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二人の逢瀬(?)は、それなりに始まったが…それは、あの宿へと足を運び出して4日目だった。
驚いた顔の美形の王子様が、何度も私を見て
「…僅か4日で…もう手を抜いている。」とようやく、言葉を発した。
私は…ヘラリと笑って
「ほら、よく言うじゃない、毎日肉ばかりを食していたら飽きるから、たまには違うものを食したいと…いつもはお綺麗なご夫人たちといらっしゃる王子様ですもの。だから、たまには変わった女性のほうが良いかと思ったの。」
3日間は、綺麗にお化粧をして、ラファエルに会いに行っていたが、週2日だけとはいえ、アドニスさんのところのバイトが終わって、1時間で化粧や服を着替える事が、無理だと思ったからだったが、どうやらこの姿は、王子様はお気に召されないらしい。だが…今更だ。マリーはずり下がってきた黒縁眼鏡をあげながら、不満そうなラファエルの顔を見て、小さく溜め息をついた。
だがラファエルは、マリーの姿を見て、ムスッとした顔ではいたが、この姿も、気に入らないわけではなかった、ただ…手を抜かれているような感じが、なんだか面白くなかったのだ。
でも、マリーには、そんなラファエルの気持ちがわかるはずもなく、気まずそうに、言い訳を捻りだして言ったのが、これだった。
「…でも、フィリップはこの姿が気に入っていたわ。」
「フィリップ…って伯爵家の次男で、優秀だから嫡男のマーロンから命を狙われて、それで、しばらくリストの避暑地に身を隠している、あの腰抜けか…!」
「まぁ…失礼ね。フィリップは、こんな素朴な君が好きだと言って、この姿がお気に入りだったの。あっ!でも、眩しい太陽の光が差す海の中で、魚と戯れる水着姿の私が、一番と言っていたから、2番目だけどね。」【恋の奴隷・・・参照P871】
ラファエルは、呆れたように
「命を狙われているとわかっていても、海で遊ぶところは腰抜けというより…バカだ。」
「ホント、言うことが辛らつね。」
「ふ~ん、じゃぁ…あの医者はどうなんだ。」
「クラーク?クラークは、キチンとお化粧しているほうが良いって言っていたわ。あぁ、そうだったわ。その時に言われたのよ。あれは雪が降る夜だったわ。年末のパーティから帰った私達は、凍えそうな体を暖める為に、暖炉に火を入れたんだけど、なかなか部屋が暖まらなくて…その時よ。後ろから突然抱きしめられ言われたの。
『いつも綺麗な君だけど、今日の君は、赤いルージュが…たまらなくそそるよ。』って…。
「今でも思い出すわ。二人で見つめた暖炉から薪のはじける音がしていたっけ…。」
【愛しているから壊したい…参照P1014、兄の愛読書R18より】
「…悪かったなぁ。ここには眩しい太陽の光が差す海もないし!第一この部屋には暖炉はない!」
「あら、でも…」
と言って、マリーはテーブルの上を見て、にっこり笑った。
「甘酸っぱいサクランボとアルコール風味の取り合わせが最高の【キルシュトルテ】と、王立農園で育まれたりんごや、バラの花びらで香りづけされたセイロンティー。それも【ティースカッシュ】として飲めるなんて素敵!やっぱり、王子様は…その辺は外さないわね。」
キルシュトルテとティースカッシュは…適当に、なにか軽く用意してくれと言ったら、宿の者が用意してくれてものだ。(その辺は外さないわね。)か。どうやら彼女は、俺が社交欄で書かれているように、女性に対して常にロマンチックに、接しているのだと思っているらしい。
そんな面倒な事するわけはない。一時の快楽のために、いろいろ準備するなど時間の無駄だ。要するに体だけだ、後はなにもいらない。
だが…
今の状況はなんなのだろう?
