第四話 あいつんち前の旅支度
しばらくうずくまっていた俺は、しかし半ば自棄になって立ち上がった。こうしていても事態は好転しないからだ。
なにげなく自分の姿を見下ろしてみた。
吸汗速乾が売り文句の肌着には、幸い血は沁みていないようだ。
俺のジャージは赤いラインが入った黒地なので、返り血は目立たない。
勝利の女神ニケの名を冠する会社の製品である信頼と実績のトレーニングジャージは、あれだけ激しい運動をこなした後も着心地に不愉快さはみじんも無い。
「でも、この恰好は……この世界じゃ不自然だ」
ひとり小綺麗な死体があり、そいつから外套を頂いた。
同じように戦士たちの死体を漁り、使えそうな小道具を盗んでジャージのポケットに突っ込み、ついでに、サイズがちょうど良かった革製のブーツも履いておく。
そして急激に伸びた髪だが、鬱陶しくてたまらなかったので、血をヘアワックスがわりにして髪に撫でつけ、オールバックにまとめた。いやまあ、流石に完全にはまとまらないが。
鎧のたぐいは重さも汚れも損傷も酷く、使い物にならなそうだった。
仮に使えてもサイズ調整が必要だろうし、諦めるほかない。
ベルトにロングソードとナイフを鞘ごと固定して下げる。
小物を入れた腰袋は、布の紐で袈裟掛けにした。
ナイフは……普通のやつだな。
アイテムテキストも覚えてる。
【ありふれた混沌鉄の短剣。刺突が主な用途。
特に組みついてからの突き刺しにはもってこいだろう。
だが雑な量産品で耐久性に乏しく、安易に受けなどせぬ方がよい】
最後に暗い紺色の外套を羽織ると、軽装戦士っぽくなった。
これで、誰かに見咎められても外見の怪しさは薄れるだろう。
どうも、混沌の戦士レベル1です。
対戦よろしくお願い……するわけねえだろ。
そして広場を離れながら、周囲をざっと見回したが───
(───やっぱり、復活ポイントみたいなものは見当たらない。これはいよいよ死んだら終わりな可能性が大だぞ……!)
死にゲーは何度死んでもやり直せるというデザイン上、復活ポイントとも呼べる場所がいくつも存在する。
作品ごとに名称や形といった違いはあるが、敵が侵入不能な安全地帯かつ、死んだ時に戻ってくる場所が、例外無く存在する。
カオチャの最初の復活ポイントは、オープニングイベントの【再誕】が終わった直後、ここに発生するはずなのだが、それらしきものは何処にも見当たらなかった。
「ひとまずここを離れよう……この先のあそこなら、ここよりはマシだ」
そうだ。この先に進むと、俺が見ていた配信者が戦っていたチュートリアルデーモンが潜んでいる、ひと際大きな廃墟がある。
あの場所にはいくつか秘密がある。
一見戦わなければいけないように思えるあの巨大デーモンは、しかし実は戦う必要がなく、ショートカットできるルートが隠されている。
バグでもなんでもなく、正規のショートカットルートだ。
さらには隠しエリアがいくつかあり、その中に、序盤では破格の性能を誇る装備や、便利なアイテムなどが落ちている。
あわよくばそれらを入手し、現状を打破する助けにしたい。
「……やっぱり有りやがった」
プレイヤー間で『あいつんち』と呼ばれた石材製の大きな廃墟。
はたして『あいつ』たるデーモンに見つからないように───
「……え?」
───などと警戒する必要もなく、その広い空間は蛻の殻だった。
見間違い……じゃない。本当にいない。
薄暗いせいで見え難いが、実はこの広い部屋の天井近くに空間があり、入り口付近から中の様子を窺うと、その空間に待機している巨大デーモンの姿が確認できるのだ。
それに気づかず一定距離まで廃墟内に侵入すると、ダメージ判定を伴う飛び降りで、プレイヤーの死角となる頭上から不意打ちをしかけてくるという寸法だ。
ヒトステで食らったらもちろん即死である。
デモステは食らってもギリギリ即死しない。
「見えない位置に隠れていたり……」
……しない。ずいぶん侵入したけど出てこない。
まただ。またカオチャの記憶と違う。
ん? あ、これってたしか───
「───【デーモンの大岩槌】だ! あいつのドロップ武器!」
大部屋の真ん中に転がっていた巨大な岩のハンマー。
見間違えようはずもない、体格ビルドの良装備、ユニーク武器だ。
アイテムテキストはどんなんだっけ。
【巨体のデーモンが持っていた岩の大槌。
重さと面積による打撃で叩き潰す、ただそれだけの武器。
これを振り回せる戦士の体重と筋力は、もはや人とは呼べぬだろう】
だっけかな?
