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よくある婚約破棄――そしてそれに伴う責任の取り方

 三カ月後に卒業を控えたこの日、学園内の広間では生徒会の主催する夜会が開かれていた。

 学生の手による催しとはいえ、その形式は本格的で、原則として婚約者同伴。未婚の者は親族をエスコートに、夜会を楽しむのが通例だ。


 貴族の子女にとっては社交界デビューの予行演習であり、特待生として入学した平民の生徒たちは、貴族の振る舞いを間近に見る貴重な機会でもある。

 そんな優雅な時間のなか、広間に王太子アルセインの声が突然響き渡った。


「皆、聞いてくれ。本日、セラフィナ・グレイスフォード公爵令嬢とリディア・オルレアン伯爵令嬢との婚約を破棄した。代わってデル国の王女イサリナを正式な婚約者とする」


 それまで和やかに歓談したり、美味しい料理に舌鼓を打っていた者達がぴたりと動きを止め、広間の中央に立つアルセインを注視する。


「殿下、いったいどういう事でしょうか?」


 将来王太子の補佐として立つ宰相の子息が、怪訝そうに問いかけた。


「そのままの意だが?」


 宰相子息は二人の令嬢へ視線を向けるが、二人とも扇を口元に当てたままぴくりとも動かない。

 アルセインはデル王国の王女と結婚すると宣言した。

 だがその本人、イサリナ王女の姿はない。


「既に婚約の証書にサインを済ませた。我が国は安泰だ!」


***


「しかし、よろしかったのですか殿下」

「父上と母上は説得する」


 不安げな声をかけた側近に、アルセインは胸を張って応じた。


「新たにデル国の王女と婚約を結んだ理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「仕方ない。愚かなお前達にも分かるように教えてやる」


 自信満々に語られる言葉に、側近たちはごくりと喉を鳴らす。


「イサリナはデル王国の次期女王だ。その夫になるということは、つまり俺がデルの王ということになる」

「お言葉ですが、デル王国は建国以来、女王が統治する国で――」

「国は男が統治する方がいいに決まっている。これまで夫になった男が軟弱なだけだ」


 勝ち誇ったように言って、アルセインがいやらしい笑みを浮かべる。


「少しばかり愛を囁いてやったら、あっさり真に受けたぞ。あの尻軽女は俺に夢中だ。俺が命じれば何でも言うことを聞く」


 楽しげに言い放つ王太子に、誰も言葉を返せなかった。


「つまり俺がデルの王となれば、ディアモン王国の領土が増えるということだ。いい話だろう?」

「……殿下は、デルの王になるのですよね?」

「そうだ! ディアモン王国を継ぐ俺がデルの王女を迎えれば、争わずしてデルの領土が手に入るのだと言っている。何故理解しない?」

「……しかし公爵家と伯爵家には、婚約破棄の件をいかが説明をするのです」

「なに、責任は取る。王女との婚礼が終わった暁には、二人を側妃として迎えよう。これで問題無い!」


 得意満面でクズ発言補する王太子を前に、側近たちは視線を交わす。


(このバカは、我が国の宗教も理解していないのか?)

(礼拝も宗教学も ……いや、全ての授業を寝て過ごすバカだぞ。理解などしている訳がない)


 彼がただの馬鹿であることは以前から囁かれていた。これまで王太子として好きにできていたのは、セラフィナとリディアという有能な王妃候補がいたからだ。

 側近たちの目配せで、護衛騎士の数名が静かにその場を離れる。それぞれの自邸に、この一件を報せに向かったのだ。

 普通ならば、この空気の変化に何かを察するものだ。けれどアルセインは昔から、そうした感覚に極端に乏しい。


「俺は馴染みの娼婦に寄ってからイサリナの屋敷へ行くが、お前達はどうする?」

「殿下、私は夜会での用がまだありますので、失礼いたします」

「私も……婚約者を残してきてしまいましたので……」

「分かった。学生として最後の夜会だ。存分に楽しんでこい」


 ぶち壊した当人に笑顔で言われて、側近たちのこめかみに青筋が浮かぶ。

 顔だけは良い馬鹿な王子は、事の重大さを理解していない。


「……俺達、身の振り方を考えなくてはな」


 意気揚々と去るアルセインを見送って、誰かが押し殺すような声で呟く。

 答えたのは宰相の子息だ。


「第二王子の派閥に受け入れて貰うしかないだろう。幸い王は、アルセイン王子が王位を継ぐと疑っていなかった。そのぶん向こうは人材が少ない。それに、この状況を説明すれば温情をかけてくれるだろうさ」


