ところてん
◇
ちりんちりん。
こうして私は毎日鐘の音で昼のうたた寝から目を覚ます。
「カエちゃんおめでとう。十分後に五番ですどうぞ~」
聞き慣れた店長の声と共に、ゆっくりとその場に立ち上がる。
段ボール箱に規則正しく整列するプラスチック製の簡易な注射器を手に取ると、開いた足から膣の奥へと差し込んだ。
目一杯奥まで注入する。
私より一年ほど前からここで働くシングルマザーのミヤビさんは、自分自身を守るための潤滑ゼリーなのだと軽快に笑っていたが、私にとってのそれは決して濡れることの無い自分へ向けた軽蔑だった。
そもそもいくら記憶を遡れど自分自身を守れた経験など無いし、そもそも守るべき心はずっと旅に出ているが故に世間物事に対して鈍感な私の体は、それはそれでお誂え向きである。
自分や誰かを守ろうだなんてなけなしの正義感に浸るから、丁寧に扱われたいだなんて繊細な期待をするから、そうで無かった時に人間は苦しむんでしょう。
そうでしょう。
ほうら私の心、聞こえていますか。
今どこで何をしていますか。
長閑な田舎町で誰とも関わらずひっそりと美味しく漬かった糠漬けと白米を土に返すも良し、ドバイで石油王として崇められメディアムレアのステーキを血走った野良牛にあげるも良し、でもきっと色も喜怒哀楽も病も無く太陽や月や星すら全てが平等に扱われる世で丁寧に暮らしていて下さいね。
とは言えこの世界で飛ぶこと無く一年も働いたならば、それは重鎮であり大御所であり、或いは「よっ大長老」と呼んでも怒らない可能性すらあるミヤビさんには、実際にそれを伝えた時、いや滑った口から溢れ出た時、「もうエースが付かなくなる頃だから、そんなこと言われて嬉しいね」と笑ったミヤビさんには、はい守りましょう今日も頑張りましょうと笑顔で会釈をする選択をした。
そういえばその昔イエスマンやら何やらという映画があったけれど、そもそも私は返答の方向性にイエスかノーかという二つの選択肢を持ち合わせていないが故に、イエスマンという発想にすら至らないので、適当に飾られた体裁の良い見せかけの言葉を吐いているのです。
その日、
五番扉に入ると、八畳ほどの空間にシャワーの水音が鳴り響いており、その方を見るとところてんのようにつるりんとした小太りのエースが、無数の水滴が滴る眼鏡ごしに泡立つことの無いボディーソープで陰部をごしごしと洗っていた。
扉が閉まる音で私の入室に気が付いたようだ。
「あ、カエちゃん、早かったなあ。体洗い終わったらそっち行くしやな。お、カエちゃんも体流す? 一緒に入ろうや」
などと矢継ぎ早に言葉を発する。
毎日何人もの客を相手にする私の労力を少しでも減らしてあげたいんやと、来る度に黄色い歯を輝かせ、家庭用とはけた違いの洗浄力を持つボディーソープで自分の体を削り続けていることに気付かないのだから、たいそう幸せなところてんである。
もうシャワーは済ませてきたので私は大丈夫ですよ、ごゆっくりどうぞと、比にならない程洗浄された自分の右手を御印程度に振った。
暫くしてから情事が始まった。
ところてんの情事はいつだって優しいけれど、客のそれが優しいことは何もところてんに限った話では無く、働き始めてから三か月間で出会った客の九割は言葉遣いも指の這わせ方も優しかった。
残す一割の客だって、初体験が故に入れる穴を間違えた痛みがあっただけで故意ではなく、いざ事が終われば本気で付き合いたいんやだの愛しているだのと手紙を渡してきた恋であったり。
筋肉質の逆三角形が「お前にとって一生忘れられんセックスしてやるわ」と大声で意気込みアクロバットを始めたかと思えば突如号泣し、「あかん。この体位は彼女を思い出してまう。より戻したいねん」などと抜かし始める程度で、常に目が充血している店長を呼ぶ事態が起きたことは一度たりとも無かった。
思えば、十回は昼食を食べられそうな決して安くはない金銭を払える客というのは、自身も何かしらで金銭を稼ぐ能力がある人間な訳で、女と分類される生き物に対価が発生することを厭わない人間な訳で、何とか対価を支払わずに良い思いをしてやろうと息巻く類の人間とは全く別の生き物なのだと、同じ人間という名を用いるなと、街頭演説でもしたいほど強く思う。
ミヤビさんは、
「店舗型の客は優しいの。デリバリー型になると色んな種類の客がうじゃうじゃ湧き出すのよ。もう嫌んなっちゃう」
と唾を飛ばしていたけれど、他の型を知らない私には何も言えませんね。
ちなみに、妻や子どもがいるやつのことは話の趣旨が逸れるので、ところてんの口内に唾と共に取り残して次へ進む。
「カエちゃん、元気やった?」
口内に取り残されたモノなんて知る由もないところてんが、薄暗い口を開く。
好きではない人間の腕の中で好きではない人間の夢を見ている私に対し、情事を終えたところてんは汗だくのすっきりした表情でつるりんとベッドに寝ころんだ。
私が脱ぎっぱなしのセーラ服に袖を通そうとすると、まだ着ちゃだめだよぉと語尾を小さくして手招きをする。
「いや、元気も何も、前回から一週間しかたってないですよ」
手招きされるがまま賢者の腕にごろんと寝転んだ。
「一週間も、やで」
「そっか。一週間も会ってないか」
「そや。人間、一週間もあれば簡単に病気になれるからな」
「簡単に病気になれるってなに〜」
上部でそう笑ったけれど確かにその通りだ。
