第八話 格の違い
まさか皮膚すら傷つけられなかったというのだろうか。ドラゴンの牙を使った武器の強化版の一撃だというのに。
(魔法を使ったのか? それとも何か別の方法が?)
驚愕の事態に呆けかけた僕だったがすぐに振り返りながら放たれた紅葉の蹴りがこちらの顔面に迫っていることを察知し慌てて転移で逃げる。
「はあ、はあ」
ギリギリのところで当たるのは避けたられたからよかったが、間に合わなかったらどうなっていたことか。
肉体の欠損は魔法で自動的に治るように設定しているとは言え、頭部が吹き飛んでも大丈夫なのかは確認していない。最悪、魔法が発動せずに死んでいた可能性もあり得るだろう。
「って危ない危ない。殺すのは駄目だから手加減してたのに、これじゃあその意味がないわね。急所への攻撃は避けないと」
無の魔法を使ったらしく破れた服を直しながら言ったその言葉でもう既に僕は目的を果たして死んでも問題ない事実に気が付いた。
とは言ってもあの一撃の前には本能的に恐怖を感じたのか、そんな事など思い浮かぶ余裕などなかったのだが。
(落着け)
これまでの紅葉の言動から僕は状況の理解に努める。そしてすぐに真実を理解した。
今まで紅葉はその言葉通り軽めに、つまりはこちらを殺さないように手加減をしていたのだ。
そして今はそれを止めた、恐らくはただそれだけの話なのだろう。
(理由は分からないけど明らかに紅葉の肉体は僕よりも強化されているとしか思えない。そうじゃないとしても少なくとも今はそのつもりで挑む必要があるな)
この分だとスペック云々は下手に気にしない方が良いだろう。紅葉が嘘を言っているとは思えないが、この単純な肉体の力で負けたという目の前の状況があるのは紛れもない事実なのだから。
「そうねー……よし、決めた! もし木葉がここで私に負けた場合、私はあの双子を守らないわ。守って欲しければここで私に勝ってみせなさい。そうすれば私がこの命に代えてもあの子達を守ってあげるし、ついでにあんたが元の世界に戻ることも邪魔しない。どう、そっちからしたら破格の条件でしょ?」
そんなこちらの事など関係ないというように勝手な決定を下す紅葉。
それは可能なら無視したいところだが言い出したら聞かない紅葉のことだ。ここで僕が頷こうが頷くまいが、こちらが負けたら本当にメル達を守ることはしないだろう。
それは例えメルが風の勇者の仲間だろうが風の神の意向に逆らうことになってもだ。だから僕が心配事を抱えずに元の世界に戻る為にはここで紅葉に勝たなければならないという訳である。
「分かったよ。それでこっちの勝利条件は?」
案にその勝負に乗ると告げると紅葉はニッコリと笑う。
赤の他人から見たらきっとその笑顔は嬉しそうや可愛らしい笑顔に見えるのだろうが、生憎と本性を熟知している僕から見れば明らかに怒りの感情が高まっているのが分かった。
そちらが言い出した要求を呑んだのに何が不満だというのか。訳が分からない。
「条件はそっちが私にダメージの与えられるちゃんとした一撃をくらわせる、でいいわ。それで負けを認めてさっき言った通りにしてあげる。ハンデとしてはこれで十分でしょ」
つまり偶然掠った攻撃や当たっても防御された場合などは認めないという訳か。
そしてそれだけのハンデがあっても負ける気はないと思っているらしいのがその表情と言葉で理解できる。
「ちなみにそっちの勝利条件は?」
「特にないわよ。強いて言うのなら私がこの更に高まった苛立ちを全て発散し切れば終了ってだけだし」
苛立ちって一体僕にどうしろというのだろうか。そもそも何に苛立っているのやら。
「余計な事は考える必要はないわ。要するに木葉はどうにかして私に一撃を入れればいいのよ。それでそっちの望みは叶うんだから。まあそう簡単にはそれを許すつもりは更々ないけど」
戦っている相手の言う事を鵜呑みにするのは戦術的にも自分の心情的にもよろしくはないが、何一つ間違っていないだけにそうする以外に道はない。
