第三話 欠落と疑念の中で
骨が軋む。肉が蠢く。
人としての体が、人ではない何かの体に変わっていく。
肉体変成が、いや【再誕】が始まった瞬間こそ驚愕はあった。
恐怖もあったし、早まったことをしたという後悔も浮かんだ。
だが数秒も経たないうちに、途轍もない昂揚感によってそれら全ては何処かに押しやられ、むしろ大きな歓喜が血流のように体中を駆け巡った。
もう一口心臓を食う。咀嚼する。
力が満ちる。力が溢れる。食うたびに。
「はは……あははっ、あははははッ!」
夢中になって喰い尽くす。
なんだこれ。これが俺?
この漲る力に溢れているのが俺?
さっきまでの貧弱で無力だった俺はどこにいった?
あれは俺じゃないんじゃないか?
これこそが俺なんじゃないか?
自然に笑いが零れてくる。
愉快な気持ちに満ち溢れている。
体験したことのない、最高の気分だ。
だっていうのに。
ギシャア、と。
「さっきの、三匹か」
いい気分に水を差すように、つい先ほど俺を狙った三匹が後方の空中から近づいて、この場に降りようとしている。そうわかる。
俺はおもむろに、落ちていた剣を拾った。
さっきの戦士が俺の指を斬り落とした剣だ。
両手で握り、右から左へヒュッとひと薙ぎ。
流れる剣に合わせて体を開き、薙ぎ払った体勢で左片手に剣を支える。
「……あれ?」
そこで気づいた。左手に、指が、ある。
斬り落とされた事実などなかったかのように。
左手全体の肌の色が、手首のあたりからデーモンのような闇色に染まっており、肌の質もやや硬質に変わっているが、しかと動く。
訝しみつつ頭をがりがりとかじる。
俺のいつものクセ、なのだが。
「むむ……?」
髪まで伸びてやがる。わりと長いなコレ。
二センチくらいに短く切りそろえていたはずがだが。
これ二十センチくらいあるぞ?
「まぁどうでもいい……にしても、ロングソード、か」
いいじゃないか。手の中の拾った得物を矯めつ眇めつ眺めると、何とも言えない満足感がこみあげてきた。
ロングソード。片手用の、両刃の直剣だ。
たしかアイテムテキストはこんな感じだったはず。
【両刃の直剣。片手用だが、両手で握れる程度には柄が長い。
この武器には、打撃、斬撃、刺突の全てが備わっている。
未熟者から熟練の戦士まで、使い手の技量を問わない優秀な武器】
カオスチャンピオンに憤りつつも熱中した多くのプレイヤーが、一人の例外もなく、基本にして最優と評した武器。それがこのロングソードだ。
鍛えても、混沌派生で変質させても、メインウェポンとしても、サブウェポンとしても、決してプレイヤーを裏切らないとさえ評される武器。
あらゆる用途で扱いやすく、我らが導きの剣、などと仰々しい呼び方すらされるこの剣があれば、レッサーデーモンの三匹程度、まるで問題にならない。
とはいえ相手は複数。こちらは一人。
カオチャで油断は死に繋がる。だから───
「───せぇアッ!!」
最初に着地すると見切った一匹目に対し、ダッシュで着地点に飛び込みつつ、下段の横薙ぎで先制攻撃を仕掛けた。
ギャアアッ!? という品のない悲鳴を漏らして、両足を斬り落とされた一匹目のレッサーデーモンが石畳の上に転がった。
───部位切断発生。
───着地失敗による落下ダメージ発生。
───出血ゲージの蓄積開始。
───特殊ダウン発生、スタン継続。
これで一匹は動けない。
残り二匹の着地を待たず───その場から逃走。
ギシャア! と、逃げる俺に文句を言うような響きの奇声を浴びせる二匹だが、知ったこっちゃない。適宜な逃走はカオチャにおける対多数戦闘の基本だからだ。
逃げた先に落ちていた斧を拾い、追いかけてきている二匹目のレッサーに投げつける。三匹目はやや距離がある。狙うに値しない。
脳裏に浮かぶゲームの錯覚。
【拾う】NO【拾って使う】NO【拾って投げる】YES。
操作性が悪いよなホント。クソゲーって呼ばれるわけだよ。
投擲した斧は、しかし回避されてしまう。
狙われた方のレッサーは当たる寸前で横っ飛びしたのだ。
───前進中、方向急転換。行動後硬直増加。
狙われなかった方のデーモンが追い越して前に出る。
そのまま突進刺突を見舞ってくる。
これをこちらも横へのステップで回避。
動体視力が良くなっていることを自覚した。
ついでに、突き出された槍の長い柄へと、軽く一撃。
ロングソードによる打擲で狙いを逸らされ、技後硬直が増加。
勝機だ。
すぐさま剣を引き戻し、最短距離の一点を貫く強攻撃、突き込み。
口中から後頭部へ、ロングソードの剣先が顔を出す。
───防御貫通。致命的被害発生。
ギャッ、と奇声を漏らして動かなくなる。死んだかな。
