第五話 飛竜襲来
理解が追い付かない突然の発言に茫然としかけた僕だったけど、すぐに自分のバカな思いつきを否定した。
こんな絶世の美女であり一国の姫でもある彼女が、ほとんど関わったことのない凡人の僕の事を好きになるなんて都合のいいことがある訳がない。
ましてや一目惚れなんて論外だ。
そしてなにより、好感度が明らかに不足している。
それだけで人の気持ちを判断するのはどうなのかと自分でも思うが、それでも好感度が12しかない相手から好かられているとはどうしても思えない。
つまりこの発言には裏がある。当り前の話だが。
(クエストの事は一旦頭から消して考えるんだ)
僕は紅茶を一口飲んで冷静さを取り戻すと頭を回転させ始める。
(って、この場合は一つしか可能性はないか)
彼女が僕に好意を寄せているのはあり得ないのだ。
その上で彼女は婚約及び結婚を提案してきた、その理由など普通に考えれば判りきっている。
「それは僕と結婚することで身内に勇者を取り込む為と取っていいですよね?」
その失礼な発言を聞いた目の前の二人の顔はこちらの予想とは違っていた。
こちらとしては怒るか、それとも不快そうな様子になって誤魔化しに来るかと思っていたのだが、何故か目の前の二人は申し訳なさそうに表情を曇らせたのだ。
あるいはこの様子だと誤魔化しても仕方がないと思っていたのかもしれない。
「ご不快な気持ちにさせたなら申し訳ありません。ですが、それが王女である私の役目なのです」
その言葉と表情を見て僕は先程の事を思い出していた。幼馴染で付き合っていることに憧れるというものを。
あれはもしかしたら付き合っているという事自体にも向けられていた言葉だったのかもしれない。
一国の王女ともなれば気軽に恋愛ができるとも思えないし、結婚なども政治が絡むことだろう。
そう、今回のように勇者の弟である僕と婚姻関係を結ぶことで姉である風の勇者との繋がりを強固にする為に。
つまりこれは所謂政略結婚という奴だ。まさかただの高校生だった自分にそんな事が起こり得るとは、全く持って思ってもみなかった事態である。
「申し訳ないですけど、それはお断りさせていただきます」
だけど僕はそうやってすぐに結論を出した。
確かに一国の王女である彼女と結婚すれば様々な面で恩恵を得られるかもしれないし、国や王族に対して太いパイプを得ることができる。
そうなれば今後も色々とやりやすくなるかもしれない。
それに加えてクエストをクリアする上でもユーティリアとは親しい関係になっておいた方が好都合なのもまた事実。
時間制限がないので、婚約してからゆっくりと近付いていくというのも単純な手段としてはなくはないからだ。
あるいは形から入って本当に愛を育むという結婚も中にはあるのかもしれない。別にそれを悪いとは僕も思わない。
(だけど、だからと言って高校生の僕に結婚はまだ早いって)
それにいつになるかはわからないが、僕は仮に死なずに役目を終えたとしても元の世界に帰るつもりでいる。
それを考えればこちらで積極的に恋愛などをする気にはなれなかった。ましてや婚約や結婚など尚更のこと。
「ただ、可能ならそちらとは仲良くしたいとも考えています。ただしそれはあくまで親しい友人としてですが」
そちらに取り込まれるつもりはないと言外に示して僕はそう告げる。
そして例えこれで重要クエストに失敗してペナルティをくらったとしてもこの意思を変えるつもりは毛頭なかった。
無の神がそんな風にこちらの気持ちまで操ろうとする相手ならこれ以上は付き合うつもりはない。
その場合はクエストなど無視し続けるし、最悪はすぐにでも自殺して姉に後の事を託すだけだ。
ただ幸いなことにクエストはまだ失敗にもならず、またペナルティがやってくることもなかったが。
どうやら無の神は暴君という訳ではなく、こちらの意思をある程度は尊重してくれるようで少しだけ安心する。
