第三話 万能ゲームメニュー
「あー気持ち悪い」
マップを頼りに辿り着いた川の水で口をゆすぐと大分楽になった。それでもまだ胃にかなり負担が掛かっているのがわかるのだが、口の中の粘々が無くなっただけマシだ。
あれから這うようにして小屋から出た後も胃液が逆流して止まらなかった。出せる物を全部出し切っても嘔吐くのが止まらなかったくらいである。
あそこで敵に襲われていたら不味かったかもしれないけれど、幸運なことにそうはならなかった。そのおかげで時間を掛けて落ち着きを取り戻すことも出来た。
「できることなら二度と戦いたくないな」
血とゲロの臭いが染み込んでしまった寝間着を脱ぎながら僕はそうぼやく。
臭いはかなり染み込んでしまっているようだし、川の水で洗ってはみたものの赤い色や血の臭いは完全には取れていない。今はこれしか着る物がないから仕方ないが、早く新しい服を手に入れたいものだ。
「うわ、パンツにまで血が染み込んでる」
こんな森の中で全裸になるなんて嫌だが、そうも言っていられない。このままじゃ血の臭いで獣とかを呼び寄せかねないし。
マップで近くに誰もいないことを確認して僕はパンツも脱いで洗った。全裸になって衣服――それも寝間着とパンツ――を川で洗う男、なんとも情けない姿である。
これが代理とは言え勇者だと信じる人はいないだろうな。自分でも若干信じ難い。
「さてと、まずはこのメニューの確認だな」
川の近くの岩に座って僕はそう呟いた。
アーカイブあった取説によるとこのチート能力の名前は万能ゲームメニューと言うらしい。それだけで効果がなんとなく予想できる、実に判りやすいネーミングである。
メニューの項目は大きく分けて六つ。アイテム、ステータス、マップ、アーカイブ、ログ、クエストだ。
例えばアイテムの項目には無制限にアイテムを貯蔵できるアイテムボックスの他に合成と分解というものがあり、レシピから様々な材料からアイテムを作ったり、その逆も出来たりするようだ。
もっとも今はレシピとやらが一つもないから役に立たないようだけど。
ステータスは自分や敵の詳細な状態を表示してくれるもので、自分のステータスならある程度の操作も可能。更には年齢や性別に種族、それに加えて称号や保有スキルなどさえ見せてくれるらしい。
ちなみに何故か僕には幾つかのスキルが表示されていたが、これも神からの贈り物だろうか。
「翻訳と風属性魔術。それに無属性魔法、ね」
翻訳は言葉が通じないと困るので頼んでおいたのでスキル欄にあるのはまだわかる。その他の二つについては全く心当たりがないのだが。
(と言うか魔術と魔法の違いは何なんだ?)
一応、アーカイブで調べてみたものの載ってないので分からないという結論が出る。人に会った時に聞いてみるとしよう。
これからわかる通りアーカイブは様々な情報を溜めておける書庫のようなものだ。情報が手に入るごとに見られる内容が増えるらしく、現に人物図鑑や魔物図鑑という新しい項目が出来ていた。
何故新しいとわかるかと言うとその横にNEWと表示されているからである。と言ってもまだ魔物の方で言えばダイアウルフしか表示されていない程度の代物みたいだ。
マップはその名の通りマップだ。縮尺は任意で変更が出来、ロックオンとサーチの機能が付いている。前者は既にわかっているので後者を試してみると。
「あーなるほど」
試しにダイアウルフをサーチしてみたら周辺にいるダイアウルフがマップ上に赤い髑髏の点で表示された。便利だな、これ。
今のところ魔物は赤の髑髏で。人は青の丸で表示されるようだが、ある程度は表示の変更が可能なようだ。後でもっとわかりやすくするとしよう。
ログはこれまたその名の通り行動や音声などを種類別にログで表示してくれる。
事細かに書かれているのはいいのだが衣服を洗濯した、とか吐いた時の声までログとして残す必要があるのだろうかはちょっと疑問である。まあ有って困る物じゃないからいいけど。
そして最後のクエスト。これが少々厄介なものだった。ある意味でこのメニューの根幹を成す項目と言ってもいいかもしれない。
取説には重要クエストと通常クエストの二種類今のところ存在していると書かれている。かなり気になる言葉の使い方だが、今それは関係ないので置いておく。
「重要クエストを意図的に行わない場合は万能メニューの機能の一部、またはすべてに制限が掛かる場合会があるのでご注意を、か」
その他にも様々なペナルティが用意されているとかで、どうやら重要クエストを無視することは止めておいた方が良いみたいだった。
現在のクエストは一件だけ表示されている。そしてそれは重要クエストだ。
クエスト名は神からの指令で内容は『チュートリアル・トジェス村を救え』だ。情報はほとんどないに等しいが、これだけでも厄介そうなのがわかるというものだろう。
そう思って取説の最後に書かれていた単語でこのチート能力の大体の事は理解できた。底に書かれていた言葉とは、
「『要するにこのチート能力があれば、あなたにとってこの世界はゲームに等しくなると言う事です。この力を存分に使ってゲームの主人公のような活躍を期待しています』ね。ったく何様のつもりだよ……って神様か」
自分に自分で突っ込んでむなしくなってしまった。全裸で僕は何やっているのだろうか。
そうしてしばらくの間、取説や注意事項などを読んでこのメニューの使い方を学んでいると、近くから物音がした。茂みが揺れる音である。
慌ててマップを見るが何も表示されていない。
(……ってサーチしっぱなしになってるし!)
