間違い電話
一階の居間にある電話が鳴っている。両親は仕事でおらず家には自分しかいない。聞こえないふりをして無視してしまおうかと思ったが居間から聞こえる音は一向に取られる気配がないのに切れることなく鳴り続ける。
もしかしすると、何か大事でも起こったのだろうか。
頭の中で嫌な想像が駆け回りだんだんと早くなる心臓を落ち着かせるために部屋から出て駆け足で一階の居間へと入る。相も変わらず鳴り続ける電話を取ると聞こえてきたのは若い、男の声だ。
『もしもし…?』
「もしもし…和泉ですが」
『いずみ…?あれ、島谷さんじゃないですか?』
「いえ、家は和泉です」
『あ、間違えました。ごめんなさい』
「い、いえ…」
『ごめんなさい。本当に』
間違い電話ならこのまま切ってしまえばいいものの電話の向こうの男は謝り続けてこちらもどの時に切ればいいのか分からなくなってしまった。
「べ、別に平気です。間違いは誰にでもありますし…」
『…そう言ってもらえると気が楽です』
「はは…そりゃ良かった」
『…何か』
「え?」
『いや、その…綺麗な声ですね』
「…え?」
受話器を握る手に力が入る。
向こうには見えもしないし分かりもしないだろうが思わぬ褒め言葉に顔が赤くなる。返答に戸惑っていると自分の姿が窓ガラスに映るのが見えた。
「…自分はこの声が嫌いです」
『嫌い?』
「…何でもないです」
窓ガラスに映るのは紛れもなく男だ。
ただその男の口から出る声は女のように高いものだった。
自分、和泉スズヤは今年大学生になった。成人している年齢のはずなのに自分には変声期が来ず周りが低い男の声になっていく中で一人取り残されて高い声のまま成長したのだ。
電話の向こうの知らない男はそんなこと分からないだろう。きっと向こうは自分のことを女だと思っている。そうでなければ綺麗な声だなんて言わないはずだ。このまま切ってしまおうかと思った時に電話の向こうから猫の声がした。
「…猫?」
『あぁ、飼ってるんですよ。今足にまとわりついてる』
「へぇ…」
電話の向こうで男の声と猫の鳴き声が混ざって聞こえた。時折くすぐったいのか笑い声を耐えるように猫に部屋に行けと言っているがどうも聞いていないらしく猫の鳴き声は相変わらず聞こえた。その様子に笑うと向こうはその笑い声に気付いたようで照れたようにごめんなさいと言う。
「いや…いいです」
『毛がね。すごい長い品種なんですって、触るとふわふわして綿毛を触っているみたい』
「そうなんですね」
『抜けた毛が服に付くんですよ。それを毎日指摘されるんです』
「いいな、猫」
『かわいいですよ』
「かわいいだろうな」
そうだろうと言わんばかりに電話の向こうでまた猫が鳴いた。
「……」
『……』
そのあまりにも人の言葉を分かっている鳴き声に思わず黙り、そして笑った。
お互い堪えたように笑いながら受話器で男の笑い声を受けとるとそこから彼の猫の話が始まる。それに耳を傾けると初めにあった緊張感はどこへ行ってしまったのか言葉が生まれて話が続く。
聞くと電話の向こうの彼は自分と同じ年らしい、高校を卒業後に進学はせずに子どもの頃にお世話になった場所でアルバイトとして働いているらしい。勤務の確認のためにそのアルバイト先へと電話をかけたが間違えて違う番号にかけてしまったらしい。
「登録とかしてないんです?」
『実は長いこと使ってたスマホが壊れて新しく買い換えたばっかりで慣れてなくて』
「あぁ、あるある」
機種を変えると今まで出来なかった操作が出来るようになったと同時に慣れるまで時間がかかるものだ。頷きながら話し込んでいるとふと、時計の針が思っていた以上に進んでいることに気付いた。
「あ、電話」
『え?』
「仕事場に電話しなきゃいけないんじゃ」
『あ…忘れてた』
「それじゃ…切りますね」
『待って』
「ん?」
『あの…連絡先、この番号登録しても?』
「登録…?」
『また、かけてもいいですか?』
「電話を…」
その言葉を聞いて喉に手を当てる。恐らく彼は声で自分を女だと思っているのかもしれない。いや、間違いなくそうだ。それならここで勘違いしていると言って終わってしまえばいい。
「あの…」
『…はい』
綺麗な声。それはそうだろう、自分でもこの声が出てくる体が女の体ならばまだ良かったと思っている。しかしこの声を発するのはそこそこ背がある男の体だ。彼が想像するような女ではない。
「これは」
『はい』
だから、これで。
「これ、家の電話だからスマホの番号教えますよ」
『…ありがとう』
口から出た言葉は本来取ろうとした行動と正反対のものだった。部屋を出ると同時に持ってきたスマートフォンの電話番号を伝えると彼も自分の番号を伝えてくれた。それを自分のスマートフォンに打ち込んで記録する。名前は水沢シキさん。スマートフォンの連絡先に何年ぶりか新しい人間が登録された。
「水沢さん」
『和泉さん』
あぁお互いに透明なものが入った名字なんですね。と伝えると本当だと、彼は笑った。
『それじゃ…切りますね』
「はい」
『メールでも?いいですか?連絡するの』
「トークアプリとか登録してます?」
『それもやってます。じゃあそれで』
「連絡、しますね」
『うん。下らないことでも話したい』
どんな下らないことを話すのか、また笑ってしまい切るタイミングが分からなくなってしまった時に玄関の扉が開く音がした。母が帰って来たらしく水沢さんもその音を拾ったらしく、最後はお互い短く挨拶をして電話を切った。
何もなかったようにパートから帰って来た母を迎えて部屋へと戻る。手にしていたスマートフォンが鳴るとそこには水沢さんからの連絡だった。
『間違い電話をして申し訳ないと思っていますが話していて本当に楽しかったのでまた時間がある時に連絡します。長話をしましょう』
その後に無料でダウンロード出来るスタンプが送られて来て何ともシンプルな猫のイラストに笑う。
それと同時に騙しているということを打ち明けれぬままに「待っています」と返事を返した。