そこに追いついてきたレッサーが、今度は槍を薙ぎ払ってきた。
大丈夫。見えている。これは上段水平属性。
ローリングでもかわせるが、しゃがむだけで当たらない。
───空振り発生。硬直時間増加。
───体幹維持不能時間発生。
───攻撃行動一時不能。
つくづく自分に呆れる。
こんな状況だっていうのに、俺はこの現実をゲームと混同している。
まぁ、カオチャの戦術セオリーが、なぜか面白いくらいハマっているんだから、実はちょっと困惑もしてるんだが。
そんなことを考えながらも踏み込む。
勢いそのままに両手持ちから右袈裟斬り。
次いで二撃目、同じ軌道を逆になぞる片手切り上げ。
初撃で斬り裂いた胸への二撃目が、心臓に到達。
手応えあり。これは、斬れた。
───心臓攻撃成功。致命的被害発生。
間髪入れずに最初の一匹目に向けて駆け込む。
両足を失って這うように動くレッサーは、それでも殺意が萎えていない。
不格好にも横に薙ぎ払う一撃。下段水平属性だ。
これはジャンプで回避できる。しかし見えるな。怖いくらいだ。
跳んだ軌道そのままに、レッサーへの踏みつけ。
このサイズの敵なら、これで終わりだ。
───小型限定特殊行動、踏みつけ派生・のしかかり。
───特殊行動、のしかかり致命的攻撃可能。実行。
「死ねよッ……!」
骨の抵抗が少ない、眼窩への突き刺し。
これで……致命的被害だ。
狙い過たず刃は脳髄にまで達し、最後の一匹も絶命した。
「ん……?」
ここで漸く、俺は自分の体内に、何か温かいものが流れ込んでくる感覚に気が付いた。これは恐らく───
「───【カオス・マター】の吸収、か……?」
カオスチャンピオンというゲームにおいては、他のファンタジーRPGとは違い、敵を斃しても経験値やら金銭やらは手に入らない。
その代わり、この【カオス・マター】という名で呼ばれる、混沌の力の源とでも表現すべき、無形の何かを体内に獲得できる。
キャラクターのレベルを上げる際、他のゲームにおいては経験値が必要になるように、カオチャではこのカオス・マターを消費してレベルを上げるのだ。
「ってことは……」
意識を集中し、掌の中に『あれ』が生まれるように念じる。
驚いたことに、俺にはなんの根拠も無しにそれが作れると、本能的に理解できていた。
「できた……できちまった」
数秒ほどの瞑目ののちに手の中で生まれたのは、親指の頭ほどの大きさの、黒く、しかしうっすらと光る、小石に似た物質。
「【混沌結晶】まで作れるなんて……本当にカオチャと同じじゃないか」
この【混沌結晶】とは、混沌の戦士が体内に蓄積したカオス・マターを物質化させて作り出せるものであり、また、物質化を解除して体内に取り込み直し、再び蓄積できるという、一風変わったものだった。
注ぎ込めるカオス・マターの量は、作るときに任意で決められる。
多く注いでできたものほど、大きな混沌結晶になる。
そしてこれは、金銭が存在しないカオチャにおいて、物品交換の代価として、つまりは通貨として利用されるものでもあるのだ。
プレイヤーたちの間では、これを『貯金』などと呼んでもいた。
携帯可能な経験値であり、なおかつ通貨にもなるのなら、なるほど貯金と呼ばれるのも頷けるというものだろう。
ちなみに、カオチャではプレイヤーが死亡したとき、体内に貯蓄していたカオス・マターは、どれだけあっても全てロストする。
だから体内に取り込んだカオス・マターはこまめに混沌結晶に変え、拠点に保管しておくことで、死亡しても失わずに済むという寸法だ。
「ってことは、俺の今の強さ……ステータスも、ヒトステに準じたパラメータ並みってことか? なら、デモステだったら今以上の強さになってたのかな……?」
ヒトステというのは、最初の選択で混沌戦士の心臓を食った時に設定されるステータスであり、プレイヤーたちが付けた略称だ。
逆に、デーモンの心臓を食った時の略称がデモステだ。
たしか、パラメータはこんな感じだった。
ヒトステ レベル1
生命力 10 体格 10
混沌量 10 筋力 10
持久力 10 器用 10
瞬発力 10 理力 10
人間性 90
デモステ レベル1
生命力 20 体格 20
混沌量 10 筋力 20
持久力 20 器用 10
瞬発力 10 理力 10
人間性 70
生命力は単純にライフポイントだ。
数値以上のダメージを受けると死ぬ。
混沌量は、特殊な技や魔法を使うときに消費するポイント。
普通のRPGにおけるマジックポイントとほぼ同じ。
持久力はスタミナゲージと体力ゲージに関する数値。
カオチャにおける命綱と言えるパラメータだ。
瞬発力は、ダッシュ速度、攻撃速度、ジャンプやステップの高さや距離など、おおまかに言えば、アクションの速度に関する数値。
