第十四話 曲者ばかりのこの世界
衝撃的な無の神の言葉に対してまず反応したのは東吾だ。傷だらけの体だというのに、そんなことは関係ないと言わんばかりの勢いで無の神に一気に迫る、
「よくも抜け抜けと顔を出せたものだな!」
そして必殺の槍をその心臓付近に突き立てようとしたが、すり抜けるようにして槍どころか東吾自身も無の神の体を通過してしまう。
「あらあら、随分と雷の勇者は血気盛んなのね。でも無駄な事は止めておいたらどうかしら」
その言葉を無視して振るわれた槍が目標に命中することはない。フローラの外見をした無の神は躱す動作すらしていないというのに攻撃が全てすり抜けてしまうのだ。まるで幻を攻撃しているかのように。
それで無駄だと悟ったのか東吾も攻撃の手を緩める。そもそもまともに動けるように回復していないのだ。その表情に映る疲労の色は濃い。
「……それで今の発言はどういうことですか?」
「どういうことってそのままの通りよ。そもそも雷の神の狙いは無の神の力を分け与えられた存在だった。そしてそれは無の勇者であるあなたであり、その仲間でありながら今はまだ力に目覚めていないオルトでもあるってこと。実は風の勇者の仲間であるメルの方が今回の一件と何の関係もなかったのよ」
これまで黙っていたと言った割には無の神は全く悪びれる様子も無い。
「だって私が黙っていたことはあなたの為でもあったのよ。まあそれも雷の勇者が切っ掛けをあなたに与えた時点で止めたけどね。あなたならその切っ掛けさえあれば真実に気付いてしまったでしょうから」
そこで紅葉と大樹に目を向けると二人とも苦虫を噛み潰したような表情を無の神に向けていた。その顔からして二人もこの事実を知っていて隠していたのだろう。
だけどその口から無の神に文句が出ることはない。紅葉なら黙っていた事をばらされたら文句の一つや二つは出てもおかしくはないと思うのだが。
「確かに私もあなたのお姉さん達もその事実を黙っていたわ。でも逆に考えてみて。もし仮に私達の誰かがその真実を言っていたらあなたはどうしていたかって事を? ちなみにあなたが元の世界に戻ってもオルトの力はそのまま残るわ。少なくとも全ての魔王を倒し終わるまでは」
「それは……」
仮にオルトが無の勇者の仲間だと知っていたら僕がどうしたか。その答えはすぐに出た。
「残ります。だって結局僕が元の世界に戻ったところで意味がないんだから」
正確には大差ないと言うべきか。
僕が消えても無の神の力を与えられたオルトという存在は残る。つまり魔王側にとっても勇者側にとっても厄介な種はなくならないのだ。
いや、それどころか僕がいなくなってしまえば残されたオルトという選択肢により一層狙いが集まると見るのが妥当だろう。あるいはその所為で無の神の力を巡った争いが激化するかもしれない。
それでは意味がないのだ。僕が元の世界に戻ると決めたのはそうすれば皆が安全だから、争いが無くなると思ったからなのだから。
「それとそっちのお姉さんは風の神を通じて私に頼んで来たのよ。その真実を知る前にあなた自身の意思でこの先をどうするか決めさせて欲しいって」
「別にずっとそうだった訳じゃないわよ。私だってその事実に気付いたのはここに囚われてからだし」
それぞれの思惑や情報が錯綜していて理解が追いつかない。結局、何がどうなっていたというのか。
「そんな混乱したあなたの為に私がこの一連の流れを最初から説明してあげるわ」
そう言った無の神はまず人差し指だけ上げる。
「そもそもの事の発端は雷の勇者の仲間になるはずだった双子の少年オルトを私が奪って無の勇者の仲間にしたことなの。あなたを風の神から奪ったように、ね」
「ちょ、ちょっと待った。いきなり初耳なんですけど」
「初めて言ったから当然よ。それにもう済んでしまった事なんだし、特に気にする必要はないわ」
戸惑うこちらをそんな風に切って捨てた無の神はどんどん話を先に進めていく。
「あなたを無の勇者に選んだ私は他の勇者と同じようにその仲間を作ろうと考えたわ。でもそう簡単に適合者は見つからなかった。だから私は既に雷の勇者の仲間になることが決まっていたオルトに目を付けたの。ちなみにその理由は選んだのはそうすればそれぞれの兄妹が風と無の勇者とその仲間になるから。そんなこと滅多に無くて面白いじゃない?」
