第五話 崩れぬ均衡とそれを崩す者
敵は速かった。それもとんでもなく。
最初の内は余りの速さに転移でも使っているのかと思ったほどだ。
それほどまでに五十嵐東吾という人物は速い。石の散弾を高速で動いて躱したときなど思わずズルいと言ってしまったほどである。
(でもその速度にもようやく慣れて来たかな)
今現在、僕はこの強化された肉体を十全に活かせているとは言えない。最近になって力加減が出来るようになったが、きっとこれだけの肉体が有ればもっと多くの事が出来るのだろうと思う。
現に今、それは現実のものとなっていた。
「くっ!」
「ちっ!」
攻撃を受けたのは僕なのに舌打ちしたのは向こうだった。
既に数十回は敵の攻撃を受けている。最初の内は全く見えない事もあってほぼ一方的に受けていた攻撃だったが、ここにきて僕はそれを完全とは言わないが躱し始めていたのだ。
止まった物を見る静止視力だけでなく動いている物を見る動体視力もとんでもなく強化されているらしい。でなければあれだけの速度で動く相手の影だろうと目で捉える事など出来る訳がない。
(集中すれば集中するほどに見えるようになって来ているけど、それでも捉え切れないってどんだけ速いんだよ)
今の交錯で出来た肩の浅い傷を見ながら僕はそう思った。
ちなみにこの速度の為こちらから相手に触れることは出来ないし、触れた瞬間に物理でも魔法でもカウンターを仕掛けようとしてもそれが成功することはなかったので向こうの被弾数は零である。
もっと深い傷を作っていた当初の状況からは随分改善しているとは言えこれでは勝つことは不可能だろう。
幸いだったのは向こうの攻撃力がそれほど高くなかった事だろうか。力を込めた身体の肉をかろうじて斬り裂く事は出来てもその先の骨で敵の一撃は止まるのだ。
そのおかげでいきなり首を切断されたりすることも無く、こうしてどうにか戦えているのだ。
もっともそれを理解した向こうは容赦なく仮面を貫いて眼球とかの柔らかい弱点を狙ってきたのだけれど。あの時は僅かでも躱すのが遅れたらそのまま脳まで刃先が届いていたに違いない。
「硬いとは思っていたがまさかこのミスリルの剣が止められるとはな。まったくもって常識外れな肉体だ」
「そっちの速度こそこっちにしてみたら常識外れですよ」
互いに決め手に欠く、それがこの場の現状だ。
僕の方はようやく敵の速度に慣れてきて攻撃を躱せるようになって来ている。
だけどだからと言ってこちらの攻撃が当たるかと聞かれれば答えは否だ。それは敵が最も警戒している事らしく少しでも危険そうならその高速を持って退いてしまうのだ。
(転移を使っても難しいだろうな)
敵のすぐ傍まで一瞬で近付く事までは可能だろう。だけどそこから攻撃を仕掛けるまでに逃げられればそれに追いつくことが出来ない。結果、魔法でも物理でもこちらの攻撃は空振りで終わるだろう。
対して向こうは一方的にこちらの体にそのミスリルの剣とやらで斬りつけることには成功しているが、それは決して致命傷では有り得ない。
今もピンピンしていることからも多少の傷は意味がない事も理解していることだろう。
だからと言って今のヒット&ウェイの戦法を変えればこちらの反撃を受ける可能性も増える。こちらがその速度に慣れてきていることから考えても余程の覚悟がなければその戦法はとれないだろう。
となれば一番有り得そうな決着は一つ。どちらかの体力か魔力が尽きる、それ以外にないだろう。
(でもそれも相当先の事なんだよなあ)
僕は魔力を温存する為にこれまで負った傷はなるべくボックス内の回復薬を使っている。その数はまだまだ腐る程用意してあるし、薬では瞬時に治らない大怪我を負わなくなってきているのでこの状況が続く限りしばらくはやられる事はあり得ない。
そして向こうにも体力や魔力を回復する方法があるのか、あれだけの高速移動を繰り返しているのに衰えが見られなかった。それに回復手段がなければこうも魔力を無駄にしかねない決定打になり得ない攻撃を仕掛けて来るとは思えない。
そこでまたしても相手が消えるように動き、その攻撃を僕はどうにか腕を使って防ぐ。
(ここだ!)