***


 グレインフォード公爵家とオルレアン伯爵家――その名が示す通り、爵位には明確な格の違いがある。

 そのどちらの家からも王太子の許嫁候補が出されたのには、明確な理由があった。


 グレインフォード公爵家は社交界において大貴族たちをまとめあげ、政治と経済の両面で強い影響力を持つ。

 一方でオルレアン伯爵家は、辺境伯を多く親族に抱えることで、王国の軍事を支えている。

 どちらも王家と血縁関係にあり、片方を優遇すればもう一方との関係が悪化するおそれがあった。


 王国の宗教上、側妃は認められていない。

 それは両家も重々承知しており、どちらが選ばれたとしても国に混乱を招かぬよう、水面下では王家も交えて慎重な協議が何度も重ねられていた。


 一方、共に妃教育を受けていたセラフィナとリディアの間には自然と固い友情が芽生えていた。今では互いを「無二の親友」と呼び合い、堂々と公言している。


 そんなことになってしまった原因は、全てアルセインの性格にある。口を開けば趣味の狩猟と自慢話ばかりで、二人の話など聞こうともしない。流石に貴族学園へ入れば落ちつくだろうと思われていたが、側近候補の令息たちが嗜めても素行の良くない生徒を引き連れ夜遊びを繰り返していた。


 その結果、学業の成績は惨憺たるもので留年していないのは単に「次期王の経歴に傷を付けてはならない」という学長の判断があるからだ。


 そんなアルセインでも王が見限らないのは、王太子が歴代希に見る美貌の持ち主だからである。

 光り輝くような金髪に、透き通る湖のような碧の瞳。神話の絵画に出てきそうな程整ったその顔の圧倒的な美貌は凄まじい。


 三歳の頃、お披露目として夜会に姿を見せた際、あわや戦争になりかけていた国の王侯貴族達の奥様方の心臓を鷲掴みにし、和平を勝ち取った「顔面外交」の実績を持つ。

 他にもその顔面外交で国を助けた功績はあるが……その事実がアルセインに「何もしなくていい」という悪い自信を与えてしまった。


 そして出来上がったのが、「顔面だけは神レベルのバカ」である。


***


 夜会の騒動を受けて、広間を後にした二人は、寮へと続く廊下を静かに歩いていた。


「これから、どうしましょう?」


 ぽつりと呟いたリディアに、セラフィナは迷いのない声音で答える。


「リディアは辺境伯のご子息に嫁げばいいわ。あの方とは心を通わせているのでしょう?」


 指摘されたリディアは、令嬢らしからぬ仕草で赤く染まった頬に両手を添え俯いた。

 どちらかが脱落するのはあらかじめ分かっていたので、選ばれなかった令嬢のために王家の側から新たな婚約者が手配されることになっていた。

 相手の令息からしてもあまりに一方的な話だが、王家の命には逆らえない。


「ですが、それではセラフィナ様が……」


 確かにリディアは脱落した令嬢の伴侶にと用意された令息とは密かに想い合う仲だった。互いの立場は理解しているので気持ちを抑えていたが、非公式な場とはいえ王太子から直接婚約破棄を言い渡された以上、思いを抑える必要はない。