今日で3日目だ。18時から21時の3時間、俺と彼女は毎日…ただこうやってお茶を飲んでいる。それだけ…だ。
それだけなのに俺は…
ラファエルの目は、キルシュトルテをほお張るマリーの口元へといった。
あの唇が欲しいと…遊びなれた女なら寵妃にと思ったはずだった。だが、二人でいるのに手が出せない。それは、まるで足跡のついていない雪の上を歩きたいが、綺麗過ぎて躊躇するような気分だ。
これはなんなのだろう。
*****
本で読んだ。
遊びなれた男が、女性を口説くために用意するのは…シャンパンと苺。
そして、男は女に言うのだ。
《意外な組み合わせと思っているんだろう?でもほら、イチゴを食べてシャンパンを飲んでごらん、シャンパンの味がひきたって、美味しくなるだろう。食べて飲んでみなければ美味しさが分からない。それは男と女も同じ。触れてそして抱き合わないと、わからないということだ。》
今日で4日目、でもラファエル王子は私をベットへとは誘わない。
そして、シャンパンの変わりにティースカッシュ。
苺の変わりにキルシュトルテ。
…でも…誘われても、それはそれで困る。
子供のような拗ねた話し方をする…ずっと年上の…それも王子様。
なのにすごく可愛いいと思ってしまう。
違う。
…可愛くなんか…ない。絶対ない!おじさんじゃない!夢中にさせて、振ってやるんだ。けちょんけちょんにして…でも…けちょんけちょん…じゃなくて、けちょんぐらいで許してやってもいいかなぁと思ってしまう時がある。
楽しい。一緒にいるとほんとに楽しいんだけど…
でも…
キ~ンコ~ン♪カ~ンコ~ン♪♪
時計台が21時の鐘の音を鳴らし、窓を閉めていた部屋にも、その音は響いて来た。
マリーは考えるのをやめた。いや、もう考えたくなかった。
(タイムリミット)と小さく呟くと、
「行くわ。」とにっこり笑いながら、立ち上がった。
今日も、なにもなかった…いったいこのまま、どうなって行くのだろうか。
(男は何人いるんだ。3人か?複数の男と付き合えるのなら、もうひとり増えても、支障はないだろう。)と言われた時は、娼婦のように扱われるのではないかと、少し恐かったのだが…今の状況は、まるで子ども扱いだ。
「あぁ…下まで送る。」
「いいのに…」
「いや、やはり下まで送る。」
あの鐘がなる度に、毎回繰り返される会話が始まった。
「明日は?」
「あぁ、大丈夫だ。待ってる。」
マリーは頷くと微笑み「またね。」と言って手を上げ、ラファエルも「明日また…」と言って頷いた。
歩き出したマリーは、後ろを振り返らなかった。それは、マリーが初日に決めた事だった。
振り返らない。絶対に振り返らない。
そう、決心させたのは、初めてラファエル王子を訪ねた日の帰り、今日のように「またね。」と手を振って、数十メートル歩き、なにげなく、振り返ってしまった。あの時、振り返らなければ見る事はなかったのに。振り返らなければ、赤い髪を垂らした女性がラファエル王子の腕に、もたれている姿を見る事はなかったのに…。
その女性は、おそらく私が帰った後、21時から来るように言われた女性なのだろう。
「…今宵は赤毛の方なんですね。」
自分だって、次の男のところに行くと思われているんだもの…なにも言えない。
あれから、絶対振り向かないと決めた。今日も…あの腕にもたれる女性がいるのかなぁ。
時折子供のような拗ねた話し方をする可愛いい人で…ずっと年上の人…それも王子様。
このまま話をして、お茶を飲むだけでも…楽しい。ほんとに楽しいんだけど…。
でも…
私の後に王子様は…女性と会う。それがなんだか…とっても嫌だと思ってしまう。
「やっぱり……けちょんけちょんだ。」
*****
「どうなさったのですか?」
いつの間にか、俺の横で長いベールで覆われたトークハットを被った伯爵夫人が立っていた。
「いや、なんでもない。今日は…泊まれるのですか?」
「ごめんなさい。今日も無理ですわ。」
トークハットから、赤い唇と口元の黒子ほくろが見えた。昔、あんなに恋焦がれた唇と同じなのに、今日は赤い唇も口元の黒子よりも…キルシュトルテをほお張るピンク色の口元をもう一度見たかった。
バカなことを…
「いや…いいんです。」
俺はゲートから部屋へと誘うように、伯爵夫人の腰を引き寄せた。
彼女…アデラが帰った後が寂しくて、彼女の変わりに女性を呼ぶようになっていた。
この寂しさはどこから来ているんだろう。
振り返り、走っていく彼女の背中を見た。
彼女は…他の男に会いに行き、そして、俺は…他の女性を腕に抱く。