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戦歌の姫君  作者:
アズナブール編
3/4

 アズナブール公国はここ数年で商人の国として発展した、西の海に面した小国である。特に首都・ルスュールは大公閣下のお膝元で流通の要として、ここ数十年で急成長した。

 長く続いた隣国との小競り合いの際には軍事港としても使われていたが、当代大公の打ち出した経済優先の政策のおかげで、今では大陸中の国の商品が集まる平和な貿易港に様変わりした。風光明媚な景観の場所でもあることだし、紛争終結の協定が公に結ばれた今後は、観光誘致も盛んになるかもしれない。


 海岸線に沿って弓なりに広がる首都は、まだ朝靄の中に白くけぶっている。海の向こう側から白み始めた空では海鳥が鳴き交わし、港や通りに面した市場の方角からは、すでに賑やかな喧騒が聞こえ始めていた。やはり、商人の街の朝は早いらしい。

 とはいえまさか、早朝からこんなことに巻き込まれるとは思ってもみなかった。


 ジークは路地の壁を背に、三人の男に囲まれていた。全員がにやにやと締まりのない顔をしていて、息が酒臭い。徹夜明けなのか朝から一杯ひっかけた後なのかは知ったことじゃないが、不愉快な状況であることに変わりはなかった。


 何がまずかったのだろうかと考え込むジークには、自分の容姿に対する自覚が足りない。

 緩く波打つ金茶色の髪はよく映え、生き生きと輝く空の色をした瞳は鮮やかな印象を残す。十九歳になって、表情やすんなりと伸びる手足からは幼さが抜けつつあった。

 つまりは十分に美しい娘なのだが、彼女は自分が自然と人目を惹くのだということに気づかない。

 無表情でどうしたものかと考えるジークを見下ろして、彼らは笑みを広げた。


「可愛い顔して、肝が据わったお嬢ちゃんだなあ」

「ますます気に入った。なあ、俺らと遊ぼうぜ。ちょうどまとまった金が入ったところなんだ。たんまり旨い酒も飯も食える。相手してくれるんなら、宝石だって買ってやるぜ?」


 ふむ、と頷く。


「ご飯ね。確かにそろそろお腹が減ったわ」


 乗り気だと受け取ったのか、男たちが色めき立つ。


「いくらでも奢ってやるよ。さあ、こっちに……っ、痛え!?」


 無遠慮に肩を掴んだ手を捻りあげる。同時に反対の手で拳を作って相手の胸の中心に当て、力いっぱい突き飛ばした。息を詰まらせた相手はたまらず咳き込む。

 予想外の反撃に怯む彼らに、一歩詰め寄った。腕を組み、にこりと微笑む。


「でも、酔っぱらいの相手なんて心底お断り。どうぞ他を当たって?」

「……言ってくれるじゃんか」


 苛立った口調で短髪の男が懐に手を入れ、ナイフを取り出した。女にあしらわれたくらいで刃物を使うなんて、気が短いにもほどがある。呆れるジークの顔に刃先を近づけ、下卑た表情を隠しもせずに言った。


「上玉に傷がつくのは本意じゃないんだ、大人しくついてこいよ。俺が人を刺せないとでも思ってるんだとしたら、甘いぜお嬢ちゃん」

「やれやれ、物騒ね」


 間近の鋭利な刃物には目もくれず、ジークは嘆息する。男たちを順に見比べ、視線を落としてふと微笑む。


「でも、そうね。貴方(あなた)の言葉に嘘はなさそう。あなたの身には、随分と深い怨みが絡みついているもの」

「は? 何言って……」


 滑らかな動きで腕を上げ、突き付けられるナイフを切れない程度の強さで、指でなぞる。上目使いに男と目を合わせたジークは、刻むようにゆっくりと言った。


「まだ真新しいわね。殺したのは昨日の夜? 人数は三人。親子かしら。子どもの細い気配がする。でもそれだけじゃない。今までにも、犠牲になった相手は大勢いる」


 日陰で光る空色の瞳と端正な白い面立ちは、美しいからこそ背筋を粟立たせるほどの悪寒を感じさせた。

 淡々と語るごとに、男たちの顔は青ざめていく。ナイフが細かく揺れる。引いた手を顎に当てて、わざとらしく首を傾げた。


「まとまった金が入った、と言ったことから見て、彼らから金銭、または物品を奪った可能性が高いわね。誰かの依頼を受けて殺害し、報酬を受け取ったというのもなくはないけど。貴方たちを見る限り、前者かしら。ああ、そういえば、郊外に商人を狙う夜盗が出るという噂があったかも。もしかしてその正体って、貴方たちだったりする?」


 とうとう男たちは後ずさり、あからさまに恐怖を浮かべた目で叫んだ。


「な、なんなんだお前! 気味(わり)ぃんだよ、なんで知って……!」


 語るに落ちる、とはこのことだ。冷めた目で嘆息したジークは、すう、と白い指先で彼らの足元を指し示した。


「だって、私には視えているんだもの。ねえ、重たくないの? その、足に絡みついた血色の鎖(・・・・)……」


 ジークには、言葉通りのものが視えていた。ひっ、と息を呑みさらに後ずさる彼らを戒めるような、足首に幾重にも巻かれた赤黒い鎖。その先は石畳の中に溶けるように消えていて、彼らが動いてもそれを邪魔することはなく、音を立てることもない。

