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10月9日

それから風俗店の無断欠勤を続けること三日間。


ふと客に貰ったカレンダーが目に入った。

長い長い一年を、たった一枚で流すA三サイズのカレンダー。

一〇月九日(土)。


今日の日付を知り、アパートを出て久しぶりに外の空気を吸った。


お嬢ちゃんいらっしゃい、と咲き誇る街の花屋を横目に歩く。

駅の方面へ向かうと聳え立つ大型スーパーマーケットに入店した。

人混みの中、アルコール棚からビール缶を取りレジに並ぶ。順番が近づくと、レジ横に置いてある菊の花束と線香、ライターを手に取った。


「一七七〇円、ちょうどいただきました。ありがとうございました」

 溌剌とした店員の声に、お会計したばかりの品を背中の後ろに隠し、駅前に戻りタクシーを停めた。


「琵琶湖まで向かって下さい」

 タクシーの運転手が窓から顔を出す。

「琵琶湖、広いで。琵琶湖のどこや」

「ここから一番近い琵琶湖に」

「はいよ」

 後ろの席に乗り込んだ。右手に菊の花束と線香を握り持ち、左手にビールを抱えたまま、三十分ほど車体に揺られる。


「お嬢ちゃん、お墓参り?」

「まあ」

「師走の忙しい時に偉いなあ」

「大切な人だったので」

 ビール缶から滴った水滴がズボンを貫通し、太ももが濡れる。


「あんたの言葉、こっちの人ちゃうなあ。滋賀に知り合いでもおるんか」

「いません」

「ほうか。琵琶湖近くに墓があるんか。あの辺りやったら近江西安さんとかあの辺り……」

「ありません」

「お?」

「お墓なんてありません。たてていません。たてて貰っていません」

「えっと」

「今、どこに居るのかも分かりません」


運転手がミラー越しに私を見つめた。

まるで化け物か霊の姿でも確かめるかのように、黒目をぎりぎりまで左に寄せてじろりと舐めてくる。


「どこかに居るなら。墓があるなら。私が知りたいです」


私は、タクシーを降りて琵琶湖のほとりに出た。



茶色く染まった芝の上に胡座を描く。


カチャッという音を立ててビール缶を開け、すっかり人肌に生温くなったそれを一気に飲み干した。


箱から線香の束を取り出しライターを付け、手で赤い炎を祓うと、ビールの口に差し込んだ。

ぐしゃりと手の跡が残るビニールに包まれた菊の花束をビール缶の横に置く。


そっと胸に右手を当て目を瞑った。


一〇月九日。

これは私の命日です。体から心への供養です。


確かにあった麗しく澄んだ皴の無い心。

屈強な人間の腕から逃げることに成功し、どこかで幸せに生きているはずの心。


あの日も私は寒空の下、こんな風に茶色い芝の上で目を瞑り、それが終わる事をただひたすらに願っていましたね。


どうか安らかに眠って下さい。


追悼の意を捧げます。

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