第三話 水と流転の神
到着したのは水路だった。首都から排水する為に使われていると思われる。
ここを辿れば確かに街の人に見られることなく侵入することも可能だろう。
だが気持ち的に嫌だとか以前にその程度で張り巡らされた結界を潜り抜けられるとは思えないのだが。
「まさかここから入るつもり?」
「答えはイエスだ。とは言っても単に進もうとしても結界に阻まれるがな」
その言葉通り伸ばした守人の手は水路の入り口付近で見えない何かに弾かれる。その先の鉄格子など問題ではないが、その前のこれを突破出来ないことには意味がない。
「お前はこういう街とかに張られる結界の大まかな性質を知っているか?」
「よくは知らないよ。外からの干渉は弾いて中からは素通りってことぐらいかな」
後は持続時間に限界があるとか前に聞いたことがあったっけ。
「大体合ってるよ。だから小規模のところだと緊急時にしか結界は張ることが出来ない。そしてこういったデカい場所だと結界を何重にも張ってそれを時間ごとに切り替える形で途切れないようになっている」
だから普通なら隙が出来ることはない。普通なら。
「ここで話は変わるが、実はそれぞれの神には火や水とか属性以外に性質って呼ばれるものがあるのは知ってるか?」
「無の神の場合で言うなら矛盾って奴かな?」
「その通り。ちなみにこっちの場合は水と流転の神。つまり流転がそれに当たるわけだ」
風の神なら創造がそれに当たるわけである。
「言い出しておいてなんだが性質については俺も全てを理解している訳じゃない。ただ性質というだけあって神々自身の性格も表してるらしく、しかもその性質に近い人物を神々は好んで代行者に選ぶ傾向にあるらしい。例えば火と闘争の神なら闘争、つまりは血の気の多い奴って具合に。そして与えられる能力についても同じことが言えるらしいぞ。まあ、と言ってもそういう傾向があるってだけで必ずしもそうだとは限らないらしいがな」
それだと僕は矛盾している性格という事だろうか。いまいちよく分からないのが正直な感想である。
そこで僕は全ての神のちゃんとした名前というか名称を質問してみた。この感じだと守人は他のものも知っているようだったし。
そうして教わった神々の正式な呼び名は以下の通り。
火と闘争の神と水と流転の神。
風と創造の神と地と慈愛の神
雷と断罪の神と氷と停滞の神
光と再生の神と闇と破壊の神
そして最後に無と矛盾の神。
(でもこれだと属性はともかくとして性質は対にはなっていないって事なのかな?)
火と水は分かるが闘争と流転がそうだとは思えない。むしろ停滞の方が流転の対に相応しい気がするのだが。
そんな風に考えていた僕だったが守人の言葉でその疑問を頭の隅に追いやることになる。
「話は逸れたが俺に与えられた能力も流転という性質の影響を色濃く受けている。こんな風に、な」
そう言った守人が結界に手を伸ばして触れるとその手の甲の紋章が光り輝き出す。そしてその輝きが収まった時には水路の入り口付近の結界だけが消えてなくなっていた。
現に促されるままに水路の中に入っていったが抵抗なく進むことが出来てしまったのだ。
「これが俺に与えられた能力にして水の魔法の『万物流転』。文字通りこの世界のありとあらゆる流れを操ることが出来るんだ」
「流れを操る?」
「そうだ。今のなら結界の時間という流れを加速させて交代の時間が来たことにしたのさ」
手を振ると消えていた結界が元に戻る。まるで時間が巻き戻ったかのように。
僕の魔法で結界を消すという手もなくはなかったが、それをやると消しっ放しになるので助かった。その隙をついて魔物や魔族が侵入とかになったら目も当てられないし。
「こんな風にその気になれば運命という流れすらも俺は操ることが出来るってわけだ」
守人曰く、この能力のイメージは一本の川なのだとか。そして能力の対象となる存在はその川を下っている船といった感じらしい。
