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明るい未来を抱きしめて 改訂三版  作者: ある自殺志願常習者
1. 中学生時代
9/25

1-2.方法(1)

・方法


 死ぬにもいろいろあって、それぞれに様々な違いがあるというのは、死んだこともないし、人が死ぬのを見たことがないし、まだしばらくは死ぬはずがななさそうな私にも分かる。そういうわけで、私はここで切腹という方法を選ぶことにした。

 なぜそれを選んだかと言うと、別に特別な話じゃない。

 まず、どう見ても事故ではなく、しかも、死にた過ぎて死んだというネガティブな感じではなく、あえてこうして死んだという、ポジティブな考えが伝わるからだ。それから、死んだ後に、テレビとか新聞とか、もしくは学校の先生から知らされるのか、いろんな経緯は考えられるけど、そこでどんなにお行儀良く表現しても、死に様が伝わるだろうと思ったというのもある。

 今時、何でも分かってしまうから、どこかから詳しい話も伝わってくれるだろうし。そこで勝手に言われることになる想像以上のことをやってやるんだという自信もある。そうすればきっと、いつもは敏感で細かいことにめざといBさんが私に対しては都合良く鈍感になるとしても、そのままではいられないはずだった。たとえ、私の遺書が誰にも見られないままだったとしても。なお実際には、見られるどころか書かれもしなかった。

 しかしこういう理屈が正しかったとしても、それはむしろ後から思いついたことだった。最大のきっかけは、この頃に、そういう死に方をした作家のことを知ったからだ。

 国語の資料集の、何人かの作家がまとめられていたページで、授業では触れられもしなかった。写真が白黒で、今時の写真とは違うぼやけ方をしているだけで、とてつもなく古い時代に見える。三十年少し前というのがそんなに大昔なのか、私にはよく分からないけど。確かに、テレビでたまに流れたり教科書に載っていたりするその頃の人の様子を見ると、信じられないほどダサい。でも着物を着ていたり侍姿ってわけではないし、その頃には、例えばプロ野球は今とだいたい同じチームで構成されていたし、その頃から変わらないお菓子とかもあるようだし、何より、一緒くたにされがちの「戦後」に入るから、昔ではあっても、同じ「時代」のことのような気がした。

 そんな同じ、少なくとも同じような時代に、そういう死に方を、あえて選んだ人。そのときだって今だって、馬鹿げた死に方だと思われたのは同じだったんだろう。作品については大して解説されず、死に方について、夭折願望とかいうそこで初めて見た言葉であっさりと決めつけられている。

 名前も初めて知ったのに、その扱い方に、なぜか私は激怒していた。私だって「紙幅の制約」という決まり文句は知ってるけど、それでも、何かひどい汚され方をしているように見えた。そしていくつかその人の小説を読み、何を理解したんだか分からないけど、分かったふりはできるようになった。

 そういう先生のおかげで、私は切腹という頭のイかれた方法を選ぶことにした。そして後知恵で、とても効果的で都合がいいと思うこともできた。

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