第八話 正義と現実
宿で取った部屋に入って扉を閉めた瞬間に動いたのはミーティアだった。
「オルト、歯を食いしばりなさい」
それだけ告げた後、かなり強めの拳骨が防御も回避も許さずオルトの頭に突き刺さる。
「オルト!」
あまりの痛みの為かオルトは微かな呻き声を上げるだけで膝を付いて体を丸め込むようにして倒れる。そしてそこに慌てた様子のメルが駆け寄っていた。
「ティア」
「言葉で教えても分からないんだから仕方ないでしょ。むしろ反省もせずにこの態度ならもっときつくてもいいくらいよ」
吐き捨てるという表現が相応しい言い方でミーティアは言い切る。
どちらかと言えば僕もその意見に賛成なのだが、最初の一発がここまで強烈でなくてもいいのではとも思う。
これでは復活するまで時間が掛かりそうだし。
しばらくして半泣きの様子で起き上がったオルトだったが、
「なんで殴られなきゃいけねえんだよ! 俺、間違ったこと言ってねえぞ!」
と、まるで反省の色はなかった。
「ティアはそこでストップ。今度は僕に任せてもらえるかな?」
その態度に今度こそ本気の怒りを露わにしようとしたミーティアだったが、それを予想していた僕がその前に止める事に成功した。
オルトも少しは考えて発言して欲しいものだ。
僕が止めなかったらさっきの一撃など比較にならないお仕置きがその身に降りかかったことだろう。そして今度は悶絶程度では済まなかったに違いない。
「確かにオルトは間違ってはいないと僕は思うよ。たぶんあの場で一番正しい事を言っていたとすら僕は思う」
そう前置きした上で僕も容赦なく言い切る。
「でもね、君があの場でやれたことはただそれだけだ。もっと言えば、その無責任な正しい行いの所為でメルの身を危険に晒し掛けたんだよ」
僕は突っ立ったままのオルトとメルに座るように促しながら話を続ける。
「そもそもあの場でメルが目立つのは最小限にしなければならなかった。そうでなくてもメルは人の目を引く上に狙われやすい存在なんだ。それを考えればあんな人目のあるところで、下手に逆らったり騒いだりするのがどれほど間抜けな行いなのかは言わなくてもわかるだろう?」
「……で、でも、だからって確認なんて絶対おかしい! なんでメルだけそうしなきゃいけなんだよ!」
自分が間違っているところはわかっているのかそれを否定することはしなかった。
だけどそこだけはどうしても譲れないらしい。その言った言葉は決して間違ってなどいなかった、そうオルトは主張していた。
「そうだね、それについては僕もおかしいとは思うよ」
子供特有の純粋さとも言うべきそれは尊ぶべきものだし、きっと大切にするべきものなのだろう。もしくは徐々に現実を知って大人になっていくのかもしれない。
だとしても僕には関係ない事だが。
「でも今の弱い君がそれを言って何になると思う? まさかと思うけど、それで現実が変わる、なんて考えてはいないだろう?」
冷徹にそう言い切る僕に対してオルトは何故かたじろいだようだ。別に声を荒げてもいないし凄んでもいないのだが何がそんなに怖いのだろう。
「別にそう言うのが悪いと言っているんじゃない。むしろ僕はその事自体は良い事だと思うよ。だけどそれは自分の発言に責任を負えるのなら、という条件付きだ。それぐらいの事は分からない君じゃないだろう?」
残念ながらこれだけ言ってもまだ不満そうで納得いかないようなので、僕はオルトに残酷な現実を突きつける事にした。
「それじゃあ言うけど、あの場でメルに対して狙いを付けたのが少なくとも三人いた事には気付けたかな?」
「「え!?」」
これにはメルも驚愕の声を上げる。どうやら二人とも気付きもしなかったらしい。
「そいつらが何者なのかはわからない。けれど、もしあそこで長々と言い争っていたら騒ぎが大きくなってもっと大勢の奴らから目を付けられていただろうね。仮にそいつらが今日の夜にでも襲ってきたとして、オルトはメルを守りきれると思うかい? この近辺の魔物程度にも敵わない実力しかもたない君が」
「……でも、だって、おかしいだろ。なんでメルだけがあんな目に合わなくちゃいけないんだ」
それでも持ち前の正義感からかそう言い続けるオルトだったので、仕方ないが僕は突きつけることにした。
そう、現実という奴を。
「まだわからないようだからはっきり言うけど、迷惑なんだよ。君がその勝手な正義感を振りかざすのは構わないけど、その所為でこちらが余計な労力を負わされるのは勘弁してほしい。僕は君達の親でも保護者でもないんだ。関わった以上はある程度の面倒は見るつもりだけれど、君のバカな行いの尻拭いまでさせないでもらえるかな」
「っつ!?」
その一切取り繕う事のないセリフを聞いたオルトは咄嗟に何かを言い返そうと口を開いたが、結局何も言い返すことは出来ずに、
「くそ!!」
それだけ言うと部屋の外へと飛び出していってしまう。その目は悔しさの所為か涙が溢れそうになっていたように見えた。
「待ってオルト!」
「待つのはあなたよ、メル。私が行くからあなたはコノハの傍にいなさい。コノハがさっき言ってたでしょ、あなたに目を付けたのが三人はいるって」
それが指し示す意味をすぐさま理解したのかメルはサッと顔色を青くしていた。
「心配しなくて大丈夫よ、今は私とコノハがいるんだから。そういう訳だから、私はあのこれから痛い目に遭うであろうおバカさんを迎えに行ってくるわね」
「悪いね、頼むよ」
そうしてミーティアはオルトが開けっ放しにしていた扉から同じように飛び出すと、あっという間に宿の外へと向かって行く。
「オルトは宿を出て左の方に行ったみたいだ」
そのアドバイスに手だけで応えてミーティアは宿から姿を消す。それを見届けた後に僕も部屋に戻って扉を閉めた。
「……すみませんでした」
そうして部屋に戻った僕を出迎えたのはメルの謝罪だった。どうやら彼女はオルトよりは現実的な考えが出来るらしい。
いや、オルトもあの態度からして分かってはいるはず。だけどそれを認めたくないのだろう。
それはつまり自分が無力だということを認めるのに他ならないことだから。年齢を考えればそれが当然なのかもしれない。
「僕の方こそキツイ言い方をしてしまってごめんね。それにまだあの齢の子にあんな事を言うべきことではなかったのかもしれない」
今後の事を考えればそうする必要があったとは言え、まだ十歳の子供に残酷な現実を叩き付けるのはやり過ぎたったのかもしれない。
やるにしても、もっとうまい伝え方を考えてからにするべきだっただろう。
僕もミーティアも少し急ぎ過ぎてしまったのかもしれなかった。
「いいんです。オルトの気持ちは嬉しかったけど、たぶん間違っているのは私達の方ですから。むしろ言われて当たり前だと思います。でもオルトは私の為にあんなことを言い続けているんです。きっと本人もそれじゃダメだってわかっていながら」
「それはどういう意味かな?」
そう問い掛けた僕に、
「……その前に一つだけ私の質問に答えて貰えませんか?」
意外な形でメルはそう問い返してきた。別に構わないので頷くとメルは自分の荷物の中からある物を取り出す。
それは何の変哲もない、どこにでもあるようなただの石。だけどそれをメルがわざわざ取って置いたという事には大きな意味がある。
(まさか……)
その僕の予想通り彼女はこう問い掛けて来た。
「あの村に着く前、魔物に襲われていた私達をこの石を使って助けてくれたのはコノハさん……なんですよね?」