013 エアコンと刺客
「いやー、やっぱええーなー」
エアコンが届いたハルカのワンルーム。
ハルカは設定温度のボタンを連打して25度にしたり、28度にしたりしてご満悦だった。
「おいおい、壊れちまうぞ」
〈伝説の勇者〉こと、赤いチビドラゴンがカップアイスを食べながら言った。
「涼しい部屋で食べるたこ焼きサイコー」
というのは、この世界で唯一無二の親友、廃エルフの千葉マリン。
「なんでわざわざ。それにしてもマリンはいつも何か食ってるな」
勇者が言う。
6畳程度の狭いワンルームに三人がだらだらとしている。
「それ、わかるー。ウチもキンキンに冷えた部屋で布団被るのが好きやねん」
猫舌のくせに熱々のたこ焼きにチャレンジしてはなかなか食べられないマリンに答える。
「てゆうか、ふーふーせーや」
「いやいや、ハルカすのエアコンの力を試してるし」
「それはプレッシャーやな……」
「ところで報酬はエアコンだけなのか?」
勇者が尋ねる。
「いやいや、ちゃんと忍者に転職したからな。追加報酬ももろうたで。ただなあ……」
「どうした?」
「ウチ、忍者に見える?」
「ん?」
「いや、役所のギルド課に行ったら、おめでとういわれて、冒険者カード更新して、プロフの職業欄が〈忍者〉になっててん」
「そうだろうな」
「自称やん」
「は?」
「自称やん。誰もウチが本当に忍者か確かめてへんやん」
「市役所で登録されたんなら公認だぞ。気にするな」
「いや、確かめろよ。詐欺が横行するで」
「ハルカは変なところを気にするなあ」
「なら、ウチが空間プロデューサーですって言ったら空間プロデューサーって登録されるん? なんやねん空間プロデューサーって」
「まあ、お役所仕事だしな」
「そやねん。あいつら、ええ加減やねん」
「何か言いたそうだな?」
「そうそう、でな、〈あー忍者ムーブしたいわー〉って中村さんに言ったら、市役所の業務委託で隠密捜査やってくれ言われてん。月給でもらえるねん」
「なんだ仕事ができたのか。よかったじゃないか」
ハルカは自慢げにふんぞりかえった。
「ハルカす、就職したの?」
マリンが嫌な顔をする。マリンは金持ちやら権力者を毛嫌いしている。その境目はフリーターと正社員だ。だから超仕事のできるバイトリーダーなのに社員になるのを拒んでいる。
「いやいや、業務委託やからフリーみたいなもんや」
「そうなの、なら、おめ」
「これで冬に向けてコタツを買うでー」
「ようやく無職が転生してくれたか」
勇者は親のように感涙している。
「で、しばらくは毎日、レダ王国に行かなあかんねん」
「なにかあるのか?」
「せやから、隠密捜査や。セーサイ教とかいう組織について調べるんや」
「ああ、セーサイ教か。大昔に9大女神から追放された邪教だな」
9大女神は〈はじまりの魔導師〉の愛人で、セーサイ教はその名の通り、魔導師の正妻だった女性を主神として祀る一派だ。
「制裁が追い出されるって、あらためてドロドロとした話やな……」
しかし、ハルカはセーサイ教徒に出会ったことはない。ナルニワで活動しているが、マフィアのように構成員を秘匿しているという。つまり、じつはそのへんの農民が構成員であることもありえる。規模も実態も年々わかりににくくなっているという。
「セーサイ教の開祖は正妻の弟だ。9人の愛人に魔導士の遺産を独占され、追放された姉の正統性をうったえている。だからこそ過激派だ。9大女神の支配下にあるこの世界を完全に否定している。テロ事件やら、大小の犯罪を繰り返している」
「解説ありがとう……。え、そんなヤバい奴らなんか」
「知らなかったのか!?」
「う? あ、ああ」
「ちゃんと確かめてから依頼は引き受けような」
「ま、まあ、調査だけやから大丈夫やろ」
「大丈夫か? 俺もついていこうか? ギャラならいらないぞ」
勇者は親目線で声をかける。
「そ、そそ、そうやな。まあ、来れたら来てくれ」
行けたら行くの反対語のようだが、内心はぜひとも来てほしかった。
勇者はドラゴンに変身して、骸骨の魔術師に呪いをかけられ、小さくなったうえに人の姿に戻れなくなった。
本来の能力がかなり制限されているものの、戦闘となれば頼りになる。そのうえ物知りだ。変態だが。