その船が障害物などにぶつかりそうになったなら川の流れを操って危険などを回避させる。あるいは流れを加速させて船の速度を上げたり、限定的には川の流れを逆流させて船を戻したりすることも出来るのだとか。
ただし操作するのにも限界はあり、それを無理に超えようとすると船が沈没するように自壊したりするらしいが。
ただそれは死という概念だったとしても原理的には問題はないらしい。
「ってことはもしかして水の魔王とかが何度も復活したのも?」
「恐らくは俺と同じような能力を持っているんだろうな。これ系統の能力を持っている奴を殺すには生き残る可能性を徹底的に潰すしかない。穴があればそこを通っていくだろうからな」
例え大木がその川を堰き止めたとしても僅かでもその船が通れる穴さえあれば水の流れを操作してそこを潜り抜けていくという訳か。
「でもそんな事を簡単に教えてもいいの? あくまで現状では協力関係だけど今後どうなるかはわからないのに」
「構わないさ。知られたところで問題はないからな」
その自信満々な言葉を証明するかのように水路内にも張り巡らされていた結界などを操作して易々と先に進んでいく守人。
時にはそれこそどこぞの聖人のように立ち塞がる水の流れを二つに割って進んで行くし、この常識外れ具合は流石勇者と言うべきものだろう。
そうして歩くことしばらく、僕達は遂に水路を抜ける。
「第一関門は突破だね」
「問題は次だがな」
水路から首都の中へと侵入を果たした僕は人目のつかない裏路地を伝って守人の案内の元に二人が捕らえられているという本拠地とやらに向かった。
雷の一派の本拠地だし大層な建物だろうと勝手に思っていた僕だったけど、その建物の前が見える人のいない物陰に着いてその考えが完璧に間違っていたことを思い知らされる。
「と言うかあれはどこにもであるただの一軒家だよね。どう見ても」
街中の住宅街の中の一つの家。それが雷の一派の本拠地だと守人は言うのだがどう見ても見た目的にはそう思えなかった。
左右に別の民家もあるしサイズ的にも普通だ。あれではどうやっても先ほどの見取り図になるわけがない。
もっともそう思ったのも束の間ですぐに僕も気付いたけれど。即ちマップであの家のところだけ表示がおかしくなっていることに。
(マップで表示できないってことは勇者の力かな?)
「恐らくは勇者の力を使っているんだろう。でなければあんな場所で空間を歪めるなんてことが出来るとは思えない」
守人も僕と同意見のようだ。つまりあれは見た目ではただの一軒家でも中身は見取り図を信じる限りではとんでもない大きさの本拠地という訳だ。それこそ要塞や迷宮と評してもおかしくないくらいの。
「それでここからはどうする?」
「どうすると言っても残念なことに入り口はあそこしか確認できていない。だからこれまでのように気付かれないように侵入するのはまず不可能。つまり方法は一つしかないってことだ」
「勇者の本拠地に襲撃を仕掛ける、か。確かに勇者でも一人ではやりたくないね」
「かと言って並大抵の奴は足手まといになる。だから俺はお前が来るのを待っていたのさ」
欲を言えばもう一人くらい戦力がいてくれると有難かったのだが、そう上手くいくわけがない。こんな一つの場所に勇者が三人もいるだけ異常なのだ。
もう一人居合わせるなんて都合のいい事態が起こる訳がない。
「念の為に確認しておくがあの中は他の迷宮と同じように特殊な空間にある。だから中に入ったら出入口以外からの脱出は不可能だし魔法でも建物の破壊は不可能だろう」
「つまり帰りの人質を連れた移動が厄介になるってことだね」
捕らえられた二人が万全の状態でいられるとは思えない。そう簡単には逃げ出せないようにある程度は痛めつけられていると考える方が自然だろう。
