第六話 選手交代
突如として現れ参戦を表明した紅葉にその場にいた誰もが咄嗟に言葉を掛けられなかった。唯一人、それを予想したと思われる大樹を除いては。
「おいおい、まずは話をするんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったけど今の戦いを見てたら気が変ったわ。それに話をしようにも木葉はともかくあっちがそうする気がないみたいだし」
その言葉通りいきなりの事態に驚いて静止していた東吾はすぐに気持ちを切り替えて警戒するようにこちらを睨みつけてくる……と思ったらまたしてもその姿が消えた。
僕が警告の為にも紅葉の名前を叫ぶ間など欠片もなくその影は獲物へと迫る。そしてその手にある剣という名の牙を突き立てようとしたその直前に、接近してきた時以上の速度で後退していた。
「気付かれたか。まあ腐っても勇者だし当然だな」
「その青色の紋章にその恰好。お前が水の勇者か」
邪魔をしたと思われる守人とそれを察知して退避した東吾が睨み合う。守人の方は笑っているがこの一触即発の空気は隠せるものではない。
(水、風、雷、無。大樹がどういう立場なのかとか色々と不明な点はあるけど、少なくとも四人の勇者がこの場に揃ったってわけか)
それらが入り乱れての戦いになるかと思われた矢先、まるでその空気を無視するかのように紅葉とその一歩後ろをついてくる大樹がまるで散歩でもするようにこちらに向けて歩いてくる。
「さてと、色々と聞きたいことはあるでしょうけどその前にこっちの質問に一つだけ答えなさい、木葉。風の神に聞いた話だと今回の事が終わったら元の世界に戻るつもりらしいけど、その気持ちは今も変わりない?」
「……一応はそのつもりだけどそれが何か?」
風の神も紅葉がこっちにいることを知っていたのかと思いながら答えたその言葉に、
「そう……わかったわ」
突如として紅葉の雰囲気が一変する。それも実にヤバい感じに。
大樹も不味いことになったというように何も言わずに大きな溜息を吐いている。
「私の弟の癖に……いいえ、私の弟だからこそなんでしょうね。肝心なところでどうしようもなく頑固なところなんて特に」
「紅葉? 何を言って……」
その先の言葉を発することはできなかった。何故なら目の前までやってきた紅葉は僕の肩に手を置くと狐面を徐に取り外し、そしていきなり顔面に拳を突き立ててきたからだ。
あまりの唐突な一撃に躱すどころか反応することすらも儘ならずにぶっ飛ばされてしまった。
「ああ、歯を食い縛っておきなさい。まずは軽く殴るから」
「……言うのがワンテンポどころかツーテンポくらい遅いよね、それ」
仮面を外すなんて手間を掛けているのだからそれぐらい言うのは簡単だろうに。
そんな思いなど知ったことではないかというように紅葉は仮面を投げて返してきた。
「大樹、さっきの命令権をここで使わせてもらうわ。悪いけどしばらくそこの邪魔者を止めておいて。私はこのバカな弟とちょっとやる事があるから」
「紅葉、気持ちは判らなくもないが……」
「分かってる。大樹の言いたい事もこれは私の我儘だってこと重々承知しているわ。でもそれでも私はこのバカに今すぐ文句を言わないと気が済まないの。だからお願い。今は私のやりたいようにやらせて」
止めようとした言葉を遮って頼み込む紅葉を見て大樹はまたしても溜息を吐いて頷いた。
「……分かったよ。確かにこれはお前達、姉弟の問題だしな。だがほどほどにしておけよ」
「ありがと。でも最後のセリフは私に対して言ってるの? それとも木葉?」
「どっちもだよ、どっちも」
そんな短いやり取りだけで通じ合っているのか大樹は未だに動かずに睨み合っている守人と東吾の方に歩いて行ってしまった。これでこの場に残されたのは僕と紅葉だけとなる。
そこで向こうの様子を見るとどうやら膠着しているらしい。東吾は無の勇者である僕を倒したいと考えているようだが、それを邪魔するように水の勇者である守人が立ち塞がっているのが原因だ。
そしてそこに大樹が加わるとなれば東吾側は更に不利になると思っていいだろう。
このままなら数に勝るこちらが有利、そんな風な僕の思考を見通したかのように紅葉が次の発言をしてくる。
「言っておくけど今の私はあんたの味方ってわけじゃないわよ。むしろこの場に限ってはその逆に近いわ」
「紅葉……?」
そんな顔を見るのはいつ以来だろう。
「立ちなさい。そして構えなさい、木葉」
単なる怒りだけでなくどうしようもない苛立ちのような感情を表す紅葉の姿を見るのは。
「これから私はあんたを攻撃する。死にたくなければあんたも本気で戦いなさい」
「ちょ、ちょっと待った! どうして僕が紅葉と戦わなきゃいけないのさ?」
その至極当然な疑問に対する答えは実に横暴で勝手で、そして単純だった。
「どうして? そんなの今のあんたが私にとってムカいて苛ついて気に食わないから。ただそれだけよ!」
それ以上会話をするつもりがないと言うように紅葉はこちらに迫ってくる。そしてまたしても殴って来たので今度は咄嗟に腕で防御したが、それでもかなりの衝撃が襲い掛かって来た。
(折れてはいないけど腕が痺れているしこの力、まともに受けたらヤバいか)
どうやら顔面にもらった時は軽めの言葉通り加減されていたようだ。
明らかに肉体的な力だけ見れば東吾よりも強いのが今の一撃で嫌でも分かるし、防ぐだけではいずれ押し切られてしまうことだろう。
(訳が分からないけど今はやるしかない!)
もはや効果的には役に立たないであろう狐面を改めて装備することで僕は気持ちを切り替える。いくら紅葉相手でもこんな形でやられるなんて納得できないし、だったらそうならない為に抵抗するしかないと決心して。
「へえ、気持ちを切り替えるのは思ってたより早いじゃない。そこは悪くないわね」
そんな僕を見て紅葉は何故か嬉しそうに笑う。抵抗されて喜ぶなんてやはり意味が分からないが、それを問う間を与えてくれるつもりは向こうにはないようだ。
こうして僕と紅葉の実に何年振りになるかも分からない姉弟喧嘩の火蓋が切って落とされるのだった。