たむけに黒い涙を
通夜が終わって、俺はやっと、コーヒーを一杯のむゆとりができた。
インスタントコーヒーの粉をマグカップにさらさらと落としながら、俺はなくなったじいちゃんを思った。
じいちゃんは八十八歳で、昨日の朝にこの世を去った。
俺は今十八歳。じいちゃんと同じ長さの時間を過ごそうと思ったら、まだ七〇年はかかるのか。
「俺より若く死んでくるなよ」
死ぬ前のじいちゃんの言葉はそれだった。
「なんて遺言するんだよ。じいちゃん」
俺はコーヒーに熱湯を注いで、一口すすった。
アメリカンの淡い香りが、俺の鼻先をすんとかすめた。
「候ちゃん」
母さんが台所の暖簾を上げた。冷蔵庫から牛乳を取り出し、俺のマグカップにちょっと注いだ。
「元気出していこうね」
母さんはそう言って、俺にラップで包んだおにぎりをすすめた。
俺は頷いてコーヒーを一気に飲み干し、おにぎりをひとつ、ついばんだ。
じいちゃんもコーヒーが好きだった。一日に四杯は飲んで。
「飲みすぎは体を壊すもとよ」と母さんに言われても、
「酒は飲まんのだから、いいじゃないけ」と言い返した。じいちゃんがうまそうにコーヒーを飲むもんだから、俺もコーヒーを飲むようになった。
ばあちゃんを早くに亡くして、じいちゃんは三〇年独り暮らしだった。
俺が五歳のときに、父さんと母さんが離婚して、母さんとじいちゃんと俺の三人暮らしが始まった。
アル中で、俺たちに暴力しか振るわなかった親父よりも、じいちゃんの方がずっと父親らしかった。
じいちゃんが大好きだった。
通夜が過ぎても、一週間が過ぎても、まだ涙があふれてくる。
葬式が終わって、お骨が帰ってきて、じいちゃんは墓の下に埋められた。
俺は母さんと二人、ばあちゃんの墓石の隣に眠るじいちゃんの墓に水をかけた。
「静かね」
春先の墓地は、今日は誰も来ていなかった。
桜の花びらが、何枚か墓石のそばに落ちていた。
風にさらわれてきたんだろう。俺はひとつ摘み上げて、また落とした。
「母さん」
俺は墓から目を離して、母さんの顔を見た。
「じいちゃんにコーヒーあげていい?」
少し間が空いた。
母さんは最初きょとんとして俺の言葉を吟味していた。
そしてちょっとためらいがちだけど、微笑んで「いいよ」と言ってくれた。
俺は墓石に顔を戻して、持ってきたペットボトルのコーヒーのふたをねじった。
キリッとふたの開く音がした。
じいちゃんの好きなブラックの無糖。
「じいちゃん。ゆっくり休んでね」
俺はゆっくり、じいちゃんの墓石にコーヒーをかけた。
罰当たりだとは思わない。
葬式も、墓石も、誰のためのものかって、生きてる家族の、心の整理のためのものだ。
じいちゃんが、して欲しかろうと思うことをすることで、俺が自心の整理をつける。俺はじいちゃんの墓石に、ボトルが空になるまで、最後の一滴まで、黒の涙を流し続けた。