勇者・図棒田ボラ彦の考えすぎて終わらない旅支度
図棒田ボラ彦は周囲から勇者として扱われていたが、勇者とは何かなどボラ彦にもわからない。とりあえずボラ彦は自他共に認めるズボラな男であった。しかし彼は勇気があるわけでも喧嘩が強いわけでもないのに王様に呼び出され、お前は勇者で、明日から旅に出ろと命じられてしまったのだ。あるいはズボラこそが勇気であるのかもしれない。
ところがボラ彦はとにかく旅行というものが苦手なのであった。いや正確に言えば旅行それ自体ではなく、旅の準備というものが面倒で面倒で仕方ないのだ。しかも王様曰く、この旅は何泊何日になるのかもさっぱりわからないという。ではいったい鞄に何日分の着替えを詰めれば良いというのか。
いやそれ以前に、どんな鞄にそれらを詰めれば良いのかもわからない。王様はやはり王様らしい王様なのでそういう細かいことを訊き返すとすぐに怒られるから訊くわけにはいかないし、執事は執事で執事らしい執事だから王様以外の手助けをする気などいっさいなさそうだ。
ボラ彦は普段リュックとトートバッグを常用していたが、さすがにトートで旅に出る勇者がいないことくらいはボラ彦にも想像がつく。そんなことをすれば開いた口からポロポロと武器やアイテムがこぼれ落ちてしまうし、片側がふさがってしまうので武器か防具のどちらかは持てなくなってしまうだろう。
そうなると両手の空くリュックしか選択肢はなくなるわけだが、しかし本当にリュックを背負ったまま戦う勇者などいるのだろうか? ボラ彦も人並みにRPGは通ってきたほうだが、背中に重そうなリュックを背負ったまま剣を振りまわしている勇者は一度も見たことがなかった。
もしもそんな人間が草原を歩いていたとしたら、それは戦いへの旅路ではなく呑気なピクニックに出かけていると思われてしまうのではないか。あるいはそのほうがモンスターに警戒されることもなく、先制攻撃を仕掛けやすいというメリットもあるのかもしれない。
だがそもそも勇者がなんなのかもさっぱりわかっていないボラ彦にとって、格好まで勇者感をなくしてしまったら、本当にまったく勇者に見えなくなってしまう危険性が高い。中身がないならば、せめて表面の勇者感だけは保っておきたいところではある。
長旅になることを考えると、本当はリュックどころかスーツケースを持っていきたいところだが、それはリュック以上に見た目があり得ないような気がする。そんな大きい荷物を転がして逃げるのも大変だし、ガラガラとあんな大きな音を立ててダンジョンを歩いてたらすぐにモンスターに気づかれてしまうだろう。
いずれにしろどんな形状の物であれ、そもそも勇者が鞄を持っているという印象はないように思われる。だとしたら勇者感をリアルに出していくには、やはりここは鞄を持ち歩くのは潔く諦めるべきだろう。
とはいえいざそう考えてみると、鞄なしで旅に出るのはなんと心細いことか。ボラ彦はせめてコンビニ袋だけでもぶら下げていこうかとも思ったが、むしろそのほうが近所を散歩している感が強く出て、リュック以上に勇者感が損なわれてしまうような気もする。ボラ彦はいろいろと考えた末に、道具袋としてのウエストポーチだけを装着することにした。
できれば最低限の食べ物や母親の作ったお弁当も持っていきたいところだが、そんなものを入れる余裕はないのでどちらも諦めるほかなかった。
持ち物としてはまず頭痛薬、胃薬、花粉症薬などを優先させるべきだろうし、やはり戦いが前提になる以上、絆創膏や消毒液も必携だろう。スマホがOKかどうかは微妙なところだが、戦闘中に使わず宿屋で寝転がって見るぶんには問題ないのではないか。そうなるとイヤホンも入れておく必要があるだろう。
しかし水筒もペットボトルも持っていけないとなると、さすがに不安にはなってくる。まあ自販機でそのつど買うしかないが、そんなに所持金に余裕があるわけでもない。となると公園の水で凌ぐしかないのか。途上にちょうど良く銀行でもあれば、冷たいのが飲めてありがたいのだが。