「っつ!?」
そして刃が体に食い込んだ瞬間を狙って筋肉に力を入れてその刃を止める。力自体はこちらが上だし引き抜こうとしてもすぐには不可能のはずだ。
(これで相手の動きが止まった隙をついて!?)
と思ったら相手もバカではなく容赦なく電撃を流してきた。剣を伝わって流れた大量の電撃でこちらの動きが止まった一瞬の隙を逃さずに敵はすぐに退避する。
ここで追撃を仕掛けて来ない辺り慎重策を崩す気はないようだ。
「……初めてこちらが駆け引きで負けたな」
「どこか負けですか。言っても引き分けでしょうに」
敵の武器を奪えたのは僥倖だったがこれで相手の装備がなくなった訳がない。その考え通りに東吾はまた新たな剣をどこからともかく取り出して見せたし、これでどこかこちらの勝ちなのやら。
やはりお互いに決定打がない。肉体の強度とか実力差とか以前に彼と僕では能力の相性的に良くないようだ。それもどちらにとっても。
(でもそろそろ守人は捕えられた二人を連れて逃げた頃かな)
それさえ果たされれば実質的にはこちらの勝利なのだ。もうしばらく粘ってそれが確信できてからそれから逃げればいい。
もっともどうやって確認するか。またこちらを遥かに上回る速度の持ち主相手からどうやって逃げるのかなどの問題は山積みだけど。
「……改めて聞きますけど、このまま無駄に長く戦うのを止めてまずは話し合ってみるってのはどうですか? もしかしたら奇蹟が起こって和解できるかもしれませんし」
「初めに言っただろう。話す気はない、聞きたい事があるなら俺を倒してみろと」
折角のこちらの譲歩案に対してもにべもない。あくまで僕の事を排除する事に拘るようだ。その理由については説明もせずに。
そこで会話が終わった僕は狐面越しに相手と目を合わせて睨み合う。
そうして互いにどうやって相手を出し抜いて優位に立とうかと戦略を練っている時だった。
その混乱の種が突如して現れたのは。
「まったくもう、止まってないでもっと派手にやり合いなさいよ! 見ていて面白くないじゃない!」
「「…………」」
どこからか観戦でもしていたのか、そんな身勝手な発言をしながら勢いよく扉を開けて部屋の中に入って来た人物を見て僕は完全に固まってしまった。頭の中が真っ白になったのだ。
(何故? なんで? どうして? どうやって? 如何にして?)
混乱する頭に浮かぶそれらの言葉は口から出てくれない。
「え、あ、嘘?」
ただこう言うのが精一杯である。
髪の毛や眼の色が明るい緑色と普段とは別物だが間違いない。間違えようがない。間違えるわけがない。
そこでどうにかして僕は現れたその人物に対して質問を投げかけようとしたが、そんな風に注意を逸らしたのを見逃してくれる敵ではない。
死角を狙うように影が迫って来てこちらと交錯する。
「ちっ! 後僅かだったものを!」
(あっぶな!?)
気付いて回避に移った時には遅くてかなり深く首を斬られてしまった。後少しでも回避が遅れていれば首が飛ばされていたかもしれないと考えるとゾッとする。
それだけの重傷だと魔法を使わないとすぐに塞げないので仕方なく魔力を消費してそれを治療。
「それが無の魔法って奴ね。私のと違って随分と使い勝手が良さそうな魔法じゃない、木葉」
するとそれを見た例の人物がそんなことを言ってくる。まるで世間話でもするかのように呑気な口調で。
首が斬り落とされた弟に対する発言なのかとか、何故狐面を付けているのに僕が木葉だと判るのかとか、なんでここに居るのかとか、どうして背後に大樹と守人の二人までいるのかとか、こちらには本当に聞きたい事は山ほどあった。
だけど僕の口から出来た言葉はこれだった。
「えっと、紅葉……だよね? 僕の姉の」
「他に誰がいるのよ。久しぶりね、木葉」
たったそれだけの言葉で僕は思い浮かべた疑問の数々についてある程度の納得してしまう。何故なら全ての答えはこれでどうにか出来なくもないからだ。
紅葉なら仕方ない、なんていう何の答えにもなっていない答えで。
「さてと、いい加減観戦するだけにも飽きて来たし私も参戦させてもらうわね」
こうして突如として戦いは混迷を極めていくのだった。
お待たせしました、ついに姉の登場です(笑)