リクエスト
男は男との関係に潔く、女との関係に複雑で
女は男との関係に潔く、女との関係に複雑である。
(ピーター•クリスチャン•ナイスセン 活動家 冒険家 デンマーク)
今回の名言は、前回の大門君の時に私が大門君があの名言を知っていた事に興味を持ったと書いたところ、誰のどんな名言か知りたいというリクエストが多数寄せられたので、それにお応えしたいと思います。
まず、名言や人物を解説する前に同性愛の歴史について、ミニマム級に、つまり軽くお話ししておこう。
同性愛とは、 男性と男性が、女性と女性が、と同性同士の恋愛であり、近年では、同性同士の結婚を認めている国もある。
しかし、そのような動きが見られるのは、1900年代あたりからだ。
では、それ以前はどうだったのか。
古い文献などには、たびたび同性愛の記述は出て来ており、古代メンソギ帝国や山奥に潜む少数部族イラ、遊牧民ソーウにも同性愛は存在していた。
ただ、世界で初めてされている宗教マームイード教が世界各地で広まるにつれて、同性愛は悪い事として捉えられるようになる。なぜなら、マームイード教は同性愛の存在価値を認めなかったのである。
マームイード教以降の宗教でも同性愛は悪しきものとされた。しかし、宗教自体の勢力?が落ち着くにつれて同性愛を公表する動きが強まってきた。しかし、それでも今までの同性愛は悪しき文化として世界各地で根付いた結果、同性愛者と名乗れば、やはり周りからは不信な目で見られたであろう。
ただ、宗教の落ち着き?と共に、同性愛者の背中を後押しした、もう一つの要因が医学の進歩であろう。
しかし、必ずしも同性愛者=性転換手術をする方程式は成り立たないのだが。
少し話が脱線してきそうなので、
名言とこの人物についての説明をしたいと思う。
まず、ピーター•クリスチャン•ナイスセンは、はっきりとした人物像がわからないのである。
正確にわかっている事は、ピーター•C•ナイスセンという名の人物が世界各地を旅をして、その記録を記したいくつかの日記が見つかっているという事だけである。
その記録には、様々な土地の風習や伝統、神話として語り継がれているものなどを細かく調べた内容が記されている。
特に、学術的に関心が示されたのが、同性愛についての記述だった。
彼は、世界各地を見て回り、同性愛の歴史について探って行った。彼が、始めから同性愛について強い想いがあったのか、旅をするにつれて同性愛に対する興味が湧いたかは、わからない。
しかし、学者達は口を揃えて前者だと言う。それは、彼自身が同性愛だったという見方が強いからである。記述では同性愛を擁護(擁護という言葉が適切かはわからないが)しており、また何故同性愛が良くない対象として捉えられているのかという強い疑問が日記から読み取れるからである。
ただ、面白い発言をしている人物がいる。ピーター•C•ナイスセンを12年にも渡って調べている男だ。
彼は論文でこのように記している。
著者(ピーター•クリスチャン•ナイスセン)が、同性愛という事は多くの文献から読み取れ、ほぼ間違いないだろう。ただ、私は著者(ピーター•クリスチャン•ナイスセン)が男だという点に疑問を持っている。
つまり、彼はピーター•C•ナイスセンを女性と見解したのである。
彼は、唯一タイトルがないピーター•C•ナイスセンの日記を発見し、そこに書かれた内容から、この結論を出した。
そして、その日記にこそ
今回の名言が書かれていた。
また 彼は論文で、このように記している。
彼女(ピーター•C•ナイスセン)は、終始、同性愛については肯定的だった。しかし、この日記からは少し様子が変わっていった。
同性愛自体は認めているものの、女性と女性の同性愛は否定し出したのだ。
これが、一体なにを意味するものか彼は考えた。
そこで、彼が目を付けたのが、ピーター•C•クリスチャンで1番有名な日記『人魚』である。
『人魚』という日記が1番有名と言われても、ほとんどの人は知らないであろう。
ただ、今では当たり前に言われている人魚伝説の謎を解いた内容については、皆さんご存知だろう。
元々人魚とは、上半身は人間で下半身が魚の尾ひれを纏った伝説上の生き物とされてきた。
世界各地(特に西欧)で、その存在が書記や絵で描かれている。
意外と知られていないのが、人魚は女性のイメージが強いが男性の記述や絵も存在している。また、尾ひれが1つ?のイメージがあるが、二股に分かれた絵もある。
もう一つ、人魚が現れるのは不吉な予兆とされている。
とにかく、人魚は伝説上の生き物と解釈されていたが、この『人魚』の日記では、衝撃的な内容が書かれていた。
それが、人魚は同性愛者を表現していたということである。
ピーター•C•ナイスセンは、何故人魚が同性愛者と表していると突き止めたのか。この結論は『人魚』に記されている、ある土地の神話から読み取ったとされている。
ピーター•C•ナイスセンが、ある土地を訪れた時にギョムニという女性から聞かされた話が書いてあるのだが
私はギョムニに連れられて崖の上に行った。そして、ギョムニは今にも落ちそうなギリギリまで立ちながら話し始めた。
「昔、ここで多くの人が飛び降りたの。私の先祖たちは、ここ一帯にいた女性たちの集団に目を付けたの。先祖たちは自分たちの村に彼女たちを招待しようとした。ただ、彼女たちは頑なに拒んだわ。そこで、先祖たちは力づくで彼女たちを襲ったの。1人、また1人。そして、先祖たちは彼女たちのある共通点を知ったの。そう、処女だったの。先祖たちは皆興奮して残った彼女たちを必死で探したわ。そして、彼女たちを、この崖まで追い込んだの。彼女たちは、絶対絶命のピンチに関わらず、全員足首に蔓を巻いて歩けないようにしてたそうよ。先祖たちは降参したかと思い、近づくと彼女たちは、ここから一斉に身を投じたのよ。多分、彼女たちは野蛮な私たちの先祖に決して股を開くものか、という意味を込めて足首を縛ったのよね。そこからは、大変だったらしいわ。違う土地の女の尻を追いかけ回したものだから、独身の女性先祖たちは、飽きれて村を出て行ったり、残った女性を奪いあったり…」
ピーター•C•ナイスセンは、この話を聞いて、人魚の秘密を暴いた。
この『人魚』の話から、人魚の絵は、同性愛者、特に女性が貞操を守っていたのを皮肉を交えて描いたものと解釈されるようになった。
更に、彼女(ピーター•C•ナイスセン)は、この土地こそ世界で始めてとされている宗教マームイード教があったとされている場所であったことも突き止めた。
彼女(ピーター•C•ナイスセン)は、同性愛の歴史、宗教の始まり(同じ思想を持つ集団)、人魚の秘密から今回の名言を書いた。
多分、女性と女性の関係は複雑でなければ人間、男女の関係は成り立たないと感じたのだろう。
唯一タイトルがない無題の日記の最後には、こう書かれていた、
私は、存在しない。と、
同性愛という表現が適切かどうはわからないが、いつの日か、人を愛するという事に
年の差が関係ないように
国境も肌の色も関係ないように
性別が関係なくなる日が訪れるのだろうか。