大抵の症状なら僕も守人も回復できると判明したが、敵は勇者であることを考えると魔法でも回復不可能な特殊な呪いでも仕込んでいてもおかしくはないと思えてしまう。
「ちなみにその二人が捕えられている場所に心当たりは?」
「一応はある。ただかなり奥深くだし無策でそこまで見つからずに行くのは流石に無理だ。それに中の二人と交信が出来ないところから考えるに中でも連絡が取れないと見た方が賢明だな」
外と中の交信が不可能なだけだったならこちらとしては幸いだがここは楽観視するべきではない。少なくとも中に入って別れたら連絡出来ないぐらいの覚悟でいるべきだろう。
「そっか……だったらこうしよう。まず僕が囮としてあの中に入って適当に暴れ回り雷の勇者を含めた敵の注目を集める。その隙にこっそりと守人が捕えられた二人を連れて脱出する。単純だけどこれが一番建設的だと思う」
この提案に守人は意外そうな表情を見せた。
「俺はそれで構わないが本当にいいのか?」
それは出会ったばかりの守人に今回の目的である二人の事を任せるという事に他ならない。だからこれは信頼できるのかと守人が問うて来ているも同然の言葉なのだ。
「うん、守人が向こうのスパイだったならどっちにしたって危機に陥るのは変わらないからね。それに雷の勇者には色々と聞きたい事もあるし。勿論いくつか条件はあるけどね」
そこで僕が提示した条件とは救出が成功した後、メル達の元まで二人を送り届けて欲しいというものだ。これで仮に僕が雷の勇者に負けても問題は無くなる。
もっとも負ける気なんて更々ないが。ここまで色々と勝手に仕掛けてきた相手だ。混乱を引き起こすついでにそのお返しをたっぷりとさせてもらうつもりである。
「……色々とすまんな」
そこで守人は申し訳なさそうな顔をして僕に謝って来た。
利用するような形になって心が痛んでいるのだろうか。
「気にしないでいいよ。二人が救出できれば僕にとっても最善なんだし。ところでその二人ってどんな人なのかな?」
名前とか特徴を今の内にバスティート王達に伝えておかないと保護してもらう時にいざこざが起きるかと思って聞いたこの問いに、
「……齢は二十歳ぐらいの男女が一名ずつ。名前は男がビッグウッドで女がブレイブと言っていた」
「へー女の人なのにブレイブってちょっと変わった名前だね」
僕は守人の事も合わせてメル側に伝えておく。これで行き違いが起こることもないだろう。
そこでふと顔を上げると、何故か守人が何とも言えない神妙な表情でこちらを見ていた。その視線にはどことなく同情の色が見られた気がしたが、それも一瞬の事で効くタイミングを逃してしまう。
(勘違い……だよな?)
今、こっちを見て憐れまなかった? とか聞ける訳がないし僕はそう思うしかなかった。念の為に無や風の神に尋ねてみても特に怪しい点はないという答えが返って来たし。
だがそれでも何故か僕はその脳裏にこびりつくような嫌な予感を拭えなかった。根拠なんて何もないがそう感じてしまうのである。まるで第六感が警告しているかのように。
(そんな能力は元々与えられたものの中でもないし、気のせいと思うしかないよな)
そうだ、無の神はともかく風の神が大丈夫だと太鼓判を押してくれたことだしそれを信じてみる事にしよう。
少なくともこれまで彼は僕を騙したことはないのだから。
「それで襲撃はいつにする?」
「中は外とは別空間だし夜まで待っても意味があるとは思えない。それにそっちの王国から帰って来た使者達が守りに加わる前に仕掛けた方が賢明だろうな」
「となれば?」
「決めたらすぐ行動。これが答えだな」
敵の準備が整う前に仕掛ける。今回の場合ではそれ即ちこの場で襲撃するということだ。
そうしてまず僕が敵の本拠地の中へと続く扉を潜って進んで行き、そしてそれから少しして僕は知ることになるのだった。
無の神が言っていた言葉と守人が見せた憐みの表情の意味を。