 しかし、セラフィナにはそのような相手がいるとは聞いたことがなかった。

 良家の子息の多くはすでに婚約者を持ち、公爵家の令嬢と釣り合うような相手は残っていない。

 それでもセラフィナは微笑みを浮かべ、優しく言った。


「あなたが幸せになってくれれば、それでいいの。私はそうね……どこか遠い国にでも行こうかしら」

「お二人とも、よろしくて?」


 二人が寮の入り口へと差しかかった、その時だった。不意に小鳥のような声で呼び止められ、驚いた二人は足を止めた。


 すると暗がりから、一人の人物が音もなく現れた。

 マントを羽織った小柄な少女の姿が、灯りの下へと浮かび上がる。

 どこかで見た記憶のある顔に、セラフィナとリディアが目を見開く。


「あなたは!」

「もしや、イサリナ王女?」

「ええ。お茶にお誘いしたいの。今からいらっしゃらない? たまには夜遊びも楽しいわよ」


 渦中の人物からの誘いに、二人は顔を見合わせる。

 相手は大国デルの王女。その立場の重さを思えば、簡単には断れない。

 少し考えてから、セラフィナが小さく息をついた。


「……護衛も一緒でよければ」


 そう条件を添えて、二人は王女の誘いに応じることにした。


***


 デル王国は、ディアモン王国から遠く離れた南方に位置する国だ。

 長い歴史を持ち、建国以来ずっと女王が国を治めてきた。軍隊は持たず、代わりに外交と自国でしか生産できない農作物や加工品の貿易によって、豊かさを維持している。

 だが何よりの強みは王家の血族が持つ強い魔力と、その結束力だった。王家の魔力は国全体を包み、国民を保護している。


 争いを好まない穏やかな国として知られるデルだが、ディアモンとの関係は決して親密とは言えない。外交官の常駐が始まったのも数年前のことで、むしろ商人たちの方が、あの国の内情に詳しいほどだった。