そうしてその言葉を聞いた目の前の二人の反応と言うと、
「わかりました。突然失礼な事を言ってしまいすみません」
実にあっさりとしたもので、平然とそれを受け入れていた。
いや、その顔にはどこか安堵の色が浮かんでいるようにも見えた。
やはり会ったばかりの男と結婚するというのは、いくら王女と言えど、簡単に受け入れられるものではないのだろう。
そこでよくわからない事も多いまま、話の流れが一区切りした時だった。急に部屋にあったベルが鳴ったのは。
来客を知らせるベルだったのか、レイナさんはこちらに軽く礼をするとその場を去って入り口の方に歩いて行く。
マップで確認したが外にいるのは僕を案内したホロスのようだ。
「これだけ大きな部屋だと出迎えるのも大変そうですね」
「私も私だけならこんな大きな部屋を使う必要はないと思うのですけど、王族としての権威を示す為にも使わざるを得ないみたいです」
そんなある意味どうでもいい話で間も保っていると、出て行ったはずのレイナが少々慌てた様子で部屋に戻って来る。 その背後にはホロスともう一人の護衛の騎士もいた。
「姫様、後方から接近してくる未確認の飛行物体を見張りの騎士が発見したそうです」
「こんな空の上で、ですか?」
僕が咄嗟に口を挟んだのに苛立ったのかホロスが何も言いはしなかったが、その目で黙るように睨んできた。
仕えるべき姫の客人にでき得る最大限の敵意を向けているといった感じである。
「他の飛空艇という可能性はないの?」
「通信を試みましたが応答はなし。更に本部に問い合わせたところ王家が保有しているどの飛空艇もこれ以外は使用されていないとのことです」
ホロスが胸に手を当てて敬礼しながら報告する。当然の事ながら僕に向けるものとは百八十度違う態度だ。
「……勇者の仲間の方々をお連れしている以上、万が一の可能性があってはいけません。ですから急いで迎撃態勢を整えてください。お父様には私からお伝えします」
そのユーティリアの一言で一人の騎士が敬礼した後に駆け足で部屋を出て行った。これだけの船なだけあって対抗手段もあるらしい。
(さてと、こんな空の上で一体何が接近して来ているのかな?)
周りが慌ただしく動き出してこちらに意識を向けていない内に僕はマップを開き範囲を拡張して周辺の様子を見る。
すると確かに後方から接近してくる光点が一つあった。その色は赤色だ。
ただしその絵型は悪魔でも骸骨でもない。言うなれば羽のある蜥蜴、ドラゴンのような形をしていた。
そしてその飛行物体の正体も、
「……飛竜?」
まさかの竜、つまり本当にドラゴンだった。
レベルは203と前に戦った下級魔族より強いどころか、力を解放したメルに匹敵する強さだ。
しかもその飛竜は幼生体と名前の横に掛かれていることからまだ子供だ。それでこのレベルとは成体はどれほどの力を持っているのだろうか。
「この飛空艇はどれくらいの相手までなら対処できますか?」
流石にこれだけの相手だとこの船の迎撃だけでどうにかなるか心配になった僕は忙しそうなレイナさんを呼び止めてそう問い掛けた。こんな空の上で撃墜なんてされては敵わないし、多少のリスクは致し方がないと判断して。
「安心してください。大抵の魔物なら接近も許さずに殲滅できます」
「それが例え竜の幼生体でも?」
「え? それは一体どういう……」
その言葉の先を僕が聞く事はなかった。何故なら失礼します、と叫びながら部屋に飛び込んできた騎士が、
「ひ、飛竜です! 飛竜の幼生体がこの船に接近して来ています!」
という報告をしたからだ。そしてその瞬間に部屋の空気が凍りつく。
「そ、総員戦闘準備を! 船の全兵装を使用する許可は出ています!」
いち早く現実に戻ったのは王家と連絡を取っていたらしいユーティリアだった。その言葉に周りの皆が弾かれたように動き出す。