確かに紅葉の言う通りここで一撃さえ入れてしまえば終わりになるのだから。
(攻撃を受けた後でやっぱりなしとか言い出す性格でもないしね)
詳しい理由まではまだ判っていないが、何故か紅葉の力は僕よりも遥かに強いと思われる。本来ならスペックで勝っているから倒して無力化も比較的簡単のはずなのだが今の状況だとそれはかなりの難題だろう。
それに比べれば一撃入れればいい今の状況は遥かに楽と言っていい。そしてそれなら方法はなくはない。
(今の紅葉は僕と同じメニュー能力を持っている。だけどそれでも全てが同じってわけじゃない)
そもそもこの能力を初めて使う紅葉とは経験値が違う。その差は小さいようで大きいだろうし、その経験の差を利用すれば勝機はあるはず。
それに加えてこちらには経験以外に紅葉にない物もある。それを最大限活用すべく僕はまずは持っていた残された剣の柄を宙に放り投げた。
「ふふ、何を仕掛けて来るのかしら?」
これから攻撃をされるというのに楽しそうに笑う紅葉。実にらしい態度だが、だからこそ付け入る隙がある。
それは投げられた柄に視線を向けて注意が逸れることだ。
警戒している普通の相手なら無理だが、余裕がありこちらが何を仕掛けて来るか楽しんでいるからこそ紅葉はこういったあからさまな囮でも目を向けてくれる。何が起こるのかと思って。
その圧倒的強者だからこそ出来た隙を逃さずに僕はまたしても転移を使って相手の背後に飛ぶ。そして今度は自らの拳を使って殴りかかった。
これなら例え防がれても、あるいは何らかの理由で効かなくとも相手に触れられればいい。何故なら相手に触れた瞬間に魔法が相手に対して使えるようになるからだ。
「っつ!?」
だけど何故か背後に転移したはずなのに目の前に笑顔の紅葉の顔があった。間違いなく相手の背後の空間に転移したというのに。
(不味い!)
奇襲を仕掛けるつもりが逆に驚かされた僕はすぐにそこから再度転移を使って退避を図る。相手は天才の紅葉だ。あそこで強引に攻めても通じるとは思えないが故の行動だったが、
「考えが甘過ぎ」
何故かまたしても目の前に笑顔の紅葉が存在していた。先程居た場所からとにかく離れる為に適当に距離がある場所に飛んだというのに。
「ふーん、やっぱりこうなるんだ」
「こっの!」
転移でも逃げられない。そう思った僕はもはや半ばヤケクソで僕は紅葉に向かって拳を放ったけど、紅葉はレベル差などないかのように簡単に僕の全力の拳をその場で回避すると僕の額辺りに手を持ってくる。
「やる気が有るのは良いけど、もう少し工夫を凝らしなさい。二連続で背後から奇襲なんて同じ手を使うんじゃなくて」
そして僕は額に一撃を貰って背後に吹っ飛ばされた。見間違えや幻でなければデコピンという、もはやふざけているとすら言える一撃によって。
(か、勝てる気がしない……)
仰向けに倒れた僕は無残にも上半分が壊れた状態で宙を舞っている狐面だった物と先程放り投げた柄がまだ落下することなく上昇を続けていているのを見ながら力の差を実感させられるしかなかった。
「転移とか瞬間移動みたいなことが出来るんだから振り返ることも同じように一瞬で出来るに決まってるじゃない。だから仕掛けるにしてももう少しタイミングを見ないと対策するなんて簡単よ。ただでさえ一度見られるんだし」
「……それならその後のは?」
「あれは単にそっちの服の端を試しにこっそりと掴んでおいただけよ。それでどうなるかと思ったら一緒に転移しただけの話」
どこからともなく僕の頭をほぼ真上から見下ろす位置に現れた紅葉は溜め息まで吐いて呆れた様子だった。まるでその程度の事も分からないのかと言うかのように。
「まあでもこの転移みたいな魔法の使い方は考えたわね」
そう言った紅葉はようやく落下を始めていた剣の柄と仮面の残骸の方に目を向けると、
「こんな風にも使えるわけだし」
それはいつの間にか紅葉の手の中にあった。どうやら自分ではなく物を転移させたらしい。
そして砕けたはずの剣もいつの間にか復元されている。まるで壊れた事がなかったかのように。