 死神と同じだ。この鎖もまた。ジーク以外には視えない異界の存在だった。


「頭おかしいんじゃないのか、この女!」

「く、来るなっ! 近寄るんじゃねえ!」


 怯えきった様子は、身に覚えがあるとはっきり告げているようなものだった。

 ジークには、彼らを断罪するつもりも、その資格もないけれど。


「……どこに逃げようと、その鎖は貴方たちについて回る。当然ね。人殺しの罪からは、一生逃れることはできない」


 言い聞かせるような言葉に、ナイフを持つ男が恐怖のあまりか、逆上した。


「うるっせえんだよ! この、化け物!」


 むちゃくちゃにナイフを振り回す男への反応が一瞬遅れたのは、その言葉が刺さったからだ。我に返った時には、避けるのは不可能なほど間近に刃が迫っていた。うかつな自分に舌打ちし、腕で急所を庇おうとして――。


「がっ!」


 潰れた声を上げて、男が横ざまに吹っ飛ぶ。ナイフが石畳に落ちて、硬質な音を立てた。驚いて腕を下げれば、路地に差し込む陽光を背に、長身の男が立っている。ずるずると長い見慣れない衣装を着ていて、全身暗色でまとめているため影そのもののよう。逆光も手伝って、表情も窺えなかった。


 彼の登場で完全に劣勢を悟ったらしく、男たちは振り返りもせず路地の奥へと転げるように逃げて行った。ジークはもちろん、男も彼らを追うつもりはないらしい。近づいてくるとジークの足元に落ちたナイフを拾い上げ、顔を隠す布の間からじっと彼女を見た。

 顔はほとんど隠れてわからないが、のぞく目元は若い。青年と呼んでいい年齢に見えたが、纏う雰囲気は鋭利でひんやりと肌を冷ますようだ。どう見ても、そのへんにいるごく普通の若者ではありえない。


 無言で彼を見つめ返していたジークは、はっとして口を開いた。


「助けてくれて、ありがとう」


 何者なのか知らないが、窮地を助けられたことに変わりはない。あのままでは間違いなく、無傷では済まなかっただろう。

 また沈黙が続き、答えるつもりがないのかと思い始めた頃、男が言った。


「……無鉄砲が過ぎる。助けも呼ばず、男相手に渡り合おうなどと」


 見ず知らずの人に叱られてしまった。苦笑し、そうねと頷く。


「腕には覚えがあったものだから、油断したわ。良くないわね。実戦の勘が鈍ったかしら」

「そういうことではない」


 無愛想な声が、不機嫌に続けた。


「自分の身を守ることを考えろと言っている。若い娘が供も連れず、裏路地をうろつくものではないだろう」


 真剣に紡がれる声に、そんな場合ではないのについ笑ってしまった。むっとした空気を察して、笑いながら謝る。


「ごめんなさい。貴方、とても優しい人だなと思って。通りすがりに助けてくれたあげく、心配してくれるなんて」

「……君はおかしな娘だな」


 困惑したように言って、男はナイフをぽいと側溝に捨てた。それを横目に、彼に近づく。


「ねえ、お礼がしたいわ」

「必要ない」


 そっけなく言って、踵を返してしまう。そのまま去るつもりのようだ。ジークが逃がすまいと袖をつかむ前に、彼はふと思い出したかのように言った。


「君は、とても奇妙で無謀だが。さっきの言葉は正しかった」

「さっきの?」


 きょとんとする彼女を見下ろして、暗紫色の瞳が細くなる。何故か、胸がざわりとした。


「『人殺しの罪からは、一生逃れることはできない』。その通りだ。罪は許されてはならない。一生、背負う他はないのだから」


 海から吹いた風が、ジークの髪と男の衣を揺らす。急速に速くなる鼓動を感じながら、ジークは呆然と『目』を開き、彼の足元を見つめた。


 眩暈がするような、赤。


 音がしないのが不思議なくらいの量の鎖だった。重なり、絡み合い、彼の腰から足先までを覆っている。それはひとつの大きな鎖のようにも、彼を締め上げる赤い蛇のようにも見えた。

 思わず口元を押さえたジークを見る男の瞳が、少し柔らかくなる。


「君には本当に見えるのだな。俺の罪が。一生消えることのない枷が」


 彼は背を向け、振り向かないままで呟くように言った。


「はやく明るい場所に戻りなさい。俺のような人間に関わってはいけない。無鉄砲は控えて、闇には関わらずにいた方が君のためだ」

「待っ……」


 慌てて追いかけようとして、割れた石畳につま先をひっかけてしまう。体勢を立て直した時には、路地の先に男の姿は見えなかった。





 大きな通りまで戻ってきたジークは、眉間にしわを寄せて歩いた。頭の中を占めるのは、もちろん先ほど会った男のこと。

 死神と同様、死に関わる者に絡みつく鎖を、ジークは幼い頃からずっと見てきた。だが、あそこまでの量の鎖が一人を戒めているのは初めて見た。それだけの人間をあの男が殺めたということに間違いはないのだが、まだ信じられずにいる。


 ジークを助けてくれたあの男の優しさを、疑う気にはなれない。でも、尋常でない数の鎖をまとわりつかせていたのも事実。

 何者か、なんてことに興味はない。ただ、彼が気になる。罪の意識に苛まれる横顔も、真っ直ぐにジークを見据えた瞳も。そのどれもを、思い浮かべずにはいられないのだ。


「もう一度、会えるかな」


 ぽつりと呟いたのは無意識で、そんな自分に首を傾げる。


 たったひとつの簡単な言葉にその感情を当てはめるには、ジークの境遇も二人の出会いも、あまりに奇妙なものだった。

 それでも、たぶん。

 これが運命の始まりだったのだ。


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