、彼女をあなた様が追い詰めると…壊れてしまうでしょう。どうぞ、私を信じて待っていただきたい。】
(遊びなれている顔と、少女のような顔と、相反する印象を持つ彼女にはなにかあると思っていた。だが何よりもショックだったのは、あのケリーと言う男は、知っているのだ。彼女の秘密を…気の弱さそうな男で、彼女の後ろに隠れるようにいた男だったのに…彼女を守ろうと必死な顔だった。)
ラファエルは、あの時のケントの力強い眼を思い出し、唇をきつく噛み、
「あの男は、まっすぐに俺を見て言った。だが…」
俺はマリーが座っていた椅子へと今度は視線を動かし、そして部屋全体を見渡した。
ここには、この部屋には、彼女が笑う顔と…俺が笑う顔が…あった。こんなに笑える時間を得たのは、初めてだった。だがこの幸せを…あの男のように…簡単には…
【アデラを…愛しているのか…?】
【…はい。】
(…簡単には口には出せない。)
花祭りの最終日は…こうやって始まった。