 デルの珍しい品をもっと扱いたい――そう商人たちに直訴された王は、次世代との本格的な交流を見据え、第一王女イサリナ・デルを貴族学院へ留学生として招いたのである。

 デルの女王も快く応じ、一カ月もしないうちにイサリナ王女は貴族学園へ留学生として中途入学したのだが……。


 肝心のイサリナは学園には殆ど来なかった。たまに顔を出してもすぐ帰ってしまう。

 それでも、提出されたレポートは完璧で、テストも満点。

 カンニングを疑った教師がさりげなく質問を投げかけると、『それならば口頭で試験を受けます』とイサリナは即答。結果、あらゆる教科で教師を言い負かしてしまった。


 そんな訳でセラフィナとリディアが彼女と会話を交わすのは、今日が初めてなのだ。

 学園における王女の対応は、貴族代表である二人の役目となっていたため、事前に王女についての資料は渡されていた。


 しかしその内容はあいまいで、要領を得ないものばかり。どうやら原因は「言語」にあった。

 公用語自体は似通っており、日常会話にはさほど支障はない。

 けれど、これまでデルとの交流はほとんど商人が担っていたため、貴族特有の言い回しや敬語表現が正しく翻訳されていなかったのだ。

 最終的に王宮の翻訳官がどうにか文章を調整し、ようやく学園にも届いた資料には、こう書かれていた。


「イサリナは子犬を大切にしており、留学の際にも多くを同行させることを条件にした」

「小柄で慈愛に満ちた王女である」


 その記述を読んで、セラフィナとリディアは――。

「動物好きの、可愛らしい王女様なのだろう」と、自然に思い込んでいたのだが……。


***


「二人とも、そんなに緊張しなくていい。従者の方々にも飲み物をお出してやってくれ」


 滞在先の館へ入るなり、口調が変わった。どこか男っぽく聞こえるのは、デル王国の訛りのせいだろうか。


 セラフィナとリディア付き従っていた護衛騎士たちは、全員女性だ。

 勇猛果敢で男性騎士にも引けを取らぬ者たちだが、屋敷に入るなり立ち竦む。

 セラフィナとリディアに到っては卒倒寸前だ。

 そんな彼女たちの様子を見て、イサリナが悪戯っぽく目を細める。


「――ああ、気になるものがあれば、摘まんでくれてかまわない。寝室も用意させようか?」

「……い、いえ……その……」


 セラフィナの声が裏返る。広い館で待っていたのは侍女ではない。

 代わりにいたのは、艶やかな肌をさらした――ほとんど半裸の、美しい青年たちだった。みなアルセインに勝るとも劣らない美貌の持ち主だ。

 ちなみに、この時セラフィナの護衛として同行した筆頭女性騎士の備忘録によれば、『館はまるで美男子の宝石箱』と記されている。


「さ、どうぞ遠慮なさらず」

「どうぞ、こちらへ」


 彼らはにこやかに令嬢たちを出迎え、ひとりひとりに付き従って世話を焼いてくる。

 セラフィナとリディア、そして護衛たちは、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。


「女性の発言力が強い国だと聞いていたけれど……まさか、侍女の役目まで男性が担っているなんて……」

「……お姿も、随分と刺激的ですわね」


 セラフィナとリディアは扇で赤くなった頬を隠しながら、ぼそぼそと囁き合う。


 改めてイサリナを見直せば、彼女の姿もまた印象的だ。

 小柄な愛らしい容姿に、身纏っているのは、薄絹に細かな刺繍の施された軽やかなドレス。

 腰まで届く黒髪は緩やかなウェーブを描き、華奢な体を美しく飾っている。


 しかしその外見とは裏腹に、イサリナは鋭い言葉を放つ。


「まったく、王太子にも困ったものだ。あんな場で淑女に恥をかかせるとはな。我が国であのような真似をすれば、その場で去勢だ」


 物騒なことを言いながらイサリナがテーブルの菓子を摘む。


「先に言っておくが。私はあの男から求婚はされたが、受けたわけではない」

「……一体どういうことでしょう、イサリナ殿下?」


 セラフィナが慎重に尋ねると、イサリナがにこりと笑う。


「イサリナでかまわないよ」


 その小さな体からは想像できないほど堂々とした態度に思わず息を呑む。

 彼女の中には、すでに次期女王としての威厳が備わっていた。

 それは、アルセインからは感じたことのない王としての風格だった。


「アルセイン殿下から、聞いていた話と違うので……」


 セラフィナとリディアは、未だ動揺していた。

 美男だらけの出迎えに加え、あまりに砕けた王女の言葉遣い。

 何かがずれている――けれど、どこがどう間違っているのか、うまく整理がつかない。


「ヤツから何を聞いたのだ?」


 イサリナが二人に向き直り、楽しげに問いかけた。

 アルセイン王太子の話なら、二人とも何度となく聞かされていた。


「イサリナは自由奔放で男好きの尻軽女だ。けれど俺が命じれば、ベッドで誠心誠意尽くしてくれる。指一本触れさせないお前たちとは違う」と。

 まるで自慢話のように語られていたが、実際に会ってみた王女の姿は想像していたものと大きく異なる。

 何か、違う……と。

