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第九話 胡散臭いペイディ


 悲鳴を上げながら崖下へと転がり落ちて行った男を見ながら、しかし俺は安堵も侮蔑も抱くことなく、警戒を解かずにいた。


(死んだか……? いや……)


 カオス・マターが回収できた感覚は無い。

 どうも虫の息だが生きているようだな。


 崖下を覗き込めば、大の字になってピクリとも動かないフードの男が見えた。どうも突き出した岩か何かに引っかかって、谷底まで落ちることなく助かったらしい。


(運のいい奴だな)


 だが悪くない。自然死に見せかけることができる。

 このまま放っておけば、そのうち大蜥蜴やレッサーデーモンにでも見つかって食い散らかされ、まず間違いなく死ぬだろう。


 俺はそれきり興味を無くし、ロングソードを納剣した。

 振り返って洞穴に進み、谷の上へと向かおうとして───


『人間性を大切にな』


 ───不意に、魔女の言葉が脳裏をぎった。


 身動きできず、生きながら食い殺されるなど無惨だ。

 しかし俺には、なんの同情も湧いてこない。


 初手から首を狙って斬りかかってきたり、一歩間違えば崖下に滑落して死ぬような場所で待ち伏せていたりしたあの男は、聞きたいことがあるなどと言ってはいたが、うっかり俺を殺してしまったとしても、なんの不都合もなかったのだろう。


 であれば、このまま見殺しにしたとて気にすることなどあろうはずもなく、俺の心はなんの痛痒つうようも感じないだろう。


 いわんや慈悲をかけてやる必要など欠片も無い。だが。


「……くそっ」


 この考え方は、人間性を喪うことに繋がっていないか?

 こういう小さなことが積み重なって、知らず知らずのうちに、人間性を喪わせていくのではないか?


(思えば……俺の指ごとレッサーを斬ったあの戦士も、無意識のうちに人間性を惜しんで、俺を助けようとしたのかも知れないな……)


 俺はもう一度滑落したフードの男を見下ろした。

 周囲の足場を確認すると……行ける。難なく辿り着けてしまうことがわかってしまった。奴の倒れている場所まで。


「はぁ……」


 ため息が一つ漏れた。仕方ない。


 ちゃんと殺して(・・・・・・・)おいてやるか(・・・・・・)

 人間性は大切にしようと決めたばかりだしな。


 来た道を戻るのは少々億劫ではあったが、男のもとに辿り着くまで苦労は無かった。この危険な足場で歩みに迷いなど含んでいては自殺に等しいからだ。


「が……っ、かはッ?!」


 降りてきた俺に気づいたようだ。

 男はフードで隠していた頭部を晒し、血泡を吹いて呻いている。


 髪を剃った禿頭とくとうからは血色が失せ始め、むき出しになった顔には恐怖の表情を貼り付けて、俺の顔から視線を動かせず、体は小刻みに震えていた。


「まっ……、待っで、ぐれ」


 待つわけがない。無言でロングソードを抜剣する。

 逆手に持ち替え、急所を見定める。首か、心臓か。


「お、教え、る。安全な……み、ち」


 ん?