デモステスタートでの推奨武器のひとつで、装備条件ステータスは、体格が30以上、筋力は両手持ち補正こみで30……いくつだったっけ。忘れたが、かなり厳しい数値を要求された覚えがある。
力学上、自分の体重より重い武器を振り回せるはずがない。
様々なゲームでしばしば無視されるこの法則は、しかしカオチャにおいて『体格』というステータスによって、ある程度の現実っぽさが反映されている。
この『体格』というステータスを上げると、上げた分だけアバター、つまり自分のキャラクターの体が、本当に大きくなるのだ。
加えて手足の長さも伸びるので、攻撃のリーチや走行速度すらも変わるという、一風変わったシステムが採用されていたりする。
しかも、体格が変わると鎧などの装備は調整改造が必要になったり、レベルアップやイベントなどで、顔つきや肌の色なども随時変わっていく要素もあり、恐らくこの点が、死にゲー全般に実装されているキャラクタークリエイトシステムが、カオチャに存在しない理由だと思われる。
脱線したが、人の身の丈を凌駕する武器などは、みな例外無く、体格および筋力ステータスの両方を装備条件として要求してくるのがカオスチャンピオンだ。
レベルアップ時に好きなステータスを一つずつ振り分けて上昇させていくカオチャのステータス成長システムにおいて、体格と筋力を重点的に上げていくステ振りを、プレイヤー達は『体格ビルド』と呼んでいた。
その体格ビルドでメイン装備として推奨される幾つかの武器がある。
この巨大な岩のハンマーこそ、圧倒的な物理攻撃力を誇るメイン武器候補の一つだった。
しかもこのデカブツは防御面でも優秀で、盾としても使っても武器損壊知らずの耐久力数値を誇り、ガード成功時の物理ダメージカット率は100%だった。
そして重量カテゴリは、軽量、中量、重量、超重量のうち、超重量。
【弾き】での攻撃キャンセル可能条件に『一つ上の重量カテゴリまで』というものがあり、実質全ての武器カテゴリを弾きキャンセルできる。
まあ弱点もある。
一撃に消費するスタミナと体力が莫大すぎる。
でかいイコール画面占有率もでかいので、敵が見づらい。
攻撃範囲こそ広いが、空振り硬直と弾かれ硬直が長い。
攻撃速度と攻撃判定発生が遅すぎる、などだ。
正直、超重量カテゴリよりも重量カテゴリの方が優秀な武器が多いから、人気はあまり無いと言わざるを得ない。
「これが落ちてるってことは、あいつは既に斃されてるのか……たしかに初期ステじゃ拠点に運べないし、おかしくはないけど」
いないなら好都合ではある。
大手を振って隠しエリアに行こう。
(たしかこの部屋の……ん?)
記憶通りに進んでいった俺が辿り着いたその部屋。
目当てとなる隠しエリアへの入り口は、しかし。
「開いてる……うわッ!?」
肉スラ!? たしかここには居なかった筈なのに!?
