1-3.なぜやめたか(2)
その次の日の朝には、ずいぶんとマシになっていた。でもなんて言うか、街で暴れてた怪獣が死んでも死体と廃墟が残っているというような、気持ち悪さそのものではなく、その後味みたいなもの(強烈だ)のせいで、気分はどんよりしていた。
それが治ったのは、学校でBさんに会ったときだった。前に姿を見たときには、もうこれで最後だと思ったBさん。私に何をしたのか、最高の方法で思い知らせてやると思い、最高の気分にさせてくれたBさん。その日の私の気持ちも、この朝の私の気持ちも、全く知らないBさん。ごく普通に、教室で、
「おはよー」
と挨拶してくれたBさん。彼女の姿を見た瞬間、なんて言うか、悪夢から覚めたような気分になった。
あれほど憎らしく感じていたのはなんだったのかと思える。途端に、自分の考えが恥ずかしくて、幼稚に思える。というか、そうだったと理解した。
私の返事が少しぎこちなかったからか、きょとんと私を見ている顔が、こんなにかわいかったっけと思った。そしてすぐに、そうだったと思い出す。ついでに、その後見たUくんについては、「ああこんなものだったな」と思った。失望というほどではないけど、余計なものがとれたという感じ。
その後には、気持ち悪さの代わりに、恥ずかしさとか負い目とか決まりの悪さが出てきて、こっちの方がだいぶ長く続いた。一週間くらいは。
BさんとUくんの付き合いは順調らしい。私もすっかり、嫉妬から彼女を守る仕事を、自然にこなせるようになった。負い目のせいかもしれないけど、それでも、あの馬鹿げた計画と、それを頭の中で考えていた頃のBさんに対する気持ちに比べれば、遙かに自然だし、まともだったと思う。
私はこれを書いている間、できるだけ、その時々に感じた気持ちを、そのまま再現して文章に反映させるようにした。つまり、今の私の気持ちとはずれているところばかりだということ。
なんで私は、わざわざ自分でこんなに自分の胸を痛くさせながら、こんなものを書いたんだろうか。
<以上、第一部>
(改訂三版における注:Bさんに対する負い目のような気持ちは、一週間くらいはかなり強く、その後もしばらく、薄まりはしても延々と続いていた。今になってもふと思い出す時があり、そうすると、実に正確に気持ちが再現されてしまう。結婚報告の葉書を受け取った時にも、祝福する気持ちより前に、そちらの方が先に現れてしまった。この彼女に対する負債は、たぶんずっと弁済されることはないのだろう)