人間、一週間もあれば、いや三日二日一日あれば簡単に病気になるし、知らせがないのは良い知らせだった経験は数少なく、そういう場合あっという間に人間は死んだりする。
例えば、ついさっきまで元気だと思っていた祖母が実はもう口もきけない状態で病院のベッドに横たわっていて、最後の挨拶すら出来ないこともある。
何か忙しそうだったしさ、知らせると傷付くと思ったのよ、という母の身勝手な一言で子の気持ちを済まされることもある。
硬直して動かない体から生える枯れ枝のような手足はそんなはずの無い方向に折れ曲がり、唯一動く目玉をぎょろぎょろと動かして訴えるのは数時間ごとに喉奥から吸引される淡の痛苦なのに、嗚咽がしても胃に吐ける汁は小指一滴も残っていない。
あなたが苦しいと訴えることが出来るのはそこに痛覚が残っているからですか、それともそこに心があるからですか。
そうでないなら、一体その時心はどこにいるのですか。
悩み悶えて苦しむことはありますか。
その体は、その心は、生きていると言えますか。そうでないなら死と呼ぶことは出来ますか。
骨と灰になるのはまだ耐えられないという生への粘りか、真面目に送った人生の最期に貰える年金への粘りなのかは知る由もないけれど、どちらにせよそれは自分以外の欲望に支配されている結果なので、すぐに私は授業で配布された天使が飛ぶ緑色カードの裏面一番に丸印を付けて自分の体の終止符を決めた。
「せやけど、カエちゃんがあかんくなったら僕が守る。大丈夫、安心しいや」
あれ、ここにも終止符を打ちたい話が落ちていました。
「ありがとうございます。嬉しい」
「まあ、せやけどやなあ。カエちゃん可愛い女の子やしな。僕やなくても、男の人によう守って貰えるやろ」
可愛い。女の子。男の人。守って。貰える。
「そんなことないですよ」
「ほんまか? ほんまに僕だけなん?」
否定したのはそこじゃない。だけど、
「そうですよ。当たり前じゃないですか。またいつでも来て下さいね。待ってますからね」
今は、女だから男だからこうだと言われたく無いのである、と呪文の言葉のようにジェンダー論を嫌い多様性を訴える人間の多い時代になった。
姓を商売に変えている私は、そういう類の人間に最も嫌われる対象の職種なのだと思うが、ただのアルバイトだしまだ三ヶ月目なので許しを請いたいし、そもそもセクシュアリティとジェンダーは別で語られる議論だとしても、セックス自体も口にすることの出来ないタブーではなくなってきたように感じる。
しかし私が今ここで金銭を稼いでいるのは女という恩恵の結果と言えるのか、蛞蝓に心を消されたのは女という弊害の結果と言えるのか、それらは女に生まれたが故の結果と言えるのか、それとも生まれ落ちた性に「女だから」だなんて言う責任を押し付けるのはお門違いなのか。
「なあカエちゃん、ちっちゃい可愛い女の子のカエちゃん、なあ。これは誰にも秘密だよ。お母さんにも秘密だよ。なあ、二人だけの秘密だよ」
あの台詞だって、
「なあカエくん、ちっちゃい可愛い男の子のカエくん、なあ。これは誰にも秘密だよ。お母さんにも秘密だよ。なあ、二人だけの秘密だよ」
へと簡単にとって変わる。
女だから男だからこうだと言われたくないのである論者が台頭する解放運動の以前から、時代や社会がそういう動きに傾いていただけで、そもそも女だから男だからこうだというジェンダー概念自体が本質的に存在しなかった可能性すらある。
同じように恩恵を受け同じように弊害を伴う、姿形の異なる一つの性であった可能性すらある。
「ねえ。例えば私が男だったら、どうでした?」
「どうでしたって?」
ところてんはペットボトルに入った水を一気に飲み干し、声を裏返した。
「私が女じゃなくて、男だったら。こんな風に会いに来てくれますか」
「カエちゃんってたまに面白いこと聞くよな」
面白いこと、か。
「ねえ、教えてください。どうですか」
「ん〜せやなあ。男やったらって言われてもなあ。僕にそっちの趣味は無いしやなあ」
「そっちの趣味?」
「僕、男とヤっても興奮せんで」
滑らかな高笑いが響き渡る。八十分コースの終わりまであと何分だろう。
「なんや、今日はもう一回戦いけそうやわ。フードルのカエちゃん」
フードルという割にはぞんざいに乳房を弄られながら壁時計を確認すると、扉の小窓から垂れるカーテンの隙間に、見覚えのある堀の深い充血した目が、僅かな灯を見逃さぬ蛾のようにべったりと張り付いていた。
その夜、掘の深い充血した目は私と視線を交わらせることなく、右手だけをさっと伸ばした。
「今日は八十分二枠に四十分三枠で、合計七万三千円。確認よろしくな」
「ありがとうございます」
そう言ってお札を受け取ると、
「あー。あと俺、店長やからな。勘違いすんなや。ほな、分かったら帰れ」
私は何に対して、誰に対して、ありがとうと言ったのか分からない。分からないけれど、もう全てがどうだって良いことだけは分かっている。
だから、バスの時間に間に合ううちに帰ろうと若作りのセーラー服から年相当のよれたニットにささっと着替えを済ませたけれど、よく考えればこの着替え部屋の防犯カメラが常に稼働している理由はよく考えなくても分かることだ。
何とか対価を支払わずに良い思いをしてやろうと息巻く類の人間がこんなにも身近にいましたよ、ミヤビさん。
ああ、灯台下暗し。