ただ、そんな中でレイナさんだけは僕に対して何か言いたげな表情を浮かべて躊躇っていたが。そんな彼女の戸惑いを無視して僕は先程の会話の続きを口にする。
「それで、結局のところどうなんですか?」
「ひ、飛竜の、ワイバーンの幼生体ならこの船でも対処は可能なはずです。ただ、他の魔物と違って余裕はありませんが」
「そうですか、それならよかった」
だとすれば僕がでしゃばらないで済みそうでなにようだった。
そこで艦内アナウンスが流れて乗組員は戦闘準備を、それ以外は近くに部屋に入って鍵を掛けて待機するように連絡が入る。
念の為に通信石でポール達にも部屋に集まって動かないように、そしてメルには何かあった時の為に力を解放しておくことを伝えて皆が無事な事も確認した。
当然の事ながら僕も制限を解除しておく。
そうして鍵を掛けられた部屋の中には僕とユーティリアにレイナさん、そしてホロスと飛竜の報告に来た一人の騎士が揃う。
その誰もが緊張している様子で言葉を発しようとしない。
なので、その空気を打開する意味も込めて僕は素朴な疑問を口にしてみた。
「そう言えば飛竜とワイバーンって二つの呼び方があるみたいですけど、それは竜だから特別なんでしょうか?」
ホロスや他の騎士の前だから一応気を使ってより丁寧に質問をすると、
「何を素人みたいなことを言ってるんだ? そんなのゴブリンを小鬼と呼ぶ場合だってあるし、呼び方が幾つかあるとか地方で違うとか当たり前のことだろうが。お前、それで本当に勇者の仲間なのかよ」
「そうですか、ありがとうございます」
帰って来たその答えは明らかにこちらをバカにしたものだった。
今回は飛竜襲撃のせいで取り繕う余裕もないのか言葉使いも荒い。もちろん僕は相手にしなかったが。
もう一人の騎士もホロスと同じような目でこちらをバカにするように見ていたが、残る二人は違っていた。
レイナさんに関しては僕の事を観察するかのように僕の事をジッと見つめており、ユーティリアは何故かおかしそうに笑いを堪えて視線を外していた。
一体何がそんなにおかしかったのだろうか。その笑いの感じだとバカにしている訳ではないようだし。
「準備完了、これより攻撃に移ります。総員、衝撃に備えてください」
その答えを知る前に艦内アナウンスが流れて僕以外は咄嗟に身構える。
その後でも騎士の二人はそのまま立ったままだったが、ユーティリアはレイナさんによって椅子に座らされて固定されていた。万が一の時に飛ばされないようにしたのだろう。
そうしてマップ上の船のある一点に巨大な緑の光点が発生し、次の瞬間にはその巨大な光点から同じぐらいの太さを持った緑色の線が一直線に飛竜へと向かって行った。
窓からその方向に目を向けると船の砲台らしきところからまるでビームでも撃つかのように光線が放たれている。どうやらあれで飛竜を撃墜するようだ。
「これは、すごいな」
その光線の直撃を受けた飛竜のHPは瞬く間に減少していき、たった数秒で半分を切ったのだ。
ただ、飛竜も流石なもので強引に体を捩じりながら力を抜いてまるで落下するように動くことでその光線の斜線からどうにか外れることに成功している。
全身火傷だらけでかなり傷ついているが、それでも生きているのだ。
こちらの第二射か、それとも向こうが接近を果たすのが早いか、そう思われたこの勝負だったが、
「……逃げて行く?」
僕の呟き通り、飛竜は光線を避けた勢いのまま羽ばたくとこちらに背を向けて去って行ってしまった。痛い目を見て割に合わないとでも思ったのだろうか。
「……ったく、一体何が目的だったんだか」
ホロスは明らかにホッとした顔をしながらそうやって憎まれ口を叩いていた。
うっすらと冷や汗を掻いているようだし、この様子だと第二射をすぐに放つのは難しかったのではないだろうか。