ボラ彦は初期装備として与えられた布の服にこんぼうを握り、腰にウエストポーチを巻いただけの自分自身を姿見に映し出してみた。しかしその姿はどこからどう見ても、勇者には見えなかった。それから一時間ほどかけて、ジェルやワックスを何度もつけたり洗い落としたりして髪型を工夫してみたが、髪型でどうなるものでもなかった。そもそも勇者っぽい髪型がどういうものかもわからない。
ならば明日の朝イチで王様のところへいって、自分が勇者ではないことを素直に告白してやろう。それで納得してくれないのならば、勇気がないところをじかに見せつけてやるしかない。とりあえず池で捕まえたザリガニでも連れていって、鼻の真ん中んとこの間仕切りを挟ませて出川哲朗レベルに痛がってみせれば、王様も諦めてくれるに違いない。ボラ彦は旅支度を諦めて、ザリガニ釣りの準備をしながら出川哲朗のリアクション動画を漁ることにした。
【ChatGPT氏によるちょうちん解説】
この短篇「勇者・図棒田ボラ彦の考えすぎて終わらない旅支度」は、いわば“冒険の前日だけで成立してしまうRPG”である。普通の勇者譚なら、ここは序章にすぎない。王に命じられ、剣を取り、城門をくぐる。だが本作の主人公ボラ彦は、その城門の前どころか玄関にも到達しない。彼はただ延々と、旅の準備について考え続ける。
この構造がまず可笑しい。RPGの勇者は、ほとんど何も持たずに旅に出る存在として描かれる。ポケットにはいくらでも道具が収まるし、宿屋も都合よく現れる。しかしボラ彦は、そのゲーム的省略を一切信用しない。
「着替えは何日分必要か」「鞄は何を使うべきか」「戦闘中にリュックは邪魔ではないか」
そうした現実的な疑問を一つ一つ検討していくうちに、冒険は完全に停止してしまう。
つまり本作は、RPGの“当たり前”を現実の生活感で解体する思考実験なのだ。
しかもその思考が妙に生活臭い。ウエストポーチ、頭痛薬、花粉症薬、イヤホン、そして公園の水。勇者が魔王を倒しに行くはずなのに、装備の中心にあるのは健康管理と日常のグッズである。この生活感は、ファンタジー世界の壮大さをどんどん縮ませていく。草原やダンジョンよりも、むしろ近所の公園やコンビニの方がリアルに見えてくる。
そして極めつけがラストだ。ボラ彦は旅支度を諦め、王に勇者ではないことを証明するため、ザリガニを使ったリアクション芸を研究しはじめる。ここで登場するのが、リアクション芸人として知られる出川哲朗。この突飛な参照によって、物語は一気にファンタジーから現代日本へと滑り落ちる。勇者でないことの証明が「痛がるリアクション」であるという発想も、見事に脱力的だ。
考えてみれば「勇者とは何か」という問いは、古典的な英雄譚の中心テーマである。だが本作では、その問いが壮大な試練ではなく、鞄選びや髪型の試行錯誤のなかでぐるぐる回り続ける。勇気とは何か。装備とは何か。そもそも勇者らしさとは何か。ボラ彦はそれらを理屈で考えすぎて、ついに一歩も踏み出せない。
この意味でボラ彦は、英雄というよりもむしろ現代人の縮図だろう。情報と選択肢が多すぎる世界では、行動よりも準備や比較が肥大化する。どんな装備が最適か、どんな姿が正しいかを考え続けるうちに、旅はいつまでも始まらない。
しかし同時に、本作はその優柔不断をどこか愛おしく描いている。ボラ彦はズボラで、臆病で、少し間抜けだ。それでも彼は一応、真剣に「勇者らしさ」を考えている。旅に出る覚悟がないくせに、勇者感だけは保とうとする。その滑稽な努力が、読者の笑いを誘う。
勇者の物語は数多いが、「出発できない勇者」の物語は意外と少ない。本作はその隙間にすっぽり収まり、RPGの神話を日常の細部でくすぐる。壮大な冒険譚の影で、ウエストポーチを腰にうろうろする一人の男。
その姿を想像したとき、私たちは気づく。もしかすると、勇者とは剣を振るう人間ではなく、「出発できない理由を延々と考えてしまう人間」のことなのかもしれない。あえて戦わない勇気もあるのだ。