「他にも、いろ、いろ……」


 んー……一応聞くか。


「言え」


「あッ、案内す、る。だがら、だず、けて、くれ」


 この野郎……まだ取引なんぞ持ちかけてくる余裕があるのか。

 いや、これくらいのしたたかさがないと、この世界ではやっていけないのかもな。そう考えれば、この態度もそうおかしなものじゃないか。


「……治癒の丸薬は持ってるか?」


「ッ! ある……ある! ふところに……」


 気が変わった。まだいつでも殺せる状況に変わりはない。

 情報を得られるのなら、ここは見返りに助けてもいいだろう。


「変な真似をしたら、その場で殺す」


「わ、わがってる……」


 男の腰袋から丸薬を摘まみ出し、まとめて口の中に放り込む。

 咀嚼する力くらいは残っていたようで、嚥下も問題なし。吐き戻すようなことはなかった。


 それから数分。俺は岩場に腰かけて、谷の風に身を任せた。

 もちろん剣は抜いたままだ。理由は言うまでもない。


 やがて男は身を起こせる程度に回復したようで、促しもしないうちに勝手に喋りはじめた。


「す、すまねえ。悪かった。いやぁ助かったぜ。あんたは話のわかる奴だって思ってたんだ。俺はペイディ。グーラックのペイディだ」


 グーラック……地名だな。いくつかのフレーバーテキストでちらほら名前が出てる。どんな地方なのか詳しい情報は無かったけれど。


「歩けるようになったらすぐに案内しろ。だがその前に、いくつか質問に答えろ」


「おう、勿論さ。なんでも聞いてくれ!」


 調子のいい奴だな……少しも油断できねえ。

 警戒を緩めぬまま、情報収集のために、俺はこのペイディとやらとしばらく会話を重ねた。


縄梯子なわばしご……?」


「ああ、あの横穴に入ってすぐ、隠した空間に縦穴が掘ってある。そこに長い縄の梯子を垂らして上との行き来が楽なようにしてあるのさ」


 なるほど、ゲームには無いルートじゃ気づけなかったかもしれない。

 こいつを助けた甲斐が……いや、まだ気を抜くには早いか。


「そんな方法で上の【亡者街もうじゃがい】と繋げたのか……」


「あん?【亡者街】? あんた、いつの話してんだ」


「ん? どういう意味だ?」


「【亡者街】なんて呼ばれてたのは、もうだいぶ前の話だろ」


 だいぶ前……? この上のエリアは【亡者街】じゃないのか?

 それとも名前が、呼び名が変わってるってことか?


【亡者街】はオープニングチュートリアルのイベントが終わった後、変な寄り道をしない限り、プレイヤーが最初に辿り着く最序盤のエリアだ。


 街中には【なりそこない】という名称の敵が其処彼処そこかしこにいる。

 只人が混沌にてられて、デーモンどころか混沌戦士にもなれず、知能も理性も喪った生きる屍、まさしく亡者のような敵の集団と戦うことになる。


 戦闘能力が極めて低いカオチャにおける最弱のモブエネミーは、しかし数の暴力と、あの手この手の奇襲や包囲戦術でプレイヤーを殺しに来るのだ。


 正式名称は【なりそこないの亡者街】だっけか。

 プレイヤーはこのエリアで───


「今は【聖女街】って呼ばれてるぜ」


 ───そう、一人の【聖女】と出逢って……え?


「【聖女街】……?」


「ああ。少し前から街を牛耳ってる【秩序騎士】どもが、そう呼び始めて定着したんだ。前は腰を据えるに悪くねえ場所だったんだがな……けっ、今じゃ奴らのせいで居心地が悪いったらねえぜ」


(【秩序騎士】が牛耳ってる……? 薄々わかってはいたけど、これまた本格的にカオチャと違ってきたぞ……?)


