第十八話 明かされたその正体
そこにいたのは白髪の女性だった。ただし僕が知っている女性とは明らかに別人の。
いや、外見そのものは僕が知っている彼女で間違いない。目や耳といったパーツパーツだけで見るなら間違いなくそれらはそっくりだ。
だけどクタクタの白衣やボサボサの白髪。それにメガネなどを身に着けているその立ち姿はあの女性のそれではなかった。
オーラが違うと言うべきか、身長などの外見だけはそっくりな双子がそこにいると思えるほどに目の前の女性は彼女とは決定的に違うのだ。
現に、
「失礼するよ」
そう言いながら適当な席に荒々しく座るその様子からして全然違う。彼女も確かに遠慮がなかったが、それでもこんな風にがさつな感じではなかった。どう見たって彼女の目の前の女性が同一人物であるとは思えない。
「さてと、改めて紹介させてもらおうかのう。彼女がフローラ殿。魔王と勇者についての研究を行っている素晴らしい研究者であり、大変優れた魔術師でもある女傑じゃよ」
「あんたが噂になってるユウキコノハか。色々と話だけは聞いてるけど、こうして会うのは初めてだね。私はフローラ・イグジストってんだ。よろしく頼むよ」
こうして会うのは初めて、その言葉が決定的だった。これで確実に例の彼女はフローラという人物ではないということが確定したのだから。
(失敗した。今にして思えば僕は侍女の人物像から勝手に彼女がフローラという人物だと思い込んでいただけだったのか)
では僕がフローラという人物だと思い込んでいた女性は誰なのか。その可能性に当たる存在は今のところ一人しか僕は知らない。
まずいないと思っていたはずの内通者、それしかまずあり得ないだろう。
その瞬間に緊急クエストが現れる。その内容は『直ちに書庫に向かえ』だ。
「すみません。急用が出来たので失礼します」
時間がないこともあって僕は有無を言わせずに席を立つとそのまま部屋を後にする。宰相から何かあったのかと呼び止められたがそれに答えている余裕はないので申し訳ないが無視して先を急ぐ。
そうして急いで向かった書庫の扉を開くと、
「ふふ、そんなに焦ってどうしたの?」
そこには彼女が待っていた。白髪の僕が知っている彼女が。
「念の為に尋ねておきますが、あなたはフローラという人物ではないですよね?」
背後の扉を後ろ手で閉めながら僕はそう問い掛ける。レベルの制限も解きながらいつでも戦闘に移れる状態で。
「ようやく気付いてくれたのね。待ち草臥れたわ」
その様子を見た彼女は肯定するようにニッコリと嬉しそうに微笑む。まるでとびっきりのサプライズが成功したかのように。
その様子を見て僕は違和感を覚えた。本当に彼女は内通者なのだろうか、と。
「……正直に言えば僕はあなたが魔族側の内通者だと考えています。でもそれだとどうして僕に何度も接触してきたのかが分からない」
本気で隠れるつもりなら僕に接触などしなければよかったはずだ。だというのに彼女は一度ならず二度までも僕の前に現れた。そしてまた逢おうという言葉からして三度目もあったに違いない。それは内通者の行動としては矛盾していた。
「えー嘘でしょ。もしかしてまだ分かってないの?」
その言葉を聞いた彼女は明らかにがっかりした様子だった。先程までの笑顔が一気に落胆の表情に変わる。
「ここまで来たら仕方がないから答えに等しいヒントをあげます。私は近い内にあなたに会いに行くって言った人物です。ほら、これなら流石にわかるでしょう?」
「え、あ!?」
そこで僕は失念していたもう一つの選択肢があることにようやく気付いた。そうだ、彼女がその人物ならわざわざ接触してきた理由も納得できる。
だとしたら今回の緊急クエストは魔族を早急に討伐する為ではなく、あの場で王達に余計なことを言わないようにする為だったのだ。
「あなたが無の神……なんですか?」
「正解。まったくもう、察しが悪過ぎ。いつまで待たせるのよ」
不満を表すように頬を膨らます彼女を見ながら散々待たされたのはこっちの方だと思う僕だった。
◇
確かに近い内に会いに行くという伝言は受け取っていた。だけどまさかこんな形だとは誰が予想できただろうか。いや、誰もできなかったに違いない
風の神と会う時は例の空間に呼び寄せられていたから無の神も同じだと思っても仕方がないだろう。まさか本当に普通に会いに来るなんて思う訳がない。
「これが推理ゲームだったのならあなたは探偵失格よ。って、どうせだったらそんな風な重要クエストを出すのも面白かったかしら」
正体を明かした後も無の神は口調に少し変化があったもののそれ以外では特に変わりはなかった。
