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第四話by粗大ごみ

 私の頭にはいくつかの不安があった。私はその内の不潔なものを片隅に追いやってから、呆けたままの彼女を抱え起こした。彼女は震えているようだった。

「問題ないですか」

 私はそう言って家族の方に目を向けた。二親が心配そうにこちらを見ていた。この二人は不潔なものが頭を全く占めているようだった。少女はうなだれていて顔がよく見えなかった。私はこの少女を不憫に思ってきたが、こんなことをするとは、全くもって意外だった。私はいたたまれなくなってこの家族から目をそらした。彼女が小さくうなずいたのを確認した私は、会議室に移動する旨を両方に伝えた。

 その時だった。母親が少女をぶったのだ。母親は気が狂ったように泣きわめいていた。気付かぬ間に出来ていた野次馬の壁越しに、私は駆けてくる同僚をぼんやりと眺めながら右手にもったペン先をいじっていた。


 結局、この事件はうやむやのままにされてしまった。事を荒らげるのを嫌がった病院の傲慢だと私は憤ったが、何をすることも出来なかった。あの家族と話をしようとも思ったが、何分忙しいようで断られてしまった。私は少女のことを思った。

「先生」

 顔をあげた先には彼女が松葉杖をついて立っていた。彼女の顔からは恐れと緊張が伺えた。肝を冷やした私は、言葉を慎重に選びつつ、彼女に労る言葉をかけた。彼女が唇をかんだのを見て、私は言葉を誤ったと思った。

「先生、私を殴った少女の家族、あの家族のですね、連絡先を教えてください」

「しかし……」

「当然の権利だと思うのですが」

「しかし私の権限では……」

「では、上の人にそうお伝えください。法的措置をとる用意もある、と言葉を添えて」

 私は言葉を失った。彼女を人のいい人間だと見立てて好感を持っていた私には、彼女がこんなことを言うとは信じられなかった。彼女の唇のはしが持ち上がった。その笑みに幼さを見てとった私は、彼女を信頼してひとつ鎌をかけてみる気になった。

「ですから、私の権限では無理なのです。私はもう首です。お払い箱になったんです」

 私の言葉を聞いた彼女は、明らかに狼狽していた。彼女はどうやら表情を偽ることができないらしかった。私は彼女に笑いかけた。

「本当に訴えるつもりなんですか」

 私のからかいに気付いた彼女は頬を赤らめた。

「どうして疑うんですか。私は本気ですよ」

「あなたは優しい人だから」

 彼女のうろたえ言葉につまる様を見て、私は一気に体から緊張が抜けていくのを感じた。私は笑い出したいような愉快な気分になった。彼女はいい人に違いなかった。私は言葉を続けた。

「知りたいんでしょう、陽太くんのことが」

 彼女はこちらをまっすぐに見据えた。

「あの子は、本当に死んだのですか」

 私はうなずいた。

「交通事故でした。しかし、あなたに責はありませんよ。幼い患者を外に出してしまった我々の責です。それに、あの子はいろんな人に話を聞いてたんです」

「私だけじゃないんですか」

「はい。あれも、ある種の病気だったと思います。あの子の親は共働きでした。姉があの子の世話を任されていたのですよ」

 私は彼女と話をしながら、あの少女に思いを巡らせた。やはり、放っておくわけにはいくまい。私は彼女に向かって言った。

「あの子の胸にあるしこりのようなものを、軽くしてやってはくれませんか」



 私はソファアに寝転び弟のことを思っていました。私はあの弟のことを嫌っていたのでしょうか? それとも、愛せていたのでしょうか。私は途端にこの家族が空虚に思えてきて、このまま眠気に身を任せてしまおうと思いました。ところが、私が微睡み始めたとき、電話がうるさく鳴り始めたのです。無視したらきっと怒られるに違いありません。私は重い体を起こして階下に行きました。

 電話は「弟さんについて話があるから来てほしい」というものでした。電話をしてきたお医者さんは私のよく知っている人で、真面目で優しい人でしたから、私は気が進まなかったけれど、彼の願いにできるだけ答えよう、と思って、明くる日の放課後、病院のひとつ手前の駅前で待っていました。しばらくして来たお医者さんは、私にこう言いました。

「話があるから僕のアパートまで来てほしい」



 私は包帯の巻かれた足を擦りながら、二人が来るのを待っていた。この部屋は広くはなかったが、きちんと整理が行き届いていており、清潔さを感じられた。私にはあの医者の性格がよく現れているように思えた。……私は、そんな部屋をぼんやりと眺めながら、ずっと連絡を取っていない家族のことを思っていた。

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