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供養

帰り道。

たかが一駅分のために電車で人込みに揺られる気にもなれず、あと二十分は来ないバスを待つ気にもなれず、歩く気力を失った足を止め手を挙げ停めたタクシーの中、唯一動いた親指でSNSを開く。


二回ほど下にスライドすると一万を超えるイイネが付いた「実は僕たち結婚してました。 #愛する嫁」という文字と共に、見覚えるあるつるんとした顔が流れてきた。

おっと、これ、あれ、ところてんだ。


まさか見覚えがあるはず無い隣に座る #愛する嫁  にも見覚えがあることに違和感を感じなかったのは、それが大人気の二次元キャラクターだったからである。

二重がくりくりとした狸顔のミニプリーツスカートを履いたピンク髪。


なるほどこれが噂の #愛する嫁。

はじめまして、#夫の風俗通いに物凄く怒った嫁。


どうやらあなたの夫は、心が無いたった体ぼっちの造形物に惚れ込んでしまう性癖があるようです。この私が身をもって証明します。


さようなら、#今朝なんてもう口も聞いてくれへんかった嫁。

南無阿弥陀仏。アーメン。


 「すみません、やっぱりここで停めて下さい」

タクシーを降りて少し歩いた先のコンビニでところてんのパウチパックを買う。

空っぽのイートインで端っこの席を確保し、「いただきます」とお箸を割る。

投稿に中指でいいねを押しつつ、ところてんを啜った。ハッシュタグ嫁、供養。


それから適当に下から上へ流す指の画面の中に、学校絡みの事件を追う記者が取材したコラム、なるものを見つけ、時間つぶしにタップする。


〈女子学生へのセクハラ冤罪事件。 

~東京の有名大学を追い出された有名教授のその後に迫る~ 

国立大学で教授をしていた哲学専攻の男はある日、身に覚えの無いセクシャルハラスメントで女子学生から疑惑をかけられる。目撃者が誰もいない中必死に冤罪を訴えるも、大学を解任。現在は名も無い大学で教員を勤めている。長い年月と膨大な研究の日々を経て、大学教授にまで上り詰めた男の没落の日々。一体、真実はどこにあるのか。記者独自の視点で〉


と、そこまで読んだところでところてんを啜り終わった。

右上のバツ印をタップし、スマホの灯りを切る。

折角なので、この見知らぬ人間たちのこともハッシュタグ嫁と共に供養しようと思います。


そうして私は、供養の出来ない霊と共に暮らす激安アパートへと帰宅した。

企業からのおトクなDM以外届くはずの無いポストを習慣的に開け、おトクなDMを一枚づつポスト横のゴミ箱に捨てていると、掌に異質な手紙が一通残った。

なんでしょうこれは。

達筆な手書き。茶色い便箋。花束の切手。赤い投函印。


裏返すと差出人は〈小宮郷琉〉。

知らない人です。


部屋番号を間違えたのかと疑問に思いもう一度表面を見ると、部屋番号は合っているし、宛先も私の名前だったので取り敢えず封を開けた。

 


――――――――――――――――――――

 楓、元気にしてる?

 差出人を見て不思議に思ったかもしれないけど、スマホはブロックされていると感じたから手紙で。最後にどうしても伝えたい気持ちを伝えさせて下さい。

 俺、美郷だよ。改名して郷琉さとるになったんだ。分からなかったよね、ごめん。

 実はあれから病院に行ったらしっかり俺は男だっていう診断を貰えたんだ。それからすぐに名前を変えた。適合手術も受けられるように、ホルモン剤も打ち始めた。

 だからいずれ、俺の心に体が追いつくと思うんだ。

 もちろん例の保守的な親は激怒したよ。猛反対。「恥を知れ、勘当する」って怒鳴ったかと思えば、何度泣きながら説得されたか。それでも俺は俺の心が潰れる前に、家を出る選択をした。

 俺、今、幸せだよ。楓、俺に俺の本当の姿を教えてくれてありがとう。あの時、生半可な気持ちで楓に思いを伝えた訳じゃない。塾ではじめて楓と隣の席になって会話した時、泣きたいような、叫びたいような気持ちになった。それまでは人を好きになったことが無かったから、最初はこの感情が何なのかも分からなかったんだ。

 でも楓が塾を辞めても、大学生になって会わなくなっても、ずっと楓のことが頭にあって。絶対に会ってくれないと諦めながら連絡したら奇跡が起きたんだ。ああして再会してニ日間。楓の体に触れて、もう昔の関係には戻れないような、あんなこともして。