「うちに泊まってもいいぞ。ナルニワに通うのは大変だろう」
勇者の家はナルニワ大陸のレダ王国にある。豪邸らしい。
ハルカは行ったことはない。たぶん、趣味のグッズが所狭しと飾られているのだろう。
「えー、あーしも行ってみたいー」
マリンが口をはさむ。ようやくたこ焼きを食べ終わったようだ。
※ ※ ※
ハルカはふたりが帰ったあと、ビールを買いに行こうとコンビニに向かっていた。
本当は今晩はみんなで飲み会の予定だったが、マリンはバイト先でトラブルがあったらしく、急遽戻った。バイトリーダーだから仕方ない。それで勇者とふたりで家飲みにしようということになったが、その前に中村さんに用事があるとかで、遅れてくるとのことだった。
日はとっくに暮れている。厳しい残暑が続いているものの、夜はだいぶ涼しい。
タンクトップの上からパーカーを羽織り、サンダルで出かけた。
右目の眼帯は出かける時には常にしている。
いつ何時、わけのわからない機能が発現するかわからないからだ。
異世界市内ではわりと目立つのではじめは恥ずかしかったが、いまはもう慣れた。
団地エリアから大通りに向かう途中の道には児童公園などがあるくらいで、灯りは少ない。
しかし、その向こうにはまるで出口であるかのように繁華街の明かりが大量に注ぎ込んでいる。
あと、少しでその光に到達しようとするところだった。
ふと、視線を感じた気がした。
あたりを見回す。しかし見当たらない。
気のせいかとふたたび歩み出すと、
「おい、貴様」
と、声をかけられた。ハルカはビクっとする。
周囲に人気はなかったはずだ。もう一度周囲を見渡すが、誰もいない。
「ここじゃ」
はっきりと聞こえる。女性のようだったが、力強く響いた。
「え?」
気づいて見上げると、建物の上に人影が見えるが、月明かりを背負っていてよく見えない。
「ウチのこと呼んだ?」
「そうじゃ。阿倍野ハルカ」
(なんで名前を。こーわっ。いや、何度かメディアに出てるから、知ってる人は知ってるか。しかし、この登場の仕方は漫画界の常識では十中八九敵や)
「あんた誰や? てか、降りてきてくれへん?」
「余の名はアスラじゃ」
「あっさり名乗った! え、敵ちゃうの? と、とりあえず降りてきてや」
「魔導師の本、持っておるじゃろう」
「な、なんのことや?」
(やばい、あれの存在知っているやつおるんや。なんかまずい感じ?)
「しらばくれるでない。よこせ」
「知らん。とりあえず、降りてこい。なんでそんな高いところにおるんや」
「余が高貴であるからじゃ」
「そんな理由で!?」
上から見下したかったのか。
「アスラ……というたな。魔導師の本とやらはお前のもんなんか?」
「まあ、そうではないが、欲しいのじゃ」
「なんでや?」
「9大女神の秘宝を手にいれるためじゃ」
(こいつ、そこまで知っているのか)
「それを手に入れてこの世を滅ぼし、あらたな世をつくるのじゃ」
「え? 秘宝とちゃうの」
「そのへんはちゃんとよくわかっていないから、本がいるのじゃ」
「なるほどー。ていうか、けっこうべらべらと素直に教てくれるもんやな」
「本をよこせ」
「持ってへんいうてるやろ」
(研究解読のために市役所に預けているから、嘘ではない)
「まことか?」
「ほんまや」
「そうだったか……」
(あれ、信じてる!? バカ正直なうえに交渉下手か!!)
ハルカがそんな油断をしていると、アスラはビルから飛び降りてきた。
そして、街灯の中に姿をあらわす。
背がすらりと高い。
長い黒髪、真っ白なファーのついた外套。そこからのぞくのは黒い鎧。胸部や腰、脚を覆っているが、対照的な白い肌がちらちらとのぞいている。スラリとした高身長の女性だった。装備もそのへんの底辺冒険者とはわけがちがう。装飾が施された立派なものだ。
「異世界市で冒険者のカッコしとったら、はずかしいで……」
「余は気にせん」
その顔も白く、瞳が赤く光っている。
「ほんで、あとはなんの用や?」
「阿倍野ハルカ、お前の眼をもらう」
「は?」
アスラから急激に殺意を感じた。というより、ハルカが恐怖を感じた。
「まてまてまてまて。え? 眼って? なになになに?」
「とぼけるな。その眼帯の下にある眼――〈魔眼〉だ」
(えーーーっ、眼も狙われてるーん?)