紅葉も相当だと思っていたが無の神はそれを超える勝手さだった。
雷から人材を奪っておいてこの態度とはふてぶてしいにも程があるというものだろう。
いや、それを言うならそんな事は風から僕を奪った時点で判明していたことか。
「私がクエストで双子を助けさせたのもいずれそれぞれが風と無の仲間になると分かっていたから。でもその事で風は許してくれたんだけど雷は怒ったのよ。勝手な事をするなって」
そりゃそうだ、とその場にいる東吾以外のメンバーの顔がそう言っている。ちなみに東吾は怒りで顔を歪ませていた。
「そこで元々私が代行者を選ぶ事に反対していた雷は強制的にそれらの存在を消すことを開始した。でもそれを魔王側に知られてはいけない。万が一にでもそれが相手に知られてオルトが魔族に攫われでもしたら大変な事になる。だからオルトではなく双子を狙っていることにした。その時点では無の代行者の情報は魔王側に流れてなかったし、例え狙っている事がばれても風の勇者の仲間であるメルの方に目が向くって風に考えて」
それにまんまと僕は騙されていたという訳だ。恐らく雷側としては騒ぎにならないことが最善だったことだろう。
だがそうならなかった時の為に保険としてメルに注意が向くようにしたわけだ。そして現にそれは成功した。
「そうしてその辺りでお姉さんがあなたの情報を得る為に雷の一派と接触して、事の真相に気付いた。そしてほぼ同時に魔王にあなたの情報が流れた事を知って事態が差し迫っていると感じた雷の神は苦肉の策でルールを破った。即ち無の勇者であるあなたについての情報を雷の勇者に流すというね」
恐らくそれが前に無の神が急に表情を変えた時なのだろう
「その後は簡単よ。さっき言ったようにお姉さんからあなたにその事実を伝えるのを待つように頼まれたから私はそれを承諾。その上であなたをお姉さんの元に送り込んだわけ」
そしてそこからの事は僕が知っての通りだ。
ここまでの話を聞いて思う事。それは、
「つまり全ての元凶は無の神ってことですよね?」
「そうなるわね」
だから、と言わんばかりに軽い返答である。
これでは雷の神はどちらかと言えば無の神によって振り回された被害者ではないか。それどころかルールを破った事でさえ私利私欲の為ではないと思われる。
(完全にこっちが悪物じゃないか)
「……紅葉はどうして僕にその事を知らせないようにしたの?」
「ここまで来たら黙っていてもしょうがないから言うけど、苛ついていたのも本当よ。でもそれと同時にその事実をあんたが知る前にどうするか自分の意思で決めさせるべきだと思っただけよ。それを聞いたらあんたの事だから他人の為にどうするかを決めてしまうだろうし」
そうなる前に僕の本心を聞いておきたかった。それも紅葉が僕と喧嘩をした理由の一つだったということだ。
だからこそあの時、紅葉は僕の本心を問うてきたのだろう。
「ちなみに僕が心の底から帰りたいって言ったらどうするつもりだったの?」
「その時は帰したわよ。例え無の神がそれを阻止するべくオルトって子の事をあんたに教えたとしてもね」
そこまで聞いて僕は紅葉が初めから僕との勝負で勝つ気がなかったのではないかという事に気が付いた。あそこで出した条件などは僕を本気にさせる為の方便だったのだと。
(きっと紅葉のことだから、僕が帰りたいって言っていたらオルトとかの事を全て請け負うつもりだったんだろうなあ)
仮に紅葉が何もしなかったのなら恐らく無の神は帰ろうとした僕のこの事実を教えた事だろう。そうすれば僕はさっきのように自分の意思に関わらずこの世界に残ると決めてしまったに違いない。
そうなるのを紅葉は止めてくれたのだ。
やり方は乱暴な上に勝手なのでどうかとも思うが、そこにこちらの為という思いが有った事だけは疑いようがない。でなければこんな回りくどい事をする紅葉じゃないし。
「要するに僕は紅葉や無の神によって良いように動かされていただけって事か」
