火曜日
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通学も通勤も休みの月曜を除いて、火曜から金曜は朝八時に起きて顔を洗い髪をとかしコンタクトレンズを入れ、壁の薄い隣の部屋から聞こえる爆音アラームを聞きながら八時半に家を出る。
右折した角にあるお弁当屋さんで甘鮭むすびとお茶の紙パックを一つ買い、食べながら歩くとちょうど食べ終わるタイミングで学校に到着する。
校舎入口のゴミ箱に甘鮭むすびが包まれていたビニール袋を捨てた後、お茶の紙パックにストローを通しながら教室へ向かうと、時計の針はぴったり始業九時を指す。
始業の音楽と同時に入室してくる三峯教員はいつも消えて無くなりそうで、いや、そもそも三峯教員の姿が見えているのは既に私だけなのかもしれないと思うほど、周りの生徒はスマホをいじり漫画を読みアプリでマッチングした人間の話に没頭していた。
火曜日、
三峯教員は「嘘にも本当にもなる話をして下さい」と言った。
「嘘をつくと鼻が伸びる偶像としてピノキオが存在します。
例えばピノキオが、今から僕の鼻は伸びると言った時、鼻は伸びますか。仮に鼻が伸びなければ、ピノキオは嘘を言ったのに鼻が伸びないことになります。仮に鼻が伸びれば、ピノキオは真実を言ったのに鼻が伸びたことになります。
嘘にも本当にもなる、どちらも筋が通った話がこの世界には沢山あるのです。僕はいつか答え抜きますので、あなたもいつか答え抜いてみて下さい」
私は、こうして昼には終わる授業を背に学食へ向かい、日替わりうどん税込三八〇円を求めて短い食券列に並びながら、嘘にも本当にもなる話に吸い寄せられていく。
命題がある以上、法則が発生するのは自然の摂理である。日で替わったとて冬は温に夏は冷、とろろ山菜きつねかき揚げをぐるぐると回るだけの〈日替わりうどんの法則〉がある一方、唐揚げや鯖の味噌煮や生姜焼きが出たかと思えば豚キムチ、グリーンカレー、タコスまで出る壊れた〈日替わり定食の法則〉もある。
しかし、どうやら嘘をつくと鼻が伸びるという偶像を生み出したのも、日替わりうどんの献立を考えているのも、日替わり定食の献立を考えているのも、全て人間という生き物である。
作り手が生み出した法則に受け手は常時縛られ首根っこを押さえられながら、それでもどうにか自らの筋を見つけようと奮闘するのだと、思慮の浅い考えに吸い寄せられたまま、学校から直進で三分進めば到着する最寄りのおごと温泉駅前に戻ってバス停に並び出勤する〈日替わらない法則〉を持つ自分の生活は嫌いじゃない。
この日、新規客のいる一番扉を開けると、二十代後半と思しきひょろひょろとえのき茸の様に白く細長い金髪の人間がベッドの前に腕を組んで立っていた。
「はじめまして。カエです」
「おお、来たんか。よろしく」
「よろしくお願いします」
小さく頭を上げる。
「なんや。まあ、普通に可愛い女やん。今日は成功やわ」
可愛い。女。えのき茸の割には威圧的である。
「ありがとうございます」
数多あるキノコの種類の中でも、かなり安い方です。えのき茸。
「ソープって基本詐欺。めっちゃ可愛い子選んだわあって思ってても、可愛い子なんて来た試しがあらへん。めっちゃ若い子選んだわあって思ってても、ばばあが来る。写真詐欺。年齢詐欺。あれはまじで詐欺。訴えたい」
「なるほど」
「で俺は見つけた訳。可愛い女が来る法則を。知りたい?」
「はい」
「鎖骨と手や」
「鎖骨と手……ですか」
「どんなに写真加工してても鎖骨が無い女は鎖骨を作り出せへん。顔の皴は隠せても手と指の皴は隠せへん。せやから、くっきりした鎖骨とつるつるの手の子を選べばええんや」
ふんっと鼻を鳴らしてそう語る金髪えのき茸人間が黒い長袖シャツを脱ぐと、くっきりとした鎖骨が現れた。
おお、と更に手を見ると指が長くシミも無く皴も無いつるつるのそれだったので、顔を見ると、ああ、帰するところ人間が作り出した法則は信用ならない。
嘘をつくと鼻が伸びるという文章の先には、隠された逆説的な余地がある。
ちんまりと付く橙色の乳首をくいと抓るとひひい~んと甲高く鳴いたので、〈金髪えのき茸は人間である〉という法則は〈金髪えのき茸は馬である〉という余地を残しているのだった。