どうしてすぐに名乗り出なかったのかという問いにもその方が面白そうだったからという非常に単純で、だからこそ迷惑な返答を寄越して来たくらいだし。
今にして思えば彼女が魔王や勇者に詳しかったのも当然だ。神なのだからそれを知らない訳がない。と言うかこの世界の誰よりも知っている立場の存在だろう。
「本当に色々と言いたいことは山ほどありますけど、まずはこれだけ聞かせてください。あなたは一体何が目的で僕を勇者に選んだんですか?」
「だからそれも面白そうだかったからに決まってるじゃない。何か勘違いしているようだけど私はあなたに魔王討伐を強制する気もなければ、勇者側の味方になるように命じるつもりはないわ。私はあくまであなたが与えた力で何をするか、あるいは何をしないのかを見てみたい。ただそれだけが私の目的の全てよ」
「その割には重要クエストとかで色々と注文を付けてきてますけど?」
「だってそうでもしないとあなたの事だから動こうとしないでしょ?」
「それはまあ、確かに」
仮にクエストがなければ他の勇者が魔王を討伐してくれるのをただ待っている姿が容易に想像できたのでそう言うしかなかった。
「それに私が楽しめるように動いてほしいもの。後は私がよくても他の奴らがうるさいのよ。だからああして時々クエストを出して最低限の仕事はさせてるってポーズを取ってるってわけ」
楽しめる、の部分が本音な気がしたがそこはスルーすることにした。言及しても今は無駄な気がしてならないので。
「えっと他の奴らっていうのは他の神ってことでいいんですよね?」
「そうよ。特に雷とか本当にうるさいったりゃありゃしないわ。私は他の神や魔王とも根本が異なるんだから何をしようが自由なのにいちいち文句を付けてくるのよ。最近は特にひどいし本気でウザいわ」
神様の話題のはずなのに彼女の言葉はまるで主婦が井戸端会議で文句を言っているようにしか思えなかった。
いや、神々からしたら他の神は友人に近いものなのかもしれないのでそれも間違っていないのかもしれないが、何となく納得がいかない。だって一応は神様なのだ。
(なんかこう、もう少し威厳というか荘厳さがあってもいいんじゃないのかなあ……)
思わぬ神々の関係に呆れ掛けたが、気を取り直して質問を重ねる。
「そもそも無の神というのは何なんですか? どうして他の神と違ってその存在が知られていないのか、そして対や表裏となる存在がいないんですか? あなたの話だと他の神や魔王にはそういった存在がいるはずでしょう?」
「だって私は無の神、つまりは存在しない神なのよ。だから他の神と違って私という存在は厳密には存在してはならない。だけど実際にこうして私はいる。無いはずなのに有る。だから私は無と矛盾の神なのよ」
「……言っている意味がよく分からないんですけど?」
何となく言いたいことはわかる気もするが、完全に話の内容を把握したかと聞かれれば答えは否だ。なんとも微妙な理解度である。
「そうね。ここで分かるまでじっくり教えてもいいんだけど、折角だから条件を付けましょう。どうせゆっくりしていられる時間はあまりない事だし」
この期に及んでまだ出し惜しみをするのかと言いかけた僕だったが後半のセリフで踏み止まった。その内容から明らかに不穏な気配を感じ取れたから。
「それはどういう意味ですか?」
「昨日、私は言ったじゃない。「大変だろうけど明日は頑張って」って」
それは単なる激励の言葉だと思っていたが、どうやらこの無の神の様子だと違っていたようだ。
その大変という言葉に当てはまると思われる事態は魔物の大群が王都に迫ってきていることしか思いつかない。でもそれは特に問題ないという話だったはずだ。
だけどそれならば無の神が大変なんていう言葉を使う訳がない。要するにただでは済まない事態が起こるという事だ。
「条件はその敵を追い払ったら、にしましょう。そうしないとバタバタしてゆっくり時間も取れないでしょうし余計な邪魔が入るのは好きじゃないもの」
「一体何が起こるっていうんですか? それに敵って何なんですか? いい加減勿体ぶるのは止めてくださいよ!」
いつまでこちらを翻弄すれば気が済むのかという苛立ちを込めたその発言に無の神は心外とばかりに頬を膨らませて怒りを露わにする。
「私だって好きで勿体ぶってるわけじゃないわ。好き勝手にやっていいのならとっくの昔に全部教えているわよ。厳密に言えば私の邪魔をできる存在なんてどこにもいないんだから。でもそうするとあなたに迷惑が掛かるし可哀そうだから話したい気持ちを堪えてるのよ」
(僕に迷惑が掛かる? 可哀そう? この人は何を言ってるんだ?)
