第十八話 神の紋章
目覚めたのはクリッジの方が先だった。
「ぐっ!?」
意識が戻るなり跳ね起きようとして顔を顰めているがそれもそのはず。なにせ僕はあくまで最低限にしか治療を施さなかったので多くの傷はそのまま残っているのである。
そもそも僕とクリッジ達は未だに敵対している間柄なのだ。そんな相手を完治させて邪魔でもされてはたまったものではない。
体の状態からして目覚めても動くのがやっとだろう。ましてや戦闘などもっての外だ。
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
「お前は!」
声を掛けるとハッとした様子で動こうとして、またしても傷の痛みに呻いている。
それを僕は近くにあった岩の上に座りながらのんびり眺めていた。レベルもわかったし、今のクリッジなど恐れるに足らないというのが正直な気持ちであるから。
「そう言えば名乗っていなかったか。俺の名前はコンだ。クリッジ、お前に聞きたいことがある」
「……だから俺達を殺さず、あまつさえ治療を施した。そういう訳か」
クリッジは自分の体が手当てされているのを見てすぐさまこちらの意図を察したようだった。話が早くて何よりである。
「まず聞きたいのは、お前たちが言っていたのはあれの事か?」
僕の指差す方向を見たクリッジは目を見開いていた。何とも分かりやすい反応である。
「何だ、あれは! お前が作り出した……としたらそんなことは聞かないか」
途中まで熱くなっていたクリッジだったが、すぐに冷静になって理解する。そしてその反応で万が一の可能性がなくなったことを僕も悟っていた。
「その反応だとやっぱりそちらでもないか。まあ、そうだと思ってはいたがな」
これであの風の渦をメルが作り出したのは確定したと言っていいだろう。ここに来て誰も知らない第三者が出てくるとは思えないし。
「俺が聞きたいのはあれが何なのか。そしてあれが発生したことによって新たな神託が下ってはいないかということだ」
「要するに情報を寄越せということか」
「治療の代金にしては安いものだろう? それにあの風の渦はどういう仕組みなのか時間が経つほど巨大化していってる。このままのペースで巨大化が続けばいずれはリーバイスも飲み込まれることだろう。それは勇者の仲間であるお前としても避けたいところじゃないか?」
そう言いながら素直に話さなければ多少強引にでも聞き出すしかないと考えていたのだが、その心配は杞憂に終わる。
「……悪いがその期待には答えられそうもないな。何故なら俺にも何が起きているのかさっぱりわからないからだ」
「本当か?」
「信じられないのなら拷問でもするといい。この状態では反撃どころか逃げるのも不可能だろうしな。楽に痛めつけられることだろう。それに俺とて助けられる命なら助けたい。ましてや都市の一つが危機にさらされているのなら、勇者の仲間の端くれとして協力しない訳にはいかないさ。例えそれがいけ好かない妙な格好な自称勇者の仲間が相手でもな」
この状況でも軽口を叩けるのは度胸があると見るべきか。
少なくとも勇者の仲間としての最低限の矜持らしきものは持ち合わせているようだ。その様子からすると嘘は言っていないように思える。
つまり成果はなし、そう思って内心で落胆している時だった。
「……いや、一つだけお前の役に立つ情報があるかもしれない」
何かを思い出したようにクリッジがそう言い出したのは。
「あの時、お前は俺達の攻撃から防ぐためにあの子たちに背を向けていたから気付かなかったかもしれないが俺は確かに見ていた。そうだ、あれは間違いない。間違えようがない」
「一体何があったんだ?」
段々と顔色が悪くなっていくクリッジ。余程ヤバいものを見てしまったらしい。
そうしてクリッジから言われたその言葉は僕にとっても予想外のものだった。
「あの少女は勇者の仲間だ。この状況から考えて恐らくは風の」
「なんだと?」
風の勇者、つまりは僕の姉、紅葉の仲間だというのだから。当の本人である紅葉はこちらの世界にまだ来ていないというのに。
「あの少女の手の甲に浮かんだあれは間違いなく神の紋章だった。しかもあの子の場合は紋章が体に直接浮かび上がっている。つまりあの子は勇者、もしくはその側近として神から選ばれた存在だということだ。俺やミリアのような末端とは違ってな」
そう言ってクリッジは懐から壊れた紫色にコーティングされたネックレスらしきものを取り出した。
「この紋章は雷の神の紋章であると同時に雷の勇者の仲間の証だ。幹部以外のメンバーはこうして幾つかの補助効果の掛けられた物が配られる。もっとも今は壊れてしまって使い物にならなくなってしまったがな」
それでステータスが急に見えるようになったのかと納得する。身分証明をする物にそういった効果を付加しておくとは賢いやり方だ。
そこで僕はミーティアに聞いたこの世界でのそういった紋章や紋様の仕組みについて思い出した。
どうやらこの話だとそれは勇者やその仲間にも適応されるらしい。だとすればメルは相当高位な扱いだということだろう。
(でも僕の体にはそんなものは浮かび上がってないような?)
