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いいの?
本当にこれで…
伯爵夫人の去って行く背中が、震えていて、寂しそうなのに…
こんなにも、伯爵夫人はラファエル王子が好きなのに…
このままで…
「…このままでいいのですか!」
自分の声が…自分で言った言葉なのに、心のどこかに、突き刺さった。
その痛みに顔を歪めながら、痛む胸を押さえて、伯爵夫人を見ると、伯爵夫人は、私の声に手足を絡め取られたように、立ち止まっていた。
「伯爵家の紋章が入ったハンカチを忘れるなんて、有り得ない。会いたかったのでしょう?ラファエル王子に追いかけてもらいたかったのでしょう?」
「…」
「愛してもいない人を、エフレイン国から、ロレーヌ国まで会い来るものでしょうか?」
私は、一歩そして一歩近づき、イラリア様の手を取り
「震えていらしたわ。握り締めていたこの手が震えていらした。」
イラリア様は、崩れるように座り込み、両手で顔を覆うと、声を殺し涙し、私はその背を撫でながら、後ろのラファエル王子に…
「ラファエル王子、女心は……すべて割り切れるほど強くないんです。複雑なんです。だから、もっとお話されたほうが良いかと…。」
そう言うと、私は笑みを作り
「次はライナスさんと約束があるので、ここで失礼します。」
そうだ。この場に私がいちゃいけない。
私は、壊れてしまいそうなほど震える、伯爵夫人の背を数度また撫でて歩き出した。
(女心はすべて割り切れるほど強くないんです。複雑なんです…か。ロビン様の【愛の名言】は、難解で、いつも注釈を何度も読んでいたけど…この言葉はすんなりと心に入ってくる。女心は複雑…か。)
「…明日」
「えっ?」
小さな声に振り返ると
「……明日も待ってる。」
「ラファエル王子…。」
なぜ、こんな時に、こんなことをラファエル王子が、言うのかわからなくて、困惑する私に、ラファエル王子はただ私を見ていた。
*****
宿の外に出ると、いつものように、黒縁眼鏡に栗色の髪をひとつに纏め、大きく深呼吸をした。まだ、店に行くまでにはずいぶん時間があったが、家に戻る気にはなれず、店の近くまで来たときだった、町の中心部にある塔から20時を知らせる鐘が聞こえてきた。
「22時からなのに…少し早すぎかなぁ。」
と苦笑し、店近くの公園に入るとベンチに座り、膝の上に、ア・ラ・カンパーニュの袋を置き、その袋をそっと触れながら眼を閉じた。
ラファエル王子のスキャンダル、それはロレーヌ国が有利に交渉を持って行ける内容だ。これで子爵家も安泰。
もう、ラファエル王子に会う必要もなくなった。
そのはずなのに…
私は、ラファエル王子のスキャンダルを誰にも、言う気になれない。せっかくチャンスなのに…
でも、伯爵夫人の震えるあの手を見たら、言えないよ。
人を思う心を利用するなんて…最低。
もうラファエル王子には、会ってはいけない。だって私は、ラファエル王子のスキャンダルを探るの為に、会っていたんだもの。
そう、スキャンダルを探る為にだ。でも…
ア・ラ・カンパーニュの袋に、そっと額をつけ
「なのに…どうして、『明日も待ってる。』と言うラファエル王子の言葉に、うなづいちゃったんだろう。」
*****
イラリアを部屋に入れると、イラリアは俺に背を向けたまま
「今更…とお思いなんでしょう?」と言って、ゆっくりを振り向きながら、微かに唇に笑みを浮かべた。
俺はためらいながらも頷くと
「12年前なら、どんなに嬉しかったか。今更、あなたを特別な人だと思うには、体だけの関係が…長すぎた。あなたを抱くのも、他の女性を抱くのも…今はどう違うのかわからなくなってしまっている。」
イラリアは俯き
「…はっきり仰るのね。」そう言って、伯爵家の紋章が入ったハンカチを握り締め、
「でも12年前、ラファエル様と…もし添い遂げようしたら国は、エフレイン国は混乱していたでしょうね。グレゴリオ・バルディーニ伯爵に嫁いで間もない私と、血の繋がりがないとはいえ、甥と叔母。いい晒し者になって… でも、それでも、本当は私はあなたと添い遂げたかった。でもエフレイン国王がお気づきになり、釘を刺されました。」
「父上が、ご存知だと…いつから…」
「初めからです。陛下は、こう仰いました。
5歳下の甥でもある王子を、おまえはどうするつもりかと…。
私の兄でもあるグレゴリオ・バルディーニ伯爵をどうするつもりかと…。
臣下となって、甘んじて今の環境を受け入れてくれるそんな伯爵に、結婚して間もない妻を、ましてや甥に取られたなどと…そんな不名誉なことで傷つけたくない。おまえはわかっているのかそれを利用され、兄を担ぎ出そうと企んでいる貴族に良い話の種になるということを、その事で国に混乱が起きれば…どうするつもりだ。頼む、グレゴリオ・バルディーニ伯爵の弟として、兄を苦しめんでくれ。ラファエルの父としても頼む。息子を混乱の首謀者にはしてくれるな…と」
「知り合って半年たった頃、療養という名目で、国を一年程離れたのは、そんなことがあったからか…。」
「ラファエル様が好きでした。でも…恐かった。どこまでも暗い未来が恐くて…だから私は逃げてしまいました。」
「俺は…そんな思いでいたあなたを療養先まで追いかけ、離れてゆくなと言って…また、暗い世界に戻してしまったんだな。俺のあなたへの思いは、あなたをただ苦しめていただけだったんだ。」
イラリアは、頭を振り
「でも、嬉しかった。離れるつもりで、ラファエル様から逃げたのに…求められている事が、とっても嬉しくて…。でもその事が、国王陛下には堪えられたようでした。国王陛下は、無理に私とラファエル様を引き離せば…ラファエル様は、より熱くなるばかりだと、だから…『すまない。誰にも気づかれないように、そしてゆっくりとラファエル様から離れていってくれ。』と、何度も私のようなものに、すまないと仰られて…。
ラファエル様は年々逞しい男の方におなりなり、多くの女性と浮名を流されるようになって、今が、国王陛下が仰られたときなのかもしれないと…昨日を最後にしようと思って来ました。でも昨日、ラファエル様が、あのお嬢さんの後姿を追うように見られる姿に…胸がざわついたのです。
いつも飄々とされ、どんなに魅力的な女性と一夜を過ごしても、なんの関心も示さなかった方が、あのお嬢さんに関心をもたれている。その事が私を愚かな行為に走らせてしまった。きっと、今日もあのお嬢さんをラファエル様はお誘いになると思い、もしお嬢さんが部屋に入り、ベットであのハンカチを見たら…おふたりの間に、すれ違うなにかを作ることができ、おふたりは結ばれることはないと思ってしまいました。
伯爵家の紋章が入ったハンカチを忘れたのは、ラファエル様に会いたかった、追いかけてもらいたかったという、お嬢さんが言っていた純粋な気持ちだけではありませんでした。…申し訳ありません。」
イラリアの震える手から、伯爵家の紋章が入ったハンカチが落ちていった。




