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敬礼

作者: ガルムン

 照りつける真夏の太陽のあまりの眩しさに、要洋一は思わず目をそらした。

 基地から4時間、蒸し暑いを通り越し、サウナのようになった汽車からやっと開放された体を、大きく背伸びさせる。

 同じ駅のホームを見渡すと、中年ほどの男が、たくさんの人に見送られているのが目に入った。

「清水良一君の出征を記念して、万歳三唱で見送ろう」とおそらく退役軍人であろう老人が、力のこもった声を駅に響かせた。

 男は表情を変えるわけでもなく、ただ悲しそうな目をしてそれを聞いている。

 男の前にたって、泣いている女は、男の妻だろうか。

 その腕には小さな赤ん坊が抱えられていた。

 万歳三唱を体に受けながら、汽車に乗り込んだ男は敬礼をしている。

 それは誰に敬礼しているんだろう。どんな思いがこもっているんだろう。

 生き残れ。

 男を乗せた列車は、遠くへ、遠くへ走っていった。



 長い長い坂を上り切り、久しぶりに故郷に帰って来た要だったが、あまりにも変わり果てたその姿に、思わず息を詰めさせた。

 あたりに建っていたはずの建物が瓦礫の山と化し、残っている建物も黒焦げになった柱だけを、情けなく立てていた。

 おそらく、アメリカ軍の焼夷弾によって焼かれたのだろう。

 3000度の熱で焼き尽くされれば、人も建物も原型をとどめてはいられない。

 彼女の家は大丈夫だろうか――必然的に浮かんできた考えは、彼女の家に向かう足を急がせた。

 しばらくすると、彼女の家が見えてきた。

 焼かれていない。

 安堵してその場に座りたい衝動に駆られていると、不意に後ろから声をかけられた。

「洋一さん?」と消え入るような小さな声でつぶやいた小柄な女性は、要が捜し求めていた人だった。

 振り向いて声をかけようとした幸一は、彼女の姿を見て絶句した。

 手を吊り下げ、目の周りに何十も包帯を巻いたその姿は、あまりにも痛々しく、戦争というものを物語っていた。

 要はその時、言わないで逝こうと決めた。

 俺が彼女を守るんだ。

 敵の空母に突っ込んで、1日でも、1秒でも、守りたい。

 戦争と日常を引き離してあげたい。

 拳を握り締めた要は、誰にも聞こえないよう「絶対」とつぶやいて、誓った。

「実は軍需工場で働いているときに逃げ遅れちゃったんです。またどじ踏んじゃって」

 と、無理に冗談めかして笑う姿が、要には悲しく、そして愛おしく見えた。

 どうしたの、という表情を見せた彼女に悟られないように、無理に笑顔を作ると、

「久しぶりに休暇をもらえたから、一目会いたいと思って」といった。

 彼女は少し頬を赤くすると、「こんなところで話すのもなんですから上がってください」と自宅を指差した。

「……実はすぐ行かなくちゃならないんだ」とゆっくりとかみ締めるように要は言った。

「家族と待ち合わせているから行かなきゃだめなんだ」

 要は嘘を重ねた。

 家族はみんな死んでいる。会いたい人もいなかった。

 ただ、これ以上彼女を見ているのがつらかったのだ。

 戦争によって変えられていく彼女を。

「じゃあ、もう行くね」と言った要を、彼女が「待って」と呼び止めると、なにか布を抱えて走ってくる。

「これ、千人針です!と言ってもほとんどは私が縫ったんですけどね」と笑いながら要に渡した。

 要は、「ありがとう」とだけつぶやくと、敬礼をした。

 生きてくれ、という願をこめた別れの敬礼を。

 彼女はそれを見て、笑顔で敬礼を返した。

 ぎこちない動きをしながら、怪我をしていない手を、額にあてる。

 その敬礼は、どんな思いがこめられているんだろう。

 その日の空はとても蒼く、澄んでいた。


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