第7話 商人ギルドの横暴。スラムのゴミに課せられた重税。俺の小さな居場所が奪われる
前話、レンは廃棄物の中から生存の種を拾い上げ、三日分の宿代という「安全マージン」を確保した。しかし、スラムにまで伸びる商人ギルドの強欲な触手が、彼の緻密な計算を即座に狂わせ始める。……さて、今回の取引は、法を武器に略奪を正当化する者たちとの対峙です。
午前四時。
薄暗い安宿の部屋に、意識が浮上する。
俺は微動だにせず、まず耳を澄ませた。扉の隙間に仕掛けた『鉄棘の残骸』を用いた警報トラップが、沈黙を守っていることを確認し、ようやく上体を起こす。
「……予定通りだ。一秒の狂いもない」
昨夜、眠りに落ちる直前に『解析』でロードした工程通りに身体を動かす。
ギシギシと悲鳴を上げるベッドから降り、手早く所持品を点検した。
腰の『ナイフ』
『硬い黒パン』
そして、二枚の『銀貨』と九枚の『銅貨』
「……生存マージンは三日分。だが、これでは足りない。等価交換の秤を釣り合わせるには、圧倒的に資本が不足している」
机の端に置かれた『ギルドの最終通告書』が、剥げた塗料のように忌々しく俺を見つめている。追放、破産、そしてスキルの実質的な凍結。俺から全てを奪った連中への負債を清算し、この能力を真に俺の支配下に置くためには、もっと金がいる。
今日の目標収益は、銅貨八枚以上。
俺はトラップを慎重に解除し、鉄棘を懐に収めた。接触しなければ発動しないスキルの特性上、常に何らかの資材を手元に置いておく必要がある。
「接触。解析。変換。すべては効率のためにある」
ボロ布のような上着を羽織り、俺は部屋を出る。
腐敗臭と冷気が混ざり合う廊下を通り、安宿の主人と顔を合わせることもなく表へ出た。
スラムの朝は早い。だが、今日の空気は昨日とは違っていた。
「……妙だ。巡回兵の数が増えている」
処理場へ向かう道すがら、街角に立つ武装した男たちの姿を捉える。
彼らの胸元には、見覚えのある――そして吐き気を催すほどに傲慢な、王都商人ギルドの紋章が刻まれていた。
「あの紋章……。嫌な予感がするな。俺の計算を狂わせる因子でなければいいが」
俺は足早に、目的の廃棄物処理場へと向かった。
未回収の債務、そして「等価交換」の理論構築。やるべきことは山積みだ。まずは予定通り、一次選別による収益確保から開始する。処理場へと続く裏路地は、朝霧というにはあまりに濁った灰色の煙に覆われていた。肺に吸い込むたび、喉の奥が鉄の錆びたような味で満たされる。
「……予定より三分遅い。兵士の検問を避けるための迂回ルートが、計算よりぬかるんでいた」
足元の泥がナイフの鞘を汚すが、今は構っていられない。目指すのは、スラムの最深部に位置する廃棄物処理場。王都の繁栄が排泄した「ゴミ」という名の資源が集積する場所だ。
ゲートの前には、すでに数十人の「屑拾い」たちが列を作っていた。誰もが凍てつく寒さに身を縮め、飢えた獣のような目で開門を待っている。
「競争率は昨日よりも一割高い。だが、俺の「解析」があれば、価値のある残骸を抽出するのは造作もないことだ」
俺は無言で列の末尾に加わり、右手の感覚を確かめた。微かな熱。まだ「それ」は眠っている。
昨日、指先の感覚が麻痺するまで廃棄山を漁り、ようやく手にした銀貨二枚。それが俺の現在の全財産であり、十日間の『生存限界』だ。一泊の宿代と泥水のようなスープ、それに最低限の資材。それらを差し引いた残高は、不測の事態一つで容易に消失するほどに脆い。
「……甘いな。この程度の備えでは、奴らの理不尽に抗うどころか、餓死を先延ばしにするのが精一杯だ」
俺を追放した商人ギルドの連中が、法の隙間を突いて俺の息の根を止めに来ない保証はない。だからこそ、今日はさらなる備蓄が必要だ。計算上の余裕は、生存確率の向上に直結する。
指先が冷える。胃の奥が、鋭い空腹で鳴った。
列に紛れながら、周囲の観察を継続する。隣に立つ男の頬は不自然にこけ、眼球だけが飢餓感でギラついている。昨日よりも確実に、この場の「絶望の密度」が上がっている。原因は明白だ。通路を塞ぐように配置されたギルドの巡回兵たち――その手には、普段は見かけない重い徴税袋と、何らかの数値を測定するための『真鍮製の計器』が握られていた。
巡回兵が列の一人に乱暴な言葉を浴びせ、懐を執拗に探っている。
「……単なる警備じゃない。奴らは何かを「選別」し始めているな」
ギルドの紋章が、この汚濁した空気の中で唯一、異常なまでの清潔さを保って輝いている。その傲慢な光を見るたび、俺の胃の腑は焼けるような嫌悪感に支配される。不確定要素の増大。俺の生存戦略に、また一つ修正が必要になりそうだ。
