第3話: 聖女の笑顔
翌日。
朝から、俺はそわそわしていた。
エリシア——聖女が、また来ると言ってくれた。
本当に来るのだろうか。昨日のことは、夢じゃないだろうか。
「......落ち着け、俺」
自分に言い聞かせながら、俺は今日の仕込みを始めた。
朝のパンを焼き、スープの下ごしらえをする。いつもと同じ作業のはずなのに、なぜか手が震える。
聖女だ。
伝説のS級冒険者。
そんな人が、俺の店に来てくれる。
「......美味しい料理を作ろう」
俺は深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。
料理人として、できることをするだけだ。
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昼過ぎ。
カラン。
扉の鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ」
俺は顔を上げた。
そこには——昨日と同じように、白いフードを被った女性が立っていた。
「......来ました」
エリシアだ。
本当に来てくれた。
「お待ちしていました。どうぞ、お座りください」
俺は笑顔で迎えた。
エリシアは昨日と同じ、一番奥のテーブルに座った。
「今日のおすすめは何ですか?」
「今日は、特製オムライスとコンソメスープがおすすめです」
「では、それをお願いします」
「かしこまりました」
俺は厨房に戻って、丁寧にオムライスを作り始めた。
まず、玉ねぎと鶏肉を炒める。バターの香りが厨房に広がる。ご飯を加えて、ケチャップで味付け。
そして——『神聖料理』スキルを発動する。
ご飯が淡く輝く。香りが一層豊かになる。
次に、卵を溶いて、フライパンに流し込む。薄く広げて、半熟の状態で火を止める。
ケチャップライスを乗せて、優しく包む。
完成だ。
コンソメスープも、丁寧に仕上げた。野菜の甘みがしっかりと溶け込んでいる。
「お待たせしました」
トレイを運んで、エリシアの前に置く。
オムライスの上には、ケチャップで小さなハートを描いた。
「......綺麗です」
エリシアが、フードの下から微かに笑った気がした。
彼女はフォークでオムライスを一口切って、口に運んだ。
ふわりとした卵と、香ばしいケチャップライス。
「......美味しい」
エリシアは目を細めた。
「昨日のミルクティーも素晴らしかったですが、これも......本当に美味しいです」
「ありがとうございます」
俺は嬉しくなった。
料理人にとって、「美味しい」という言葉ほど嬉しいものはない。
エリシアはゆっくりと、丁寧にオムライスを食べ続けた。そして、スープも一滴残さず飲み干した。
「ごちそうさまでした」
彼女は満足そうに息をついた。
「......あの」
エリシアが、少し躊躇うように口を開いた。
「何でしょうか?」
「少し、お話ししてもいいですか?」
「もちろんです」
俺はカウンターに戻って、エリシアの方を向いた。
店には他に客がいない。静かな午後だった。
「私、実は......あまり外に出られないんです」
エリシアが静かに語り始めた。
「聖女として、常に人の目にさらされています。どこに行っても、注目されて、期待されて......」
その声は、少し寂しげだった。
「だから、こうして普通に食事をすることも、あまりできなくて」
「......そうなんですか」
「でも、ここは違います」
エリシアは顔を上げた。フードの下から、碧色の瞳が俺を見つめている。
「ここでは、私はただの客です。聖女ではなく、ただの一人の女性として、あなたの料理を楽しむことができます」
その言葉に、俺は胸が熱くなった。
「それは......嬉しいです」
俺は笑顔で答えた。
「俺も、聖女様としてではなく、一人のお客様として、エリシアさんに料理を楽しんでもらいたいです」
エリシアは、ゆっくりとフードを脱いだ。
金色の長い髪が、光を受けて輝く。
「ありがとうございます、カイトさん」
彼女は、初めて心から笑った。
その笑顔は——昨日見たどんな笑顔よりも、美しかった。
「あの、もう一つお願いがあるんです」
エリシアが恥ずかしそうに言った。
「何でしょう?」
「もし良ければ......デザートも、いただけませんか?」
「もちろんです」
俺は厨房に戻って、今朝焼いたアップルパイを温めた。
シナモンの香りが広がる。リンゴの甘みと酸味が絶妙なバランスだ。
バニラアイスを添えて、エリシアの前に置く。
「これは......アップルパイですか?」
「はい。今朝焼いたものです」
エリシアはフォークでアップルパイを一口切って、口に運んだ。
サクサクのパイ生地と、とろりとしたリンゴ。そして、冷たいアイスクリーム。
「......幸せです」
エリシアは目を閉じた。
「こんなに美味しいものを食べたのは、初めてかもしれません」
その言葉を聞いて、俺は心の底から嬉しくなった。
追放されて、全てを失ったと思っていた。
でも——今、目の前にいるこの人を笑顔にすることができる。
それだけで、俺は料理人として、生きている意味があると感じた。
「カイトさん」
エリシアが静かに言った。
「私、毎日来てもいいですか?」
「え?」
「あなたの料理を、毎日食べたいんです」
聖女が、毎日俺の店に来てくれる。
信じられない。
でも——嬉しかった。
「もちろんです。毎日、お待ちしています」
俺は笑顔で答えた。
エリシアは、本当に嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。それでは、また明日」
彼女はフードを被り直して、立ち上がった。
カウンターに銀貨を一枚置く。
「あ、お釣りを——」
「お釣りは結構です。本当に、素晴らしい料理でした」
エリシアは店を出ていった。
カラン。
鐘の音が響く。
俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
銀貨一枚。
普通のカフェの食事なら、銅貨十枚もあれば十分だ。
でも、エリシアは銀貨を置いていった。
それは、彼女の気持ちの表れなのだろう。
「......明日も、頑張ろう」
俺は静かに呟いた。
エリシアの笑顔を、もう一度見たい。
そのために、俺は最高の料理を作り続けよう。
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その夜。
俺は店の片付けをしながら、今日のことを思い返していた。
エリシアの笑顔。
「幸せです」という言葉。
「毎日来てもいいですか?」という問いかけ。
全てが、夢のようだった。
でも、夢じゃない。
カウンターには、エリシアが置いていった銀貨がある。
これは、現実だ。
「俺は、間違っていなかった」
俺は静かに呟いた。
勇者パーティーから追放されて、全てを失ったと思っていた。
でも——今、俺にはこの店がある。
そして、エリシアという、俺の料理を心から喜んでくれる人がいる。
「ありがとう、エリシア」
俺は窓の外を見た。
夜空には、星が輝いている。
明日も、きっといい日になる。
そんな予感がした。
カフェ『エリュシオン』の物語は、まだ始まったばかりだ。