これまた無の勇者だけ例外なのだろうか。ただそんな疑問を聞ける訳もなく話は次へと進んで行く。
「だが、あの子が風の勇者の仲間だとすれば俺達は信ずる神は違えど魔王と共に戦う同志を始末しようとしていたことになる。そもそも何故、勇者の仲間が世界に混乱を齎すことになるんだ!」
信じられない、あるいは起こってならない事実を前にした所為なのかクリッジは激怒し声を荒げていく。
この二人は魔王討伐の為に行動していたようだしこの事態は想定外、というかあってはならない事態なのだろう。
勇者の仲間、それもかなり高位な存在を知らなかったとは言え消そうとしていたのだ。もしこのまま誰も気付かなかったら笑えない同士討ちになっていたことだろう。
(でもこれでこのクエストを神が出した理由がわかったかも)
僕にメルとオルトを助けるようにクエストが下ったのもメルが紅葉の仲間となる人材だったからと考えればわからなくもない。
僕が死んだ後に活躍する紅葉にとって重要な人物を保護することはなんらおかしいことではないだろう。
少なくとも風の神は紅葉の事を高く買っているようだし、姉が活躍できる場を整えるくらいは考えられる。
問題があるとすれば何故雷の神や勇者が風の勇者の仲間であるメルの事を排除しようとしたかだ。
クリッジの言うとおり魔王を倒す同志ではあるはずだし、わざわざ自らの陣営の戦力を削る意味があるとは思えない。
それとも神同志でも派閥争いのようなことがあるのだろうか。だとしたら魔王という敵を前にして随分と間抜けなことに力を注いでいると言わざるを得ない。
もっとも確定したことは何とも言えないので今はわからないとするしかないのが現状だが。
「さてと、だとすればこれからお前らはどうするつもりだ? これでもまだメル達を狙い続けるか?」
「……上の真意と真実を確かめるまでは止めだ。だが、かと言ってこのままあの少女を放置する訳にはいかない。この事態を引き起こした責任を取る為にも俺達にはあの子を止める義務がある。周囲に被害が及ぶ前にな」
傷だらけでもはや動くこともままならないのにクリッジははっきりと言い切る。
ここで折れなければ色々と面倒だったので、そうならなかったことに僕はホッと息を吐いた。
クリッジ達がメル達を狙わなくなったとのであれば、後はやることは一つだけだ。
「だったらお前は仲間を連れてここから離れていろ。後始末については俺がやる」
「まさか一人でやるつもりか?」
「ああ、あまりのんびりしている暇はなくなってきたようだからな」
風の渦は先程よりも早く、そして着実にその大きさを増して来ている。
この速度だとそう遠くない内に今僕達がいる場所どころかリーバイスにまで被害が出るのは間違いなかった。
そしてなによりこんな強大な力を使い続けるメルが長く持たない可能性だってあり得るのだ。助けるにしても早いに越したことはない。
(問題はどうやったら助けられるのかが分からない事なんだけどね)
それを知る為にクリッジ達の話を聞いてみたが残念ながら成果はなし。これ以上時間を掛ける訳にはいかないし、後はぶっつけ本番で行くしかない。
「言っておくが怪我人に来れられても足手まといだ」
「言ってくれる。だが確かにそう言われても仕方のない体たらくだな」
クリッジとてわかっているのだ。同じようにしてあの風の渦に呑み込まれ、吹き飛ばされた僕とクリッジ達なのに、そのダメージは天と地ほどの差があると。
そしてそれどころか今の僕は服さえ汚れていないのだ。力の差を嫌でも感じている事だろう。
だからこそ抵抗などせずにこちらに協力している面もあるに違いない。
「餞別だ」
最後に僕は回復薬をクッリジに投げて渡す。これでミリアを背負って移動するぐらいはできるだろう。
「……礼は言わんぞ」
元からそんなものは期待していないので僕は何も答えずにその場を立ち去る。
今回のことはあくまでメルを助ける為にしたことであって、そうでなければ特に彼らを助けるつもりも僕にはなかった。だから感謝されたいとも思わない。
それにもし仮にクリッジが上に確認を取って、それでもそいつらがメルを狙う方針を変えなかったのならその時はまた戦う事になるはず。それを考えれば必要以上に馴れ合うのはどちらにとっても良い事ではない。
今はほんの一時だけ目的が合致しただけ。それが終わればまた敵対関係に戻るだけである。
そうしてその場を後にした僕は風の渦のすぐ手前までやって来た。そして最後にクリッジ達がこの場から離れているのを確認すると大きく息を吸い込んで、
「さて、行きますか」
その渦に向かって突入した。