「物体であろうが事象であろうが選択したありとあらゆる対象を無かったことにする魔法。だからこそ随分と応用が効いて使い手の技量が試される魔法よね、これって」
既にそれを僕と同じかそれ以上に使いこなし始めている紅葉。経験の差などどうやら欠片も役に立ちそうにないみたいだ。と言うかすぐにでも追い越されてしまいそうな慣れ具合である。
「さてと、これで私は武器を手に入れたわけだけど、木葉はいつまでそうやって寝ているつもりなのかしら?」
その発言はたった今復元された剣が降り降ろされると同時にこちらに投げかけられたので、僕は転がるようにしてその場から逃げる。余裕があるからその後を追うことなく紅葉はその場に立ったままだった。
「ほらほら、そっちは一撃入れれば勝ちなんて圧倒的有利なんだから頑張りなさいよ。それともあんたも他と同じようにそれすら出来ずにギブアップするのかしら?」
「他って僕以外でも同じようなことしてるわけ?」
「ええ、ついさっきもエルーシャっていう雷の勇者の仲間の女の子にも手本を見せるついでにやったわよ。一撃でも入れられたら逃げ出さずに大人しくしてるって条件で」
「それで勝ってここに来たと」
「ええ。二分ぐらい相手をしてあげたらギブアップしたわ。ちゃんとスペックはこちらが劣る状態でやってあげたんだし、ダメージも与えてないからもう少し粘るかと思ったんだけどね」
その女性の気持ちは何となくだが分かってしまう。
本来なら他人を鏡のようにコピーして能力まで同じになる奴がいても本物が勝つはずだ。
何故ならその能力を扱ってきた時間や経験がそのコピーにはないからだ。だから同じ能力であっても趨勢は本物の方に傾き、やがては勝利することだろう。
だというのに紅葉はその常識が通用しない。それも一割から二割もスペックが劣っているというにだ。
何故かスペック的にも経験でも劣っている相手が本物である自分を軽々と上回ってくるなんて悪夢に近い出来事ことだろう。嘘や冗談だと思いたいに違いない。
現に僕もこれが夢ならすぐにでも覚めて欲しいと心のどこかで願っているし。
だけど一向にその悪夢は現実であり、目の前に聳え立っていた。まるでこちらが進むのを阻むかのように。
(いきなり攻撃を当てるのは諦めた方が良いな。まずは紅葉のMPを減らす事に専念しよう)
このままでは攻撃が当たる気がしない。だけどMPが切れて魔法が使えなくなったのならその可能性はグンと高まるはずだ。
もっともそれはこちらもMPが切れれば不味いということでもあるから考えて攻めなければならないが。
そこで僕は足元に石ころの山を出現させる。これも今の紅葉にはないものの一つだ。
「次は何をしてくるのかしら?」
相変わらず紅葉はこちらが何をするのかを楽しそうに待っている。僕はその表情をどうにかして驚愕へと変化させなければならないのだろう。
それぐらい予想外と言える攻撃でないときっと紅葉は難なく捌いてしまいそうだし。
「これで、どうだ!」
そうして僕は全力で石を蹴り出す。そしてそれと同時にありったけの武器を投げつけた。
ロックオンは出来なかったが、これだけの数が一斉に迫ればもはやその必要はない。
躱すのにMPを僅かでも消費してくれれば貰い物を思って放ったこれらの攻撃。
だけどそれらは、
「大した数だけど威力が足りないわ」
その場で地面に足を踏み下ろす動作だけで無残にも無効化されてしまった。
上げた足の裏が地面を踏みつける、たったそれだけの動作によって発生した衝撃波は全てを蹂躙して吹き飛ばす。
流石にそれよりは劣るだろうが、まるでそれは水の魔王が放ったあの咆哮のようですらあった。
「それにしても体が動かしにくいわね。せめて体術のスキルは中級ぐらい習得しておきなさいよ」
これだけのことをやってなお紅葉の口から出るのは動きにくいという文句とは、まさに格が違う。
「それじゃあ今度はこっちから攻めようかしら」
そう思うよりほかないほど僕と紅葉の差は圧倒的だった。