 セラフィナとリディアは失礼のないよう言葉を選びつつ、アルセインが自分達に語った内容を隠さず伝える。

 聞き終えるとイサリナは少し考え込み、それからぽつりぽつりと語り始めた。


「私は他国の文化が珍しくてな……『子犬』たちを連れて、いろんなところへ遊びに行った」


 王家の子女は成人するまで国を出ることは許されないしきたりで、今回の留学は建国初の出来事なのだとイサリナが説明する。


「デルでは市井の娼館や酒場の視察は淑女として当然の行いなのだが。どうやらこちらでは風紀を乱す行為だと知ったのは最近でな。申し訳ない」


 すると、イサリナのすぐ傍に控えていた美貌の青年が、やや呆れたように言った。


「王女が楽しいお話にしか耳を傾けないのがいけないのですよ」

「ふふっ、ダルス。そう言うお前も楽しんでいただろう」


 イサリナがからかうように頬をつつくと、青年――ダルスと呼ばれたその人物も、肩をすくめて微笑む。

 その自然なやり取りを見て、セラフィナは思わず問いかけた。


「ダルス様はイサリナ様の、婚約者なのですか?」

「滅相もございません、私は王女の子犬です」

「そう。私を叱ってくれる大切な子犬なのだ」


 先程から気になっていた疑問を、セラフィナが口にする。


「イサリナ様……その「子犬」とはどういう意味なのか、教えていただけますでしょうか?」


 するとイサリナが、きょとんとした顔で答えた。


「子犬とは……側室のことだ。合っているか?」


 ダルスが丁寧に補足する。


「はい。ただし私どもの正式な身分は、側室候補でございます。殿下が即位して初めて、殿下の子犬として認められます。……ご理解頂けましたか?」

「え、ええ」

「とても、分かりやすかったですわ!」


 二人は思わず顔を見合わせ、同時にこくこくと頷く。

 ここに来てようやく、二人は「子犬」という単語が誤訳されていたことに気づいたのだ。


(なるほど……あれは「ペット」の意味ではなかったのね)

(アルセイン殿下……イサリナ様の対応を勘違いしてしまったのでは?)


「では本題に入ろう。アルセイン王太子の件だが」


 アルセインは「夜な夜な美男を引き連れ遊び回る奔放な王女」の噂を聞き、それに興味を持ったのだ。いつしか王女のそばを離れなくなり「子犬たち」とも楽しげに会話を交わすようになっていた。


「だから……私はてっきり、彼が子犬になりたいのかと思ってしまったのだ」


 奔放だという評価については、イサリナ自身も否定はしなかった。ただしそれは互いに同意のうえで関係を結んだ者同士だけに限られる話であり、避妊も義務とされている。


「我が王家には代々「等しく愛せ」という教えがある。私が子犬と認めたものには、平等に愛を注ぐ」


 そう語るイサリナの声音は、どこまでも穏やかだ。


「アルセインは、少し……いや、正直に言えば「かなり」考えが足りなかった。子犬に限らず、デルの男達は愛するものを傷つけたり、まして強引に迫ったりはしない。それが「淑女への礼儀」というものだ」


 子犬であっても、いや、子犬だからこそ王女の許可がなければ触れることすら叶わない。

 更に子犬の地位を求めるものには、事前に序列が課される。

 それは他国の王太子であっても例外ではない。


「残念なことに、彼は序列すら理解しないまま、勝手な振る舞いを繰り返したのだ」


 言葉の意味を理解したセラフィナの顔が、さっと青ざめた。


「まさか王女に対して不敬を?……申し訳ございません」

「貴女が謝罪することではないよ。ただしどの子犬でも、悪戯をすれば罰を受けることになる。その決まりは、他国の王太子であっても変わらぬ」

「罰は傷や痛みが残るようなものではありませんので、ご安心ください」


 控えていたダルスが片手を上げ、指先で空中に模様を描く。

 すると指の軌跡が光の粒子を残し淡く輝く。


「私は王家の血を少しだけ引いておりますので、少しばかり魔法が使えるのです。この魔法は“夢”を見せるもの。己の欲望に身を任せたとき、どうなるのか。その未来を仮想の中で再現し、己の行いの愚かさを自覚させるためのものです」


 本来であれば、敬愛する王女に対して欲望のまま触れようとした自分自身を、心から恥じて反省する。

 それがこの魔法の効力なのだと説明してから、ダルスが肩を落とす。


「……彼が「他国の王子」であることを、考慮しておりませんでした」

「お前のせいではないよ。私がきちんと対処していれば、ここまでの騒ぎにはならなかったのだから」

「アルセイン殿下は一体どのような夢を見たのでしょう?」


 リディアが小首を傾げると、イサリナが肩をすくめる。


「簡単に言ってしまえば、彼は「自身に都合の良い夢」を見続けたようだ」


 アルセインの行動は何度夢の罰を受けても改善されず、やがて彼は現実と夢の境界を混同し始めた。夢の中での出来事を本気で信じ込むようになり、ダルスたちが罰を受ける夢なのだと説明しても理解されない。アルセインは「ああ、まさに夢のような時間だった」と妙な解釈をした挙げ句、ついにはイサリナに婚約を申し出てきたのである。