さっきからずっとダイアウルフの事しか表示していなかったという訳だ。思わぬ盲点である。
慌ててサーチを解除しようとするが、その前にその音の主が茂みから出て来る方が早かった。
「「……」」
現れたのは同い年くらいの女の子だったが、それが幸いと言えるかは微妙なところだった。
もちろん魔物じゃなかったことはいい事なのだが、今のオレの姿は全裸であることを踏まえるとこの状況は非常に不味い気がしてならない。
向こうは水を汲みに来たらしく、その胸に大きな水瓶らしきものが抱えられていた。だが気まずい空気が流れた後、彼女はそれを地面に落とす。割れなかったところ見ると意外に頑丈らしい。
(って現実逃避している場合じゃなかった)
ばっちり目が合ってしまっているし言い訳の仕様もない。唯一幸いと言えることは座ったまま振り向いた形なので、向こうからは背中しか見えてない事だろう。
これが前だったら完全にアウトだった。いや、今も決してセーフだとは言えないけれど。
茶髪と言うよりは赤毛と言うべき腰まで届くストレートの長髪に深い緑色の瞳。顔立ちも日本人のそれとは明らかに違うし、その姿を見ると異世界だという事を改めて実感させられた。
まるで彫像のように固まってしまった彼女だったが、ゆっくりと屈みこんで落としてしまった水瓶を拾い上げる。ただ表情に一切の変化がないのが不気味過ぎた。
「あのーこれはですね、やむにやまれぬ事情がありまして……」
何と言ったらいいのかもわからないが、とりあえずコミュニケーションを取ってみようと声を掛ける。だが返答はなく、代わりに返って来た物は、
「ってちょっと待って!?」
問答無用と言わんばかりに投げつけられたのは当然ながら拾った水瓶だ。慌てて避けようと思ったが、そうするためには背中ではない全裸を彼女に晒しかねないと気付いて躊躇した結果は至極まっとうなものだった。
「が!?」
思いっきり顔に炸裂した水瓶と共に川に叩き落される。水の中で今のレベルならその気になれば座ったままでも簡単に受け止められたのではと思ったが、どうやら気付くのが遅過ぎたようだ。
体力のゲージがほんの少し、ドット単位で減ったのを視界の隅に捉えながら、顔と首の痛みを携えて川から水から上がる頃には彼女の姿はどこにもなくなっている。
マップで確認してみたら彼女――名前はミーティアというみたいだった――かなりの速度でこちらから逃げていた。何故か少しショックだ。
「これ、どうしよう」
未だに傷一つない水瓶を片手で軽々と持ちながら僕はそう呟いた。
(とりあえずこれは閉まっておくか)
水を目一杯まで汲んだらアイテムボックスに閉まった。重さも感じないし、何て便利なのだろうか。
仕方ないのでまだ生乾きの服を着て、彼女がどこに向かっているのかを確認する。
「……あれ、ここって」
しばらく移動した彼女の光点が止まった場所の名前はトジェス村だった。何と言う偶然だろう。
あるいはこれは神の悪戯という奴だろうか。まあ。どちらにせよそこに行かなければならない用事がある訳だ。
それに村だから人もそれなりにいるようだ。服の代えや情報を手に入れる為にもそこに行くのは悪い事じゃない。それにそのついでにこの水瓶は返せばいいだろう。
そういう訳で僕はトジェス村へと向かう事にした。
ちなみにマップを使えば魔物と遭遇することなく進めるので湿った服の以外は実に快適な旅だったという事だけ付け加えておくことにしよう。