すれ違い
太陽が出ている。肌に刺す明かりの強さと気温で今日の天気が何となく分かる。白杖を使いながら歩き記憶の中にあったあの公園への道は少し変わっていた。公園に近づけば子どもの声がたくさん聞こえてくると思ったが、静かで時折自転車が走る音が聞こえてくるぐらいだった。
「今は、もう子どもは外で遊ばないのか」
「昔は遊べてたかもだけど、年々気温が上がって外で遊ぶのが危ないって言われてるからね」
「部屋で何してるんだろ」
「何でも出来るよ。ゲームにインターネット。音楽も映画も室内で出来る」
「便利な時代だ」
「そうね」
「でも、町から声が消えるのは悲しいかな」
子どもの声がしなくなった公園にたどり着いたと教えられた時、機械音が読み上げた時刻は約束の時間よりも早かった。
「じゃあ、気をつけてね」
「うん」
「帰りはどうする?」
「多分平気、無理なら和泉さんに送ってもらう」
「…分かった」
何かあったらすぐに来るからと、ここまで付き添ってくれた施設長の足音が遠くなる。
会ったら何て言うのか。
まず謝ることが優先で、その後に水沢さんと仲良くなりなかったというのは本当のことで何の嘘も偽りもないと言うこと。
それを聞いた水沢さんがどんな反応をするのか、もし騙していたなんて最低だと言われたら許されなくてもとにかく謝り続けること。この場合は方法がこれしかない。
そうだったんですね。分かりました。
怒られることなく言われたら、もしかしたら事実を知った水沢さんが徐々に距離を置くかもしれない。それは仕方ない、それだけのことをしたのだと受け止めるしかない。
何だ、そんなことかと許してくれたら。
そんな一番あり得ることがなさそうな返答を夢に見てしまう。セツとハナに付き添われて約束の公園まで歩いている途中で何度も何度もどんな言葉が一番いいのかと未だに答えが出ないままに歩いていた。
「あ」
「いるな」
「いるね」
随分寂れた様子になった公園の中に水沢さんはいた。自分は何度も顔を見たが自分の顔を知らない彼はこちらが声を発することがない限りこちらを認識することはないだろう。公園にはベンチもあるがそこに座ることもなく白杖を手に握りそこに立っていた。
「…いや、早く行けよ」
「心の準備がまだ」
「面倒くせぇなお前」
「深呼吸しな深呼吸」
セツに急かされてハナには落ち着くように言われて深呼吸をする。本格的な暑さが来る前の少しぬるい空気が肺の中に来た。落ち着け落ち着けと思っているがなかなか思う通りに行くことがない。もう一度息を吐き、少しだけ足を前に出す。
「しっかりしろよスズヤ」
「頑張れ和泉スズヤ!」
「スズヤ?」
セツとハナの声に混じって知らない女性の声が聞こえた。三人で顔を見合わせて振り向くとやはり知らない年配の女性がこちらを怪訝な表情で見つめていた。
(…?)
「あなた、和泉さん?」
セツが目で(知ってるか?)と聞いてくる。こちらも目で(知らない人)だと返し、記憶に無いだけでどこかで会ったかもしれないと思い無言で頷くと女性は一気に表情を変えた。
「和泉さん、あなたなの?」
シキと話をしていた女性じゃないの?と水沢さんの名前を出されてこちらも表情が変わる。
「女の子…そっちの子じゃなくてあなたが和泉さん。待って、そしたらあなた…」
シキの目が見えていないことを知っていて騙していたの?
「……ぇ」
女性の表情がみるみる内に怒った表情に変わっていき何か言い訳が出来るわけでもなく青ざめて声が出ない。セツとハナも焦り何か言おうとしたがその前に女性が捲し立てた。
あの子をからかっていたの。
目が見えないから騙しやすいと思った?
声や感触を頼りに生きているあの子にあなたは最低はことをした。
何か納得の出来る言い訳があるなら言ってみなさい。
「……」
「何も言えないの?」
今から事実を言って謝るところだったんです。
そんな言葉が浮かんだがまず騙したこととそんなつもりではなかったと言っても他者からはそう見えてしまうことを知り俯いてしまった。
「シキに二度と近づかないで、あなたはここに来なかった。そういうことにしておくから」
「…俺は」
「引き返して、帰ってちょうだい」
握りしめた手のひらに爪の跡がくっきり付いた。それでも今自分の中にある感情の整理にはまったく落ち着かない。女性に促されてもと来た道に再び足を進める。ゆっくりゆっくり、早く行けと急かされながら。
「…なぁいいのか?」
「スズヤ、戻ろう?」
「……いや、いいよ」
「何で?これじゃもう話すことも出来ないよ」
「目が見えない、それを知る前から騙してた。本当のこと知ってもすぐに事実を言えなかった」
「でも、謝ろうとしただろ」
「許されるかもって甘い考え持ってたんだ。俺、甘かった。その現場にいるあの人に言われてどれだけ最低か分かった」
「……」
「だから、許されなくていい。シキさんにも恨んでほしい。全部、俺への罰だ」
「……本当にそれでいいか?」
お前、泣いてるじゃん。
こいうのって自分じゃどうしようと出来ないんだよ。服の裾を何度も濡らしながら何年かぶりに目が腫れるまで泣いてしまった。
「……」
「シキ」
「…来ないね」
「もしかしたら、何か会えない理由が出来たかもね」
だから今日はもう帰ろう。
手を引かれて公園を出る。自分がここにいる間、少しだけ人の気配がした。今はもうなくなってしまったけど。
「…ねえシキ」
「ん?」
「世の中にはね、優しい人がたくさんいる」
「うん」
「でもね、そうでない人もたくさんいる」
「……和泉さんがそうかもってこと言ってる?」
「……」
「俺は、もう大人だよ」
「うん。大きくなった」
「何か悪意があっても自分で自分を守ることが出来るよ」
「…そうね。ごめんなさい」
白杖を持たない手を引かれていた子どもの頃。
あの時よりと背が高く、声は低く大きくなった。上から降っていた大人の声が同じ位置か、少し下から聞こえるようになった。
「…和泉さん。どうしてるかな」
あの高く綺麗な声は何も変わらずまた聞けるだろうか。