鉄格子が悲鳴を上げ、ようやく俺の番が来た。
受付のボロ机に鎮座するのは、この廃棄物処理場の実質的な支配者である「親方」だ。赤銅色に焼けた顔には深い皺が刻まれ、その奥の瞳には、冷え切った怒りと、泥のような諦念が混濁していた。
「……おい。今日は引き返せ、ガキ」
親方は俺を視界に入れるなり、湿った声で警告を発した。その視線は俺ではなく、背後の巡回兵に向けられている。
「理由を聞こう。俺の予定表に『引き返す』という項目はない」
俺の問いに、親方は忌々しげに唾を吐いた。
「ギルドの狗どもが、新しい『徴税ルール』をぶら下げて来やがった。今日からゴミの一次選別品にまで、三割の『環境保全税』を上乗せするそうだ。おまけに、銅貨一枚以下の端数は切り上げだとよ」
親方の拳が、使い古された机の端を軋ませる。それは理不尽な上位存在に対する、弱者の無意味な抵抗の象徴だ。
「……三割。さらに端数切り上げか。奴らの搾取ロジックは、常に生存限界のわずか上を狙ってくる」
俺の胃の奥で、冷たい計算機が火花を散らす。銅貨八枚という目標収益は、今この瞬間に『銅貨十二枚』へと跳ね上がった。
「……忠告に感謝する。だが、入らせてもらうぞ」
俺は親方の視線を真っ向から受け止め、ゲートへと足を踏み出した。
処理場の中央、ゴミの山が成す歪な影を割って、その「異物」は現れた。
泥と煤にまみれた屑拾いたちとは対照的な、不自然なほど白い絹の外套。王都商人ギルドから遣わされた徴税官だ。その両脇には、抜き身の剣を誇示する重装の護衛が二名、威圧的な足音を響かせている。
「どけ、汚らわしい」
護衛の一人が、掲示板の前にいた老人を乱暴に突き飛ばした。
徴税官は、香水を染み込ませたハンカチで鼻を押さえながら、羊皮紙の一枚を無造作に掲示板へと叩きつける。その最上部には、俺の人生を破壊した、あの傲慢なギルドの紋章が刻まれていた。
「……法という名の暴力、あるいはルールという名の略奪。奴らは、俺がかつて捨てたゴミにまで『所有権』を主張するつもりか」
槌が釘を打ち込む乾いた音が、冷え切った空気の中で鋭く反響する。徴税官の冷淡な眼差しが、周囲に広がる廃棄物の山を、金貨の山へと書き換えるように値踏みし始めた。
徴税官が胸元から、鈍い銀色に輝く円錐状の魔導具を取り出した。起動に伴って空気がわずかに震え、不快な高周波のノイズが鼓膜を刺す。
「静粛に。王都商人ギルド、ならびに管理当局からの追加通達である!」
拡声魔法によって強制的に増幅された声が、廃棄物の山に反響してスラムの隅々まで行き渡る。
俺は無言で、掲示板に貼り出された羊皮紙に視線を固定した。
視界の端で、無機質な文字列が明滅を始める。スキル『解析』。それは対象の物理構造だけでなく、その背後に潜む『法理』という名の演算回路をも暴き出す。
「……吐き気がするな。条文の端々に、弱者の余剰分を効率的に吸い上げるための『最適化』が見て取れる」
徴税官が動き出した。彼は手元の羊皮紙をなぞりながら、列の先頭にいる男へ、事務的な歩調で詰め寄る。
「労働登録の更新料だ。それと新設の治安維持賦課金だ。合わせて銅貨二枚を供出せよ」
徴税官の視線が、値踏みするように俺の全身を舐める。その瞳は、俺を人間としてではなく、効率的に絞り取るべき資産としてのみ捉えていた。
俺は無言で、懐から手垢のついた銅貨二枚を取り出した。
掌に残ったのは、冷たい空気と、使い古された銅の不快な金属臭だけだった。
徴税官が満足げに顎をしゃくり、絹の外套を翻して去っていく。後に残されたのは、肺にこびりつくような沈黙と、重油のように粘つく絶望の気配だけだ。
俺は感情を殺し、ただ機械のように身体を動かした。奪われた分は、労働で埋め合わせるしかない。
日が暮れるまで、俺は廃棄物の山と泥にまみれ、指先の皮が擦り切れるまで「価値」を探り続けた。だが、増税の影響は市場の末端価格にも波及し、今日の収益は想定を大きく下回るものだった。
足元を泥に汚しながら、俺は這うようにしてスラムの安宿へと戻った。
三畳ほどの狭い部屋には、カビの臭いと、冷え切った静寂だけが溜まっている。
俺は懐から、シワの寄った『ギルドの最終通告書』を取り出し、欠けた机の上に広げた。
「……不均衡だ」
法という名の重りが、俺の天秤を一方的に叩きつけている。
今回は「回収権利金」という、支配者が法理を捻じ曲げて利益を貪る構造を描きました。権力者がルールを定義する側に回った時、感情的な反抗は破滅を招くだけの非合理な選択肢となります。レンが支払った「二枚の銅貨」は、屈服の証ではなく、敵のアルゴリズムを読み解くための観測コスト。歪んだ天秤を正すための逆転の計算は、ここから始まります。




