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第4話 ギルドに見捨てられた男の再就職。仕事はスラムのゴミ拾いだが、文句を言う暇などない

追放されたエリート商人が次に選んだ戦場は、王都の排泄物、スラムの処理場でした。前回、荒野での夜を「等価交換」の力で辛うじて凌いだレン。しかし、疲弊した身体と空腹はもはや限界に達しています。さて、今回の取引は――銀貨一枚を掴むための、泥にまみれた「労働契約」です。

配置を終えた瞬間、視界がわずかに歪んだ。鉄棘の残骸が岩肌を擦る音が、夜の荒野に溶けていく。


「……これでいい。完璧な防壁に程遠いが、接近を検知する鳴子代わりにはなる」


簡易防衛線を構築し、俺は岩陰の奥へ体を滑り込ませた。全身を襲うのは、鉛を流し込まれたような倦怠感だ。疲労レベル3。酷使した『等価交換』の代償は、想像以上に体力を削り取っていた。


不快な魔力汚染の混じった風が、岩の隙間を吹き抜ける。微かな音に集中しながら、俺は深く重い眠りに落ちた。


……目が覚めたのは、赤茶けた朝日が差し込んだ頃だった。


体中の節々が悲鳴を上げている。だが、動かなければ死ぬだけだ。俺は懐から『硬い黒パン』を取り出した。石のように固いそれを、唾液でふやかしながら時間をかけて咀嚼する。胃の腑に熱が灯ると、脳の霧がわずかに晴れた。


「破産と追放への対処として、まずは一日。生存を確認した」


現状を分析する。ここでの野宿は一時的な凌ぎに過ぎない。水も食料も底を突きかけている。組織に属さず、かつ俺のような『無能』の烙印を押された人間が、即座に現金を稼げる場所は限られている。


思考の演算結果は、一つの目的地を示していた。


「スラムの処理場か……。あそこなら、誰にも邪魔されずに『価値』を拾い上げられる」


王都が排泄したガラクタの山。魔道具の残骸や汚染された廃棄物が堆積するその場所は、今の俺にとって唯一の市場だ。


俺は使い古されたナイフを腰に差し直し、鉄棘の隙間を抜けて歩き出した。目指すは王都の最下層。商人としてのプライドは、昨夜の寒さと空腹ですでに擦り切れている。今はただ、銀貨一枚の重みを手に入れるために、泥の中に手を突っ込む覚悟を固めていた。


(現在のステータス:拠点防衛線構築済み/食料残りわずか/疲労継続)足を踏み出すたびに、膝の裏に痺れるような鈍痛が走る。


「……くそ、やはり『等価交換』の反動が重いな」


疲労レベル3。その数字は伊達ではない。視界が時折白く明滅し、平衡感覚が狂っている。俺は昨日配置した防衛線を慎重に跨ぎ越した。

胃の奥に押し込んだ黒パンの欠片は、まだ血肉に変わる気配もなく、ただ重石のように胃壁を圧迫している。乾いた喉の痛みだけが、生の実感を鋭く突きつけてくる。


「まずは一歩だ。止まれば、次は二度と動けなくなる」


荒野の乾いた風を肺に吸い込み、無理やり思考を回転させる。処理場までの距離と残存体力を天秤にかける。生存の確率は、まだゼロではない。


このまま荒野を彷徨えば、三日以内に魔力枯渇か脱水で野垂れ死ぬ。俺の演算が導き出す生存率は、現時点で一五%を割っていた。野宿の継続は、死へのカウントダウンを早めるだけの愚策だ。


熱せられた砂が靴底を通して足裏を焼く。


スラムの処理場は、王都の循環から切り捨てられた「負の集積所」だ。錬金術の失敗作や破損した魔導回路は、一般人には有害な産廃に過ぎない。だが、俺の『等価交換』を通せば、それらは再利用可能な資源へと還元できる。社会の最底辺こそが、今の俺にとって唯一の市場だった。


一歩踏み出すごとに、膝が嫌な音を立てる。


「……効率を考えろ。無駄な苦痛は体力を削るだけだ」


自分を冷徹な演算機の一部として定義し、俺は泥濘のような疲労の中を歩き続けた。陽炎の向こう、王都の巨大な排気塔が歪んだシルエットを現し始めている。


境界線を越えると、空気の質が劇的に劣化した。

鼻腔を突くのは、生ゴミが発酵したような粘つく腐敗臭だ。それに混じって、肺の奥を焼く微かな電気の味がする。錬金術の廃液が気化した魔力汚染の霧――王都の繁栄が排泄した毒そのものだ。


「……呼吸するだけで寿命が削れるな。だが、この毒気の濃さが『宝の山』が近い証拠だ」


視界は鉛色の煙に覆われ、湿った路地裏には正体不明の汚水が澱んでいる。俺は口元をボロ布で覆い、さらに歩を進めた。重苦しい大気が、疲弊した皮膚に容赦なくまとわりついてくる。


ついに視界が開けた。そこに広がっていたのは、王都の「胃袋」が吐き出した汚物の終着駅だ。

『スラムの処理場』。

見上げるほどの高さに積み上がったガラクタの山が、複雑に折り重なる影を作っている。歪んだ真鍮の管、ひび割れた魔導結晶、用途不明の歯車――。かつて誰かの生活を支えたはずの道具たちが、ここでは等しく「重さ」を持つゴミとして沈黙していた。