肉スライム、略して肉スラ。正式名称【なりそこないの肉塊】。
動きも遅い、攻撃力も低い、敵意も薄い、放置推奨のモブエネミー。
他のゲームに頻繁に出てくるスライムから透明度を無くして、腐った肉のような見た目にしたうえで、中心核を破壊すれば斃せる、といったようなお手軽仕様を失わせ、加えてやけに高い生命力が与えられたのがコイツだ。
「付き合ってらんねえよ!」
ジャンプ一番飛び越して、奥に進む。
まさか他にもいるのか? うわ、いるよ。面倒な。
(目当ての場所だけ確認して、さっさと逃げだ。それにしても、薄暗いってのに良く見える……まさか夜目もきくようになってるのか?)
二つ三つあるアイテムの落ちている場所を足早で確認していく。
この隠しエリアはそれほど広くない。記憶の通りの構造だったのが幸いし、ほとんど時間をかけずに確認することができた。だが。
(全部無い……無駄足かよ、くそ)
となれば長居は無用。勝手知ったる『あいつんち』だ。リアルタイムアタックのように最短距離を逆戻りして最初の大部屋に戻ると、ショートカットルートは無視して、やはり開いていたデーモン撃破後に開く大扉を抜ける。
「……コレだけ残ってるのかよ」
出口たる扉がある小部屋の隅にポツンと鎮座した、古めかしい箱。
これこそカオチャにおける初見殺し。凶悪極まる罠なのだ。
これには転移トラップが仕掛けられており、開くとプレイヤーは強制テレポートさせられ、ゲーム開始時の貧弱なステータスのうちになど来るべきではない、ある危険なエリアを走破するはめになる。
カオチャは多くの死にゲーと同じようにオートセーブシステムを採用しており、任意セーブ地点からプレイをやり直すという、一般的なRPGのセオリーが通用しない。
進行した状況をなかったことにはできない。
死にゲーの難易度を上げている要素は、これもあるのではなかろうか。
(この罠をわざと発動させれば、元の世界に帰れるかも───)
───なんて、そんな楽観的な実験はできないよな。
もしゲーム通り『あのエリア』に飛ばされたら、今でもエリアの構造を覚えている俺ではあるが、高確率で死ぬことになるだろう。
実験するにしても、安全マージンが確保できた時か、実験せねばならない理由ができた時だけにするべきだ。
無視して外に出る。
出てみれば……記憶通りの光景が広がっていた。
「この坂は【祭祀場への道】だ。ってことは、向こうに見えるのは【無縁墓の谷】で間違いない。なら───」
───レベルアップ、できるかもしれない。
カオチャのレベルアップは、敵を斃して得られるカオス・マターを集め、レベルごとに決まった量のマターを消費して上昇させる。
ヒトステ選択時なら、選択の直後で500のカオス・マターを所持している。
逆にデモステ選択時なら、なんと3000も所持している。
ロストしていなければ、その分でレベルアップできる。
しかしプレイヤーキャラクターは自力でマターをレベルアップに消費させることができず、それができる人物たる友好的NPCに頼まなければレベルアップができない。
その人物というのは複数いて、すべてが【魔女】か【聖女】と呼ばれており、俺がいま向かっている場所にこそ───
「───え?」
そんな。
嘘だろ。
なんで。
俺は坂道を駆け下っていく。
そこに向かって駆け下りていく。
100メートルを十秒以下で駆け抜けるような速さで。
見間違いであってくれ。
何かの間違いであってくれ。
もし見間違いでなくても、他になんらかの手段が存在していてくれ。
よりにもよって『あのルート』を使うはめになんて、ならないでくれ。
俺の祈りにも似た必死の願いを、しかし現実は容赦なく打ちのめした。
「橋が……大吊り橋が……ッ!」
そこにあったのは、無縁墓の谷に架けられた吊り橋。
正確には、途中から切られて落とされた、かつて『架けられていた』橋の残骸だった。
やばい、やばいやばいやばいッ!!
