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同志諸君よ、赤い旗の下で

作者: 瀕死の重病患者

読んで頂き誠に感謝します。

1941年、独ソ戦が激化する中、ソビエト連邦の大地は血と煙に覆われていた。キエフの街に迫るドイツ軍の進撃を前に、祖国防衛のため立ち上がった者たちがいた。その中に、若き女性軍人、ナタリア・イワノヴァの姿があった。


ナタリアはキエフ近郊の小さな村で生まれ育った。父は村の教師、母は看護師で、幼いころから彼女は祖国を愛し、人々に尽くす心を教えられてきた。しかし、戦争がすべてを変えた。ナチス・ドイツの侵攻が始まると、村の若者たちは次々と赤軍に志願していった。ナタリアもまた、その波に身を投じた。

赤軍への入隊は家族との別れを意味した。父は深い皺の刻まれた手でナタリアの肩を掴み、「自分を守れ」とだけ言った。母は声を詰まらせながら、「帰ってきてね」と泣き崩れた。弟のイワンは泣く代わりに、固く拳を握りしめた。「お姉ちゃん、ドイツ人を追い払ってよ」と震える声で言った。

「必ず戻るわ」とナタリアは約束したが、その言葉に自信がなかった。故郷を去る列車に乗り込むとき、彼女は振り返らなかった。振り返れば、足がすくんでしまう気がしたのだ。


赤軍の新兵としての訓練は厳しかった。銃を握ったことのない彼女にとって、重いモシン・ナガン小銃は冷たく無機質な道具に思えた。それでもナタリアは耐えた。男たちに混じり、体力や射撃技術を磨き、次第に「同志」として認められるようになった。

やがてナタリアは女性兵士のみで構成された小隊に配属される。彼女たちは「赤い鷲」の異名を持つ精鋭部隊で、偵察や狙撃、後方支援を担っていた。小隊のリーダー、エカテリーナ少尉は冷静で厳格な女性だったが、内に秘めた情熱がナタリアを鼓舞した。

「君たちが武器を握る理由を忘れるな。我々は祖国と家族を守るために戦うんだ」とエカテリーナは演説した。「敵は容赦なく我々を攻め立てるだろう。しかし、我々が立ち上がらなければ、未来はない。」


1941年9月、キエフの戦いが始まった。ドイツ軍は圧倒的な火力と機動力を持ってソビエト軍を包囲しつつあった。ナタリアの部隊はキエフ市内の防衛線に配置され、進撃するドイツ軍に対抗した。空からの爆撃と砲撃が日夜続き、街の建物は次々と瓦礫の山と化していった。

「この戦いが終われば、我々が生き残れるかどうかが分かる」とエカテリーナは短く指示を出しながら言った。「でも、退却は許されない。」

ナタリアはスコープ越しにドイツ軍の兵士を狙いながら、その言葉を反芻した。敵兵の顔が見えるたびに手が震えたが、「イワンを守るため」と心の中で繰り返し、引き金を引いた。狙撃の音が響くたび、彼女の手は少しずつ冷たくなった。


9月19日、ドイツ軍の包囲が決定的となる日がやってきた。街の至る所で激しい戦闘が繰り広げられ、ナタリアの部隊も最後の抵抗を試みた。もはや物資も弾薬も尽きかけ、援軍も望めない状況であった。

エカテリーナ少尉は部隊を集め、「これが最後の戦いだ」と短く告げた。「全員、突撃の準備をしろ。我々が犠牲になれば、その分だけ敵を遅らせられる。」

ナタリアは小隊の一員として、瓦礫の陰から這い出た。爆撃で粉々になった建物の向こうには、ドイツ軍の旗がはためいていた。空には灰色の雲が広がり、太陽の光は見えなかった。ナタリアは胸にしまっていた弟の写真を一瞥し、銃を握りしめた。


突撃の合図とともに、赤旗を掲げた小隊がドイツ軍陣地へと突進した。銃弾が四方八方から飛び交い、仲間たちが次々と倒れていく。ナタリアも右腕に痛みを感じたが、それを無視して走り続けた。赤旗を握るエカテリーナの背中が目に入ったが、その瞬間、彼女も弾に倒れた。

ナタリアは咄嗟に旗を拾い上げた。その赤い布は血と泥で汚れていたが、彼女にはそれが祖国そのものに見えた。彼女は全力で走り、ドイツ軍の陣地へ突入した。そこに立っていたのは敵の国旗――鉤十字の旗だった。

息を切らしながらナタリアは最後の力を振り絞り、赤旗を突き立てた。その瞬間、敵の銃弾が彼女の胸を貫いた。


ナタリアは地面に倒れながら、遠ざかる意識の中で赤旗を見上げた。それは風に吹かれ、鉤十字の旗を覆い隠していた。


「イワン……守ったよ……」と彼女は微かに呟いた。そして、ナタリアは静かに目を閉じた。


彼女が命を散らした場所は、やがてキエフ全体が陥落した戦場の一部となった。だが、その赤旗が翻る姿は、そこで戦った人々の勇気と犠牲を語り継ぐ象徴となった。ナタリア・イワノヴァ、その名は歴史の中で静かに生き続けた。


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