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大あさり浜

作者: 有宮休一

あさりが庶民の食卓に上がらなくなってから久しい。

日本に限らず、世界の海岸からあさりが消えて手間暇かけた高級養殖ものだけが流通するという状況であった。

しかし、ある浜だけは別であったが、それを知る者は誰一人としていなかった。

そこは切り立った山がその海岸を取り囲んでいたので、命知らずのロックライマーでもない限り近づけない。それに、沖には岩礁が連なった遠浅になっているため、小舟の漁師でも近づくことは禁じられていたのである。


 ある波の穏やかな日、1人用のカヌーがその沖にあった。岩礁の中で一番海面から顔を出している岩があり、その岩が人魚のような形をしているので、「人魚岩」と呼ばれていた。

カヌーをこぐ男は、「人魚岩より浜には近づくな」という掟があるのは十分知っているはずであったが、大潮の満潮なら大丈夫だろうと勝手な判断をしたようであった。

人魚岩を通り越すと、それほど遠くない先に白っぽい砂浜が見え、そこは極一部の村人が、「大あさり浜」と呼んでいるところで、その背後には「屏風崖」と言われる絶壁がせまっている。

男はパドルをこぐ手に力を入れたがなかなか前に進まない。沖に向かう潮の流れがあるようだ。男は右手に移動して沖を目指そうとした。するとすんなり岸に近づくのを実感することができた。

そのときである。大きな波が後ろから来て高く持ち上げられた後、急降下したときに隠れていた岩礁にガツーンと当たって、バランスを崩し投げ出された。

男はライフジャケットを着ていて、やっとのことで岸にたどり着いた。

そして、カヌーとパドルを目で探したが、もう白波が見えるだけであった。


 男は着ていたものを海岸の岩に干すと、みるみる乾いていく布をただ茫然と眺めていた。

カヌーに積んでいた、おにぎりも水筒も今はない。

男は乾いた服をおもむろに着ると、切り立った山手のほうに歩き出した。

しばらく山沿いを歩くと、岩の隙間から湧き出している水が一筋あった。

男は喜びを表に出すと、口を付けてその細い流れをすすった。

そして木陰を見つけて横になるとそのまま眠ってしまった。

男が目が覚めると、2時を回ったところであったが、既に太陽は屏風の後ろへと隠れていて真夏の暑さが幾分やわらいだようであった。

男は少し眠ったせいか、極度の不安がおさまると、逆に空腹感が襲ってきた。

食べるものは閉ざされた陸には見当たらない。男は潮がひくのを待って海に入った。

しばらくは砂が一面あるがその沖は岩場となっていて、潮だまりには取り残された魚を見ることができたが、素手で捕まえるのは容易ではない。

男は、あきらめてヒンヤリと湿った砂浜に大の字に寝そべると、ときおり波が手を洗った。

そのとき男が砂を一つかみすると、驚いた表情をしてゆっくりと掌を開いた。

するとそこには大粒のあさりがあった。

男がその辺りを手で掘ると、大きなあさりが次から次へと出てきた。

その中に、とびきり大きな大あさりがあったが、男はそれだけはなぜか元に戻した。

シャツにあさりを包んで屏風岩まで持って行き石で貝を割ると、満足そうに口に運んだ。

男は、翌日もあさりを腹いっぱい食べた。

そして、たまに沖を通る漁船を見かけると、細長い流木にシャツを括りつけて大きく左右に振りながら、ありったけの大きな声を出したが、波の音に勝って聞こえるような距離ではなかった。

 そして次の日にもうこれ以上出るものがないような嘔吐と、腹痛をおこした。

貝毒が原因なのだろうか、男はそれから四日間、岩から流れ落ちる水だけをすすっていた。

男は、また腹痛を起すことへの恐怖心から、あさりを食べれなくなってしまったのだ。

そしてお腹は治ったが、痩せて別人のようになってしまった。

 


 次の日、突然グラグラと揺れが長く続いて、背後の屏風崖がガラガラと崩れ落ちるまでになった。男は、落石を避けるように四つん這いになって波打ち際まで移動した。

しばらくすると、潮がいっきに引き始め、人魚岩の根元まで見えるくらいになった。

男は次に何が起こるかを十分予測していたようで、天を仰いで手を合わせた。

そのときである。「砂にもぐりなさい」とどこからか声がした。男は「だれだっ!」と声を上げた。

するとまた、「砂にもぐれば助かります」と確かに高く細い声がした。

男はまだそんな力が残されていたのが不思議なくらい、素手で自分の体がすっぽり埋まるくらいに砂浜を掘った。

そして、仰向けに寝て顔の半分だけを出してあとは砂の中に埋まったままじっとしていた。

男はしばらくただ上を向いていたが、ゴォ~という唸り声が聞こえ、顎をひいて沖を見ると巨大な白い波がすぐそばまで押し寄せてきていた。

男がしっかりと目をつぶると、ついに10mを越えるような波の塊が砂浜を通過して屏風岩に当たってくだけた。


それからどれくらい時間が経ったか分からないが、男は自分がまだ海底の砂の中にいて、何の思考もなくただ海水を吸って吐いているのだけは分かった。



                                                <完>


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