(まあ、僕としてもこれが最善の結果だからいいんだけど)
そうやって誰もが安心して息を吐こうとしたが、
「きゃあ!」
そこで放たれた悲鳴がその安堵の息を吐かせてくれなかった。
「姫様!?」
続くレイナさんの悲鳴に僕がそちらに視線を向けると、先程までは確かに高級そうな絨毯らしきものが敷かれていたはずのそこに黒い沼のようなものが現れている。
そして椅子に座っていたはずのユーティリアがそのままの姿勢でドンドンのその沼に呑まれるように沈んで行っていたのだ。
「ぬ、抜けない……!」
必死にもがいて抜け出そうとするユーティリアと引っ張り出そうとするレイナだったが効果はなく、ドンドン沼に呑み込まれていく。
これでそのまま下の部屋に移動するだけ、なんて結果に終わる事はこの状況では期待できないだろう。
「レイナさんは離れて! そのままじゃあなたまで呑み込まれる!」
「できません、そんなこと! 姫様を見捨てるなんて!?」
こちらの助言を無視した結果、レイナさんもその黒い沼に足を取られて引きずり込まれ始めてしまう。
すぐにその場に駆け寄った僕に任せておけばそうならなかったが、こうなってしまった以上は文句を言っても仕方がない。
「捕まって!」
こちらまで沼に足を取られないように注意しながら僕達三人は二人の手を掴んで慎重に引き上げようとする。
だけど沈むのは止まったが、引き上げる事はできなかった。まるで溶接でもされたかのようにビッタリと固まって動かないのだ。
「くそ、どうなってるんだ!」
ホロスが叫ぶが答えがある訳がない。
(こうなったら!)
魔法をこっそり使って沼を消せないかと考えた僕だったけど、その考えはすぐに否定することになる。何故ならこの場合で沼が消えた場合、二人の下半身がどうなるかがわからないからだ。
最悪の場合は下半身が千切れHPが一瞬で零になる可能性だってあり得る。二人を転移させるのも同じ理由で却下だし、そもそもそんな目立つことはできない。
(どうする?)
考えている時間はほとんどない。沈むのが停止したのは良かったが、その代わりにドンドン二人の表情が苦痛に歪み始め、痛みを訴えているからだ。
どうも二人を呑み込もうとしている力は依然として左右し、両方から引っ張られた肉体が悲鳴を上げているらしい。HPもこの時になって初めて減り始めている。
時間がない、そう判断した僕は懐から通信石を取り出すとティアに向けてしばらくの間は警戒を怠らないように手短に伝え、
「二人とも、その沼に沈んだ下半身の感覚はまだある?」
目の前の彼女達に今の体の状況を尋ねる。
「は、はい。まだ動かせます」
「どうもこの沼の先に空間があるみたいで、この感じからするとそこに転移させられようとしているみたいです。前にこれと同じような経験をしたことがあります」
そうやって動転しながらも必死に答えるユーティリアと冷静にこちらの欲しい情報を選んで伝えてくるレイナさんのおかげで僕は答えを出せた。
この沼自体にダメージを与える効果はないようだし、どこかに飛ばされるだけなら問題ない。
「お前、何するつもりだ?」
そんな僕の様子に疑念を感じたのか、ホロスが問い掛けるというよりは詰問してくる。
それに僕は簡潔に答えた。
「僕もこの沼に入って一緒に転移します」
「な、何を言って」
「このままじゃ埒が明かないし、二人の体が持たない。それはあなたも分かっているでしょう?」
「し、しかし……」
まだ迷っているホロスを無視して僕は一歩前に足を踏み出す。
沼に浸かったその足は二人と同じようにドンドン沈んでいった。それこそ本当に底なし沼に足を踏み入れたかのように。
「ティア達に伝えてください。僕なら大丈夫、すぐに戻るって」
そうしてそのまま僕が引っ張るのを止めたことによって沼の力に逆らえなくなり、僕達三人はあっという間にその黒い沼に呑み込まれ意識も暗闇に落ちて行くのだった。