「王族の女性は男性から犬になりたいと申し出があった場合、断ることができないのだ」

「犬……?」


 二人の頭上には、揃ってハテナマークが浮かぶ。あまりに突飛な言い回しに、反応が追いつかない。


「ええと、ディアモン国では何というだろうか?」


 イサリナが問うと、すかさず隣の青年が答える。


「夫、が近いかと」

「さすがアーゼ、博識だな」

「お褒めにあずかり光栄です、殿下」


 眼鏡をかけた青年――アーゼが、控えめながらも誇らしげに微笑む。

 どうやらデル王国では、「子犬」は側室候補を意味し、「犬」は夫候補にあたるとリディアたちは理解した。

 つまりアルセインが「犬になりたい」と願い出たということは、つまり婚約を申し出たという意味になる。


「ですが、それではやはり、王女はアルセイン殿下と婚約されたのではないですか?」


 戸惑いながらもセラフィナが尋ねると、イサリナに視線で促されたアーゼが代わって説明を始めた。


「イサリナ殿下に代わり、私がご説明致しましょう」


 彼の口調も態度も理知的な文官そのものだが、出で立ちは最小限の布とアクセサリーのみで構成されており、視線の置き所に困る。まばゆいほどの美貌に圧倒されながらも、二人はなんとか話に集中しようと努めた。


「我が国では王侯貴族が子犬、すなわち男性の側室を持つことは嗜みとされております。しかし宗教上の規範として犬、つまり夫は一人だけと定められております」


 夫となるには文武に優れていることはもちろん、側室達を統率する力量、そして外交や法律の知識も問われる。


「子犬たちも外交や儀礼の場に出てもらいますが、「犬」は王女と共に夜会に同席し、正式な国の顔として扱われます」


 続けるアーゼの表情が微かに曇る。


「……アルセイン殿下は、自ら魔法の契約書にサインされました。契約の破棄はできないと何度も説明いたしましたが、それでもご本人が望まれまして――」


 婚約は、すでに魔法によって拘束されている。本人の意思とは無関係に契約は成立しており、外すことはできない。


「魔法契約により数日以内にアルセイン王太子は夫候補として、デル国へ連れて行くことになります」


 極力感情を殺し、淡々とアーゼは言い切った。


「じゃあやっぱり結婚するのですか?」

「そうしたらデル国はこちらの領土にされてしまうわ」


 セラフィナとリディアは困惑を隠せない。

 実のところ、留学生としてイサリナがこの国へ来ると聞いた時から、アルセインは「女の統治する国などあり得ない」と見下していたのだ。


「安心してくれ、話は終わっていない。それにしても……ふふっ」


 突然イサリナが笑いを堪えたように肩を揺らす。

 子犬たちに至っては笑いを隠せず、口元を押さえている。


「すまない。彼が宮殿で待っている夫候補達に勝てるとは、どうしても思えなくてな」


 現在、王女の犬の候補は三人に絞られている。イサリナがデル国へ戻り次第、最終試験が行われる予定だ。


「あの……その試験に合格しなかったら、どうなるのですか?」


 せっかくアルセインから婚約破棄を言い渡されたのに、それを反故にされてはたまらない。二人の心に不安が渦巻いていた。


 そんな二人に、アーゼがきっぱりと告げる。


「不合格者は去勢されます。しかし夫としての試験に挑むのは、男としての人生をかけたも同然。名誉の去勢とされ、その後の人生を王族の一員として宮殿にて暮らすことを許されます。また本人が望むなら、貴族の子犬として下げ渡される人生や、市井に下り商売を始めることも許されます。どのような人生を望もうとも、その者が王家に忠誠を誓う限り、王家もまた見捨てることはありません」