 楓は本当に猫だから。掴みどころのない猫だから。最後まで掴むことが出来なかった俺だけど、ちゃんと楓の真っ直ぐな心を、抱える痛みを、その全部を分かってくれる人と一緒になるんだよ。楓の心が潰れ切る前に、それを分かってくれる人を見つけるんだよ。

 身勝手に気持ちを伝えてごめん。ちゃんと幸せになれよ。

 郷琉


 追伸:三峯先生のこと、調べたんだけどさ、

――――――――――――――――――――

 

私はそこまで目で文字を追ったところで、手紙から目をそらした。


この手紙を書いた人間は幸せな人間です。体の中に心があると信じている類の人間だそうです。


潰れることの出来る心があると、それを疑うことすらしない人間だそうです。


産まれてすぐに心の在りかを簡単に見つけ、それに沿う体を求めることが出来た人間だそうです。

あとは心に似合う体さえ作り出せば良いそうです。


自分には誰かを愛する心があると、愛する力があると、それが他の人間に伝わるかもしれないと、信じている人間です。

それはそれは良かったですね。改名、薬、手術、どうぞお大事に。どうぞご勝手に。


どうぞもう私に構わないで下さい。


この人間にはきっと、帰りのホームルームまで親友だった幼馴染が、翌日朝のホームルームには一切の口を聞いてくれなかった経験なんて無いのでしょう。


こういう場合幼馴染であった過去に変わりはないのだから、未来で他人になった幼馴染とでも名付けるとして、暫くするとクラスの全員から存在ごと消された場合は、生きていると言えますか。


そんな事情を察する訳もない担任から配布された小さなカードに書かれている番号に電話をかけたことがあるけれど、ああ、同じ経験がある人ならば決して遣わない言葉だなあと逆に冷静になったので感謝している。

今思えば、無償で働くほど気持ちや生活に余裕のあるスタッフと私なんぞが共感し合える訳が無いのは当たり前のこと。

しかし、イエスやノーが存在しない会話の中で、適当に飾られた体裁の良い見せかけの共感を吐いているのだとしたら、大人になった私ととても似ているのだから、世の中には可笑しな話が沢山ありますね。


しかし思い返せば、ミヤビさん以外に蛞蝓のことを話したのは、未来で他人になったその幼馴染だけだった。

帰りのホームルームを終えた図書室で二人、世界中のボードゲームをするのが日課になりかけていたその日、親友はカードゲームを選択した。

積み上げられたカードを上から順に開き、書かれた質問に本音を答えていく真実のカードゲーム。十ターン目で開いた私のカードに記されていた質問は、

 〈この世の誰にも言っていない二人だけの秘密はありますか。〉

 「カエちゃんそんなの言わなくて大丈夫よ、カエちゃん。真実のカードゲームなんてただのゲーム、従う必要なんて無いの」

そう囁く当時から大人のミヤビさんの声を掻き消すように、野太い声が私の脳を埋め尽くした。


 「なあカエちゃん、ちっちゃい可愛い女の子のカエちゃん、なあ。これは誰にも秘密だよ。お母さんにも秘密だよ。なあ、二人だけの秘密だよ」


そうして私はまた蛞蝓に支配された。


それから半年後に開かれた父母面談で、順番が前後だった未来で他人になった幼馴染の母親からその事実を聞かされた母は血相を変えて帰宅し、汗だくの額に皴を寄せ、ピエロのように張り裂ける口角を上げながら、両手で私の頬を包んだ。


「ねえ、みんなが通る道なのよ。言わないだけで、みんな同じような経験をしているの。分かる? 普通は皆、人に言わないの。だって、よくあることだから。良い子だもの。分かるわね」


死にたいと思ったのは、その時が初めてだった。


一秒でも早く、親愛なる心の元に行ってしまいたい。


今お腹に宿っているこの子も、もしも生まれてしまえば私と同じような、いやもっと悲惨な日々を味わうかもしれない。

若しくは私が母の言葉に何度も呆れたように、この子は何度私に呆れるのでしょう。

母が父母面談からの帰りに私を愛することをやめたように、私はいつこの子を愛し、愛することをやめるのでしょう。


私は手紙を破り、また破り、また破り、また破り、また破り、ポストの横にあるゴミ箱へぱらぱらと流し込んだ。

供養。


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