「……壮観だな。これらすべてが、誰かの失敗の残骸だ」


肺を焼くような、鉄錆の混じった風が吹き抜ける。


霧の中に、幾つもの人影が蠢いているのが見えた。


彼らも俺と同じ、社会の余剰品に過ぎない。煤けた布を纏った労働者たちは、言葉を交わすこともなく、一心不乱に地面を漁っている。金属同士が擦れ合う乾いた音だけが、絶え間なく響いていた。彼らの瞳には、もはや明日の希望など宿っていない。


ただ今日を生き延びるための、鈍い執着だけがそこにあった。


俺は汚れた指先を一度だけ握り込み、最も巨大な廃棄物の山へ向かって足を踏み出した。


山積みのガラクタが形成する迷宮の入り口に、腐りかけた木材を継ぎ接ぎしたような管理小屋があった。周囲に漂う金属の腐食臭とは別に、そこからは古い紙と獣脂の混じった、官僚的な停滞の匂いが漂っている。

俺が歩を進めるたび、泥濘が靴底にまとわりつく。


視界の端で、残骸を漁っていた労働者たちが一斉に動きを止める。煤けた顔に貼り付いた濁った瞳が、新参者の力量を測るように俺の全身を舐める。剥き出しの敵意が、毒針のように皮膚を刺した。


「……無駄な威嚇だ。俺にはお前たちの縄張りを奪う余力も、その価値も興味もない」


彼らにとって、見慣れぬ身なりの俺は分け前を減らす不快なノイズに過ぎない。チリつく肺の痛みに小さく舌打ちし、俺は一度も視線を返すことなく小屋を目指した。一秒でも早く、この市場への入場権を確保する必要がある。


小屋の影に、丸太のような腕を組んだ巨漢が座っていた。顔面を縦に走る深い傷跡が、男の威圧感を増幅させている。俺はその前で足を止めた。


「……ここで働きたい。仕分けの口はあるか」


男は重い腰を上げると、俺の汚れきった服――だが、生地の良さが残る商人の端くれとしての装いを、値踏みするように見た。


「ほう、落ちぶれた坊ちゃんか。この掃き溜めがピクニック会場にでも見えたか?」


男は鼻で笑い、黄色い歯を剥き出しにする。


「死体役なら空きがあるぜ。立っていられりゃの話だがな」


露骨な嘲笑。だが、俺は無反応を貫く。感情の起伏は、体力を浪費するだけの不純物でしかない。


「死体になれば、管理の手間が増えるだけだろう。あんたの仕事は、効率的な廃棄物の分類のはずだ。俺をその『部品』として計算しろ」


俺は男の嘲笑を、石壁を叩く乾いた風のように聞き流した。一歩前へ踏み込み、わざと魔力汚染の濃い霧を肺の奥まで吸い込んでみせる。


男は俺の瞳の奥を覗き込もうとするように顔を寄せ、低く笑った。


「減らず口を。……いいだろう、日給は他の連中の半分だ。成果が出なきゃその瞬間に首を撥ねて放り出す。文句はあるか」


「ない。端数を切り捨てるのは管理側の権利だ」


巨漢は鼻を鳴らすと、足元に無造作に置かれていた黒ずんだ金属の塊を、宣告代わりに放り投げた。


「……っ」


空気を割る鈍い音が迫り、俺は反射的に両手を差し出す。受け止めた瞬間、ずしりとした重みが疲弊した手首に突き刺さった。

それは、使い古された鉄の鉤爪だった。


「あそこだ。新入りは『黒い尾根』の裾野を攫ってろ」


男が指差した先には、他を圧倒する高度でそびえ立つ廃棄物の巨嶺があった。

俺は重い鉄の鉤爪を引きずるようにして、その麓へと向かう。一歩ごとに土埃が舞い、肺に鉄の味が広がる。


鉄の鉤爪の、ざらついた感触が掌に食い込む。


一振りを繰り出す寸前、脳裏の断層に場違いな記憶が滑り込んだ。つい数日前まで俺が踏みしめていた、王立商人ギルドの応接室――歩くたびに足首が埋もれるほど毛足の長い、深紅の絨毯の感触だ。静寂を演出する高い天井と、最高級の香の匂い。


あの温室のような静寂は、もうどこにもない。俺の足裏が今捉えているのは、泥濘と腐った鉄が混じり合う、不快な拒絶の感触だけだ。


一日生き延びた事実だけが、俺の帳簿に残った唯一の黒字だ。だが水も食料も底が見えている以上、次は「所属」か「現金化」しかない。演算結果は、王都が吐き出す最終処理場――スラムの廃棄物ヤードを指した。あそこなら、価値の定義が壊れている分だけ、拾える利益もある。問題は、利益を拾う前に、俺がそこで“回収される側”にならないかどうかだ。

かつての豪華な絨毯を捨て、煤と鉄錆にまみれることを選んだレン。彼にとって感情は演算を狂わせる不純物であり、生存こそが唯一の正解です。鉄の鉤爪という新たな「ペン」を手に、彼は無秩序なゴミの山に潜む価値を解析し始めました。社会の最底辺という名の市場で、商人の再起が始まります。

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