そしてそれによる最大の被害者は僕ではなく雷の勇者である東吾だったとは、何とも奇妙で笑えない話だ。特に振り回されまくった東吾からしてみたら堪ったものではないだろう。
「それにしてもあなたは僕を帰す気なんてなかったんですね。まんまと一杯食わされましたよ」
「別に嘘は言ってないわよ。今回の事だって帰ってはいけないなんて私は言ってないもの。ただ実はオルトが無の勇者の仲間だって事を教えただけ。そこからどうするかはあなた次第でしょう?」
(よく言うよ。僕がどうするのか分かっていて言ってるくせに)
周りは曲者ばかりと言うべきか。
それに敵である雷の神が今のところは一番まともそうな神なのだから笑えない。味方の方が気を抜けないって一体どういう事なのやら。
今更ながら無の神の言っていた神は曲者ばかりと言う言葉を思い出す。本当にその通りだ。
「こうなった以上は仕方ないですね。僕もこの世界に残ることにします。ただその代わりと言っては何ですけど、無の神はこの質問を誤魔化さず正直に答えてください」
「分かったわ。嘘は言わないって約束してあげる」
とりあえず許可を貰えたので心を読める相手にわざわざ言うのは必要もないはずだが、僕はあえてその質問を口にする。
「無の勇者の仲間はオルトだけと思っていいんですか?」
「うふふ、残念だけどそれは内緒よ」
その解答に僕はやっぱりか、と思った。
屁理屈に近いが確かに嘘は言っていない。
でもこう言うって事は他にもいると思っておいた方が良いだろう。あるいは今はいなくてもこれから生まれる可能性だってなくはないのだから。
「さてと、長話になってしまったのはいいけどその時間で回復されてしまったわよ」
「え? ……あ」
完全に忘れ去っていた雷の勇者がいつの間にか回復し終わったのか破れた服はそのままだが体の傷は何処にも見当たらなくなっていた。そして怒りと憎しみが籠った目で僕の事を睨み付けている。
その気持ちは分からなくもない。と言うか紅葉に振り回されているから何となくその分かるし、申し訳ない気持ちで一杯ですらある。僕は知らなかったとは言え彼に迷惑を掛けていたのは紛れもない事実だからだ。
「お前達は状況を理解しているのか! そいつが……無の神の力を与えられた存在が居る限りいつ魔王側に状況をひっくり返されてもおかしくないんだぞ!」
そして恐らくは正しいのも向こうの方なのだろうと思う。世界を守る事を考えたら余計なリスクは避けるべきだ。
そしてその余計なリスクとは僕やオルトの事である。
「……一つ聞かせてください。あなたはもしオルトを捕えたらどうするつもりでした?」
「どうするも何も決まっているだろう。無の神の力を取り除いて雷の勇者の仲間に出来ればそうする。それが無理なら始末するしかない」
オルトを殺さないで済むかもしれない方法まで考えているのだ。雷の勇者も神も決して間違っていないし、正しいのはあちらだ。
「答えてくれてありがとうございます。でもすみません。僕は帰るつもりも殺されるつもりはたった今なくなりました」
残念な事に例え正しくとも弱ければそれまで。それは紅葉が東吾を圧倒した事からも明らかである。
「どうやら無の神が居る以上、僕は魔王討伐を終えるまで帰るに帰れないみたいですからね」
それは果たして本心、あるいは言い訳だったのかは僕にも分からない。ただ少なくともこの世界に残ることを、まだミーティア達と共に居られる事を僕は喜んでいた。
「なので退いてくれませんか。散々迷惑を掛けておいてこんなことを言うのは恐縮ですけど」
「ふざけるな!!」
その返答は当然だ。だけどそれでも僕はその正しさに従うつもりはない。
となればやる事は一つ。
「紅葉達はそこで見ていて」
「いいけど早く済ませなさいよ」
こちらが勝つ事を疑ってすらいない紅葉の返答。この分だと紅葉は分かっているのかもしれない。そして個人的には全力で否定したい僕と紅葉が似ていると言っていた大樹ももしかしたら。
「僕はここを出て仲間の元に戻ります」
その為にあなたを倒すという単語は言わなくても分かったらしく、東吾はその手に必殺の槍を生み出した。
そしてここでの最後の戦いを決めるべく、僕達は対峙するのだった。