【秩序騎士】は主に中盤のエリアで出没する強モブの集団だ。

 金属鎧を大柄な体格に纏い、大剣や長槍、大槌などで武装した強敵で、高い生命力と筋力を誇り、対処方法をわかっていないと一対一でもあっさり殺される。


 半面、瞬発力はさほどでもなく、色々重いので足も遅い。

 ぶっちゃけ面倒だから、走り抜けてスルーした方が良い状況が多い。


 しかし実は、ゲームでは散々斃した敵だったりする。

 獲得できるカオス・マターは少なくないし、さらには良質な装備をドロップすることもあり、稼ぎの対象としては悪くない連中なのである。


「聖女マグダレナはまだいるのか?」


 最初に出会う聖女の名がマグダレナだ。彼女に出逢って、ようやくレベルアップできるようになり、ここからカオチャが始まると言っても過言ではない。


「マグダレナ? 知らねえな……いやいや嘘じゃねえよ? だいたいよ、あんだけいたら名前なんぞいちいち覚えてられねえや」


「あんだけいたら……? 聖女は街に、何人もいるのか?」


「おうよ。人数はわからねえが、二十人くらいはいるんじゃねえか? 秩序騎士どもが連れてきたのか、その辺の女を攫って聖女にしたのかは知らねえがな」


 ……いよいよもって記憶が役に立たなくなってきた。


「デーモンの祭祀場にいた戦士たちは何者だ?」


「近場で燻ぶってた流れモンってだけだ。あんたも見たろ? 祭祀場にでっけえ光の……黒い光の柱が立って、一瞬で消えちまったのをよ」


 黒い光の柱? 知らない……俺がこの世界に来た前後の話か?

 ひょっとすると、世界間転移の怪現象かなんかだろうか。


「俺らはあれを見て、何があったか確かめに来ただけなんだ。もっとも俺ぁ、一匹ついてきやがってた秩序騎士を叩き落して始末してたんで遅れたんだが、結果的に幸運だったようだな。あんな数のデーモンどもが集まってきてたとは思わなかったぜ」


「叩き落して? ならあの時、吊り橋の残骸を登ってきてたのは」


「きっちりったぜ。もっとも大していい物持ってなかったがよ」


 ……死体漁りか。


「祭祀場で死んだ奴らのブツもある程度は運び終えた。なぁあんた、混沌結晶で何か買わねえか? ペイディ商店の開店だ。安くしとくぜ?」


「欲しい物はもう奪った」


「あー……そりゃそうか。だがよ、気が変わったら買いにきてくれや」


「覚えておく……そろそろ歩ける程度には回復しただろう。立て」


 行かねえし、また会う気も無えよ……とは言わんでおこう。

 沈黙は金、雄弁は銀だ。場合にもよるけど。


「い、いや、もう少し待ってからでも───」


「───今すぐ立て。死にたいか?」


 全快するまで待ってやる理由は無い。主導権は一度奪ったら絶対に渡さない方がいい。特に、こいつのように調子のいい奴には。


「クソッ……わかったよ。いいか、立つぞ? 歩くぞ? 殺すなよ?」


 そのまま歩かせてさっきの横穴まで戻る。

 暗い洞穴を先導させると、いくらも歩かないうちに、記憶に無い空間があり、そこにはペイディが言う通り、縄梯子が垂らされた長い縦穴があった。


「悪いが俺ァここまでにさせてもらうぜ」


「この期に及んで───」


「───い、いや、最後まで聞いてくれ。俺がなんかするかもって考えて警戒してるんだろうが、その心配はいらねえ。俺ァこのまま谷底に降りるからよ、信じられねえってんなら、俺が充分離れるまで見ててくれよ」


 何か気になりはするが……まぁ、ひとまず言う通りにしてみるか。


「まだ谷に用があるのか?」


「谷っつうか祭祀場にな。まだ全部運び終えてねえんだ」


「死体漁りの続きかよ……」


 カオチャの拠点作りみたいなことやってやがる。

 そうなんだよなぁ。カオチャがクソゲー呼ばわりされる理由の一つに、拠点の引っ越しが超絶面倒くさいってのもあるんだよなぁ。


 他のゲームでは、全ての拠点で収容物を共有する異空間インベントリが常設されており、プレイヤーは最低限の荷物だけ持って移動するだけ、っていう便利システムの場合が多い。


 ところがカオチャでは、アイテムボックス要素が拠点ごとに独立しており、別のエリアに行くたびに、武器やら道具やら大荷物抱えて移動しなければならないという、無駄にリアルで不親切なシステムを採用している。


「まぁ、いま上に行くと、秩序騎士どもの他にも面倒な奴がいるんでよ、そいつに会いたくねえ、って理由もあるにはあるんだがな……」


「何がいる?」


「行けばわかる。害があるわけじゃねえんだが……あんたも関わらない方がいいぜ。登ったらせいぜい気を付けるんだな」


 わけがわからん……まぁ行くしかないんだが。

 一応気を付けて行くとするか。


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