切り立った崖のような小山の上にあるデーモンの祭祀場と、この深く幅広い無縁墓の谷の向こう側は、この吊り橋を経由してしか行き来できないんだ!
いや、正確にはもう一つルートがあるが、そっちは選べない!
行き来が可能か不可能かでいえば可能ではあるのだが、レベル1の貧弱なステータスで死なずに走破することなど到底できない!
あのエリア───【無縁墓の谷底】を!
さっきの転移トラップで繋がっている場所はまさにそこなんだ!
本来なら中盤あたりで挑むあのエリアに行くなんて無茶なんだ!
「行けってのかよ、あそこに……!」
愕然として打ちのめされ、血の気が失われていく。
脳裏によぎるゲームの記憶。あの谷底の初攻略時、滑落して死に、袋叩きにあって食い殺され、他にも【毒蓄積】や【出血蓄積】も含めれば、総死亡回数は三桁に届くかもしれない。
さすがにそれは、小学生かつゲームに不慣れな頃だったから、という事もあり、今やれば、レベル1でも数回死ぬ程度で走破できる自信はある。
だけどそれは……ゲームの話だ。
この意味の分からない現状では、まったく未知だと言っても過言じゃない。
現状を打破する計画の一歩目から躓いてしまった。
そう頭を抱えたその時。
前方から、ギシッ、ギシッ、と、何かが軋むような音。
切り落とされた吊り橋を、何かが登ってきた?
(しまった……! 後ろばっかり警戒してた!)
判断が遅れた。逃げることも隠れることもせず、俺は登ってきた何かと対面してしまった。
「ふぅ、さすがに疲れるぜ……あん? 誰だテメエ」
(えッ?!)
登ってきたのは男だった。黒ずんだ皮の軽鎧と腰に吊った曲剣。
身軽そうな装束。風雨を凌ぐためのフードと上着は皮ジャンパーのような。
いや、それより。
「ようテメエ、その外套どこで手に入れた?」
鋭い目つきで俺を睨みつつ、問いかけてくる声音は暴力的。
そう。俺は『問いかけている』内容がわかる……!
言葉が、わかるようになっている……?!
「質問に答えろ。その外套はな、俺の知り合いのモンだ。どこで手に入れた?」
この世界に迷い込んでから、混乱していない時間の方が少ない。
とにかく、何か答えを返さないと敵対しかねない……!
「む、ムこうデ、拾っタ」
って、なんだこの発音?! いや、考えてみれば当然だ……!
この聞いたことのない言葉は彼らの使う言語ではあるが、俺は初めて使う言葉なんだから、流暢に喋れるわけがない……!
「その初めて喋るようなたどたどしい言葉遣い、あからさまにこの辺の人種じゃねえ顔つき───テメエ【なりたて】の、しかもよそ者だな?」
案の定たちまち不審そうに表情を歪めていく目の前の男。
待て、この口振り、俺が混沌の戦士に【なりたて】だって、どうしてわかったんだ?
「まさか、あいつらはみんな死んだのか? あいつらの死体から、剝ぎ取ってきやがったのか? ならテメエ───」
腰に吊っただけで、鞘にも入れていなかった曲剣を手に取って、ヒュッと音を鳴らして俺に突きつけるフードの男。
「───誰の心臓食って【再誕】しやがった?」
(……あ)
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に閃くものがあった。
先の【再誕】の際に手に入る心臓は、一度アイテムとして入手した形になっており、その時にアイテムテキストを確認することができる。
そのアイテム名こそ【混沌戦士の心臓】だ。
テキストの内容は、確か、こうだ。
【まだ温かく、鼓動を忘れた混沌戦士の心臓。
これを食餌とすることで、只人は混沌の戦士に変態する。
混沌の者共も人と同じく血は赤く、しかし血に遺志が宿るという。
ならば血と心臓に知識と経験が宿るとて、なんの不思議があろうか】
知識と、経験。これが、只人から混沌の戦士に【再誕】するということか……!