 語るアーゼの目に、一切の嘘はない。

 青年たちも頷きながら、うっとりとイサリナを見つめていた。そこには忠誠では表現しきれない、信仰にも似た感情が宿っている。


「去勢自体も魔法で一瞬です。痛みも無く傷が元で伏せることもございません」


 二人は顔を見合わせて、同時に噴き出してしまう。


「どうぞ、王太子は持っていってくださいな」

「喜んで差し上げますわ」

「ならばよかった」


 うふふ、と肩を寄せ合い笑うセラフィナとリディアを前にして、イサリナもほっとした様子で微笑む。

 彼が廃されるのは、ほぼ決定事項だ。去勢されてしまえば王位継承の道も完全に絶たれる。

 これで問題無く第二王子が立太子するだろう。


「お二人は今後どうする?」

「リディア様は心を通わせている方がいらっしゃるので、その方と婚約を結び直すことになりますわ。ね、リディア」

「ええ……ですがセラフィナ様は」

「だから気にしないでと言ってるでしょう」


 二人の遣り取りを聞いていたイサリナが、思いもよらない提案をする。


「セラフィナ嬢、もしよければ私と共にデルへ来ないか? 子犬……ではなくて、婚約者が見つかるかもしれないぞ」

「私、デル国へ行きますわ」


 セラフィナがすかさず応じた。迷いはない。

 貴族の駆け引きには、もううんざりしていたのだ。


 きょうだいはいるから、跡取り問題を気にする必要もない。何より、傷心の娘の我が儘を家族が聞いてくれないはずがなかった。


「リディア嬢も、いつでも遊びに来るといい。賓客として歓迎する」

「ありがとうございます」


 心から安堵した様子の可憐な令嬢たちを、イサリナと美青年たちは温かい眼差しで見つめていた。


***


 翌日、イサリナ王女の急遽帰国が発表された。王女は必要単位をすでに全て修得済みであり、学園長から卒業証書が手渡された。


 さらにもう二人、学園を離れる生徒がいた。一人は王女と同じく単位をすべて修得済みで、成績も申し分なく卒業が認められた。


 しかしもう一人は留年が確定していたうえ、学園内の風紀を乱したことが問題視され、ひっそりと退学処分が下された。

 その生徒に関する情報は学籍番号のみで、名前も貴族位も空欄。備考欄には「他国への移住のため」とだけ記されていた。

 誰が退学となったのか、関係者は一様に口を閉ざしている。


 その年の卒業パーティーでは婚約破棄などと言う騒動も起こらず、和やかな雰囲気で若者達の門出が祝福された。


***


 一方その頃、「婚約者候補」となったアルセインは分厚い参考書を前に呆然としていた。


 突然、夫候補として宮殿に召し上げられた彼には、半年間の猶予が与えられた。王女の温情により、宮廷の学者たちが個別指導を行ってくれたが、アルセインは言語や法律はおろか基礎的な学問すら理解できなかった。


 当然ながら、王太子は試験で基礎点も取れずに脱落。

 あまりの出来の悪さに「王女の側に侍る価値なし」と判断され、真っ先に去勢された。

 本来であれば宮殿での余生が約束されるはずだったが、王女を含めた多くの女性達への無礼な振る舞いを咎められ、宮殿からも追放された。

 最終的には、偶然追放の場に居合わせた女公爵が引き取ることになる。

 『顔が良ければ他は不問』という、なんとも心の広い女公爵の馬車へアルセインが乗り込む姿が目撃されたが、その後消息は不明である。


***


 幸いにも、王子の愚行によって国家間の信頼が損なわれることはなかった。

 尽力したのはセラフィナ元公爵令嬢である。彼女はデル国において新たに公爵位を授けられ、両国の架け橋として手腕を発揮し、やがて大臣にまで登りつめた。

 その隣には美しい夫が常に寄り添い、彼女を献身的に支え続けた。


セラフィナ護衛騎士リセル・アグレア著、「備忘録・デル国見聞録」より抜粋。


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― 新着の感想 ―
序盤で女王の方が強いオチだろうなとは思ってたのですが 予想以上にぶっ飛んだ内容で面白かったです。子犬(笑)
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