無の神にも何らかの制限があるということだろうか。そしてそれに従っているのは僕の為だとでもいうように無の神は顔を背けて拗ねている。
子供か、と言いたくなる分かり易い態度で。
「ああもう、わかりましたよ! 今回の敵を退ければ教えてくれるってことでいいんですよね? だったらやりますよ。やればいいんでしょう!」
そのやけくそに近い返答を聞いた無の神は先程の態度がどこにいったのかというように急に笑顔になった。
その僕の答えを待っていたかのように。それが僕の神経を更に逆撫でしたことは言うまでもない。
「そうそう、分かればいいのよ。それじゃあ私もあなたの誠意に答えて少し良い情報を教えてあげるわね。まず今回の敵はこれまでで一番手強いわ。そしてこの場においてはあなたしか被害を出さずに勝てる存在はいないわね」
「……他の勇者の仲間ですら敵わない相手って事ですか?」
「そうね、全員で掛かれば倒せる可能性はなくはないわ。でもそれだと民間人への被害も甚大になるでしょうし戦った半分以上の人が死ぬことになるわよ。その中にあの子がいないとは限らないわね」
あの子とはメルの事だ。となれば僕に選択肢はない。
「それといるわよ、内通者。と言ってももうほとんど消えかかっているし消滅するのも時間の問題でしょうけど」
「だからそれは一体誰なんですか!?」
もはや怒鳴りつけるのに近い形での僕の問いに無の神は反応しなかった。それどころか急にあらぬ方向を見つめると、
「……そう、そっちがその気ならいいわ」
と、ゾッとするような冷たい声で呟く。
これまでのふざけた態度とは一線を画す、その一瞬だけで荘厳さすら感じられるようなオーラを発した表情で。
少し悔しいが僕はそれだけで圧倒されてしまった。もっともそんな表情はすぐに消えてしまったが。
「気が変わったわ。今回は全面的に協力してあげる」
そう一方的に告げると無の神の姿がぶれ、次の瞬間には僕が目の前にいた。いつも鏡で見ている自分がそこに立っていたのである。
「こうしておけばあなたはコンとして動けるでしょう? ほら、今のうちに変身しておきなさい」
「……そこは変装と言ってくれませんかね」
誰にも見られていないことを確認した後、僕はコンの装備を身に着ける。すると僕の姿をした無の神は早速嬉々として指示を出してきた。
「まず初めに向かうのは内通者のところね。消えかけだけど残しておくと面倒だから始末しておきましょう」
「それは良いですけど、結局その内通者ってのは誰なんですか?」
その質問に僕の顔をした無の神は笑顔で答えてくる。
「それは着いてからのお楽しみよ」
「……はあ」
もはや怒りを通り越して呆れるしかなかった。下手に抵抗しても手間が増えるだけだし、僕は溜息を吐いて諦めることにする。これは姉と同じくまともにやり合っても駄目な相手なようだし。
(なんでこう僕の前に現れる人がこういう勝手な人ばっかりなんだろうなあ……)
「……ああもうわかりました。諦めますよ。でも僕の姿で女言葉は止めて貰えます? 誰かに見られたら不味いですし、そもそも気持ち悪いので」
自分が女言葉を話している姿を見て気持ちが良い訳がない。というか本気で気持ち悪いとしか思えなかった。
「他の人がいたらちゃんとするから安心して。それじゃあ行きましょう」
「……」
そんなささやかな頼みすら聞いてもらえなかった僕に出来ることはさっさと進んでいく無の神の背中を項垂れながら追いかける事だけだったのは言うまでもない事だろう。