体格は読んで字の如く、体の大きさだ。
リーチの長さや体重、装備可能な大型武器の種類の多さに関する。
また、高ければ高いほどスタミナゲージと体力ゲージの最大値や回復速度に増加補正がかかり、しかし代償として、瞬発力の増加量に減少補正がかかってしまう。
カオチャで一番悩む数値で、成長計画における最適解が難しい。
筋力は武器によるダメージの大きさに関する数値。
これもまた大型武器の装備条件に関している。
器用は扱いが難しい武器の装備条件かつ、一部の攻撃のダメージの大きさにも関係してくる数値。
理力とは、混沌の力を超常的な力として使う際の威力補正、例えば、魔法の威力がどれだけ強くなるか、などに関する数値だ。
恐らく理力という表現は、混沌という名状し難き力を理解する能力、ということではなかろうか。
そして───
「───人間性。これ、どう判断すりゃいいもんかな……?」
ゲームにおいては人間的な理性や意志に関係する、という名目の数値であり、これが著しく下がると人間よりデーモンに近い存在という扱いになり、ゲーム中の人物たちとの間で発生するイベントが消滅したり、問答無用で敵対したりするようになる。
さらには戦闘にも影響する。発狂耐性というマスクデータがあり、これが低下し、プレイヤーが敵から攻撃を受けた時、操作していないのに、勝手に反撃行動を取ったりするようになるのだ。
そうなるともう、ゲームとして破綻する。
操作性とかそういう問題じゃないくらい、ゲームとして壊れてしまう。
これもまたカオチャがクソゲーと評される一因だったりする。
なにしろこの人間性、イベントで増減する他に、なんとレベルアップ時やステータス上昇時、特に混沌量や理力を上げるだけで減少する時があるという、自由なステータスビルドを妨げる要員なんだから、クソゲー呼ばわりされたって擁護できっこないのである。
他には、ストーリーの大筋に変化が生じる条件でもある。
正統ルートの『混沌ルート』と、異端ルート扱いの『秩序ルート』に加え、最悪の結末と言える『なりそこないルート』の、三つの分岐の条件に、人間性の数値が関わっている。
しかし───
(───あくまでそれはゲームの話……とはいえ、この状況でも似たような影響が出るんだろうか?)
だとしたら、可能な限り人間性を下げないような行動を取りたい。
推測こそ可能ではあるが、現状はすべてが詳細不明と言ってもいい。
この世界にもカオチャの友好的NPCのように、助け合える人物がいる場合、情けは人の為ならずの言葉通り、積極的に友好関係を結んで情報収集や良好な環境づくりに注力することが、死の危険を遠ざけることに繋がるはずだ。
関係を悪化させかねない可能性は、なるべく排除したい。
とはいえ───
「───いざとなったら殺せばいいか。そのためには、早く今以上に強くなる方法を考えないと」
人間性パラメータの影響は、しばらく考えないでいいだろう。
今はただ、こんなことになった原因を突き止める。
そのために、生き残れそうな方策を考えることを優先しよう。
まぁ、どうせ死にゲーなんだし、最悪死んでも……
待て。
待てよ。
プレイヤーは……ゲームでは、死んだって何度でも復活できる。
でも、NPCの混沌戦士たちは、死んでも復活はできない。
そうだ。ゲーム内で、プレイヤーキャラクターが何度死んでも復活できる設定って……その理由になりそうなフレーバーって、あったか?
無かった、と、思う。いや、無い。
何度でも復活できたのは、ゲームジャンルが死にゲーだったからだ。
死んだ混沌の戦士が復活したような前例は無い。
だったら……だったら───
「───死んだら、生き返れる保障は、無、い……?」
そうだ。さっきまで、あんなに死ぬことに怯えていたのに、なんで急に、ゲームみたいに生き返れるなんて、そんな楽観的に考えられるんだ。
これはあまりにもゲームに似ている状況というだけだ。
ばっ……バカじゃないのか!?
明らかにゲームじゃないだろこれ!?
というかなに調子に乗ってたんだ俺は!?
「死んだら……死ぬ。当たり前、だ、ろ……」
そもそもなんでだ……!?
なんでこの世界に何も疑問を抱いてなかったんだ……!?
これからの行動の算段なんて立ててたんだ……!?
俺は本当に頭がおかしくなったんじゃないのか……!?
まず帰ることを考えなきゃおかしいだろ……!?
元の世界に……!!
「なんなんだ、これ……マジでなんなんだよ……」
再び襲い来る、途轍もない恐怖。
極めて凶悪で、殺意に満ちた設定の世界。
正体不明、原因不明の、ゲームじゃない現実。
なんなんだ、この───死にゲーみたいな世界は……?