「いや、こ、これは、も、ものもらいでしてるだけやねん」
「なに? ものもらいだと? 病気だったのか?」
(信じた? なんて素直!)
「あー、せやねーん。ごめんなー、まぎらわしくてかんにんなー」
「ものもらいの時に、そんな海賊みたいな眼帯をするか?」
「い、医療用のやつっていかにも病人っぽいやん?」
「……いや、ウソをつくでない。カルラが調べてきたのじゃ。阿倍野ハルカる者が魔眼および魔導師の書をもっていると。カルラが間違えたことはない。じゃからお前が嘘を言っている」
「カルラって?」
「余の従者じゃ」
あいかわらず質問にはあっさり答えてくれるが、アスラは少しずつ近づいてくる。
腰にある剣の柄に手をかけながら。
「待て待て、異世界市では銃刀法違反やで。警察呼ぶぞ」
すると、ハルカは魔眼になにか電流のようなものが流れる感触がした。
「うっ」
思わず手で眼帯を押さえる。魔眼の力が発動するのとは違う感触だった。
「やはり、嘘をついたな……」
アスラのほうを見ると、彼女の右目が白く光っていた。近づくほどに輝きがはっきりとする。ハルカの眼に共鳴しているようだった。
「え、それ、魔眼?」
「いかにも、お前のそれの片割れじゃ」
(そういうことかーーーー!! まずいまずい、ウチ丸腰やでっ)
バニースタイルになるしかない。左腕をつかもうとする。バニーなら、兎月村正が装備される。銃刀法違反だが、正当防衛だ。
アスラは剣を抜き払う。刀身までも長くて黒い。
「阿倍野ハルカ!! 覚悟せい!!」
助走なしの跳躍で一気に向かってくるのが見えた。
(だめだ、間に合わん!!)
腕をクロスにして構える。しかし、衝撃は訪れなかった。
「ちっ、何者じゃ!?」
アスラは後ろに下がっていた。地面に火が軌跡が見える。
「勇者!!」
空中にはコンビニの袋を手に持ったレッドドラゴンが翼を羽ばたかせホバリングしている。
「ハルカ、無事か!?」
「助かった!」
異世界市には似合わないモンスターの出現にアスラは警戒している。
「おまえ、何者なんだ!」
勇者はアスラに聞く。
「余の名はアスラじゃ。ドラゴン……しゃべれるのか」
「何ものの差金だっ!?」
勇者は立て続けに詰問する。
「セーサイ教じゃ。余はセーサイ教徒じゃ」
(うそーん。めっちゃ、正直に答えるやん)
「勇者、もっと質問してやれ!」
「うん? あ、ああ、わかった。なぜ、ハルカを狙うんだ!?」
「そやつの持つ魔眼と魔導師の書を奪うためじゃ」
「勇者! それはさっき聞いた!!」
「そ、そうなのか。じゃあ……なんで目が光っている? お前のそれも魔眼か?」
「勇者、それはウチのと対の魔眼や。それも知っとる!」
「あーっもうっ、今北産業!!!」
「どういう意味じゃ。それより、なぜお前はしゃべれる?」
「魔眼と本を奪ってどうするんだ!」
勇者は質問に質問で返す。
「それも聞いた!!」
ハルカも繰り返す。
「うるさいぞ貴様ら!!なぜ余の質問には答えぬ!!」
アスラは剣を構えなおした。
もはや質問コーナーは終わりのようだった。
「魔眼と赤竜は余がいただく」
「え?」
勇者は意表をつかれる。
「余は貴様が気に入った。オシャベリチビドラカワイイ」
「うそっ!!」
アスラが再び突っ込んできた。
勇者は慌ててファイヤーブレスを放って、ハルカを守る。
ハルカは勇者が落としたビール缶をアスラに投げつける。
いずれもほとんど意味をなさず、ついにハルカは地面に突っ倒され、アスラの刃を眼前に見た。
(あかん、もう終わりや)
しかし、アスラは少し戸惑っているようだった。
「魔眼……どうやって取り出せばよいのじゃ……?」
考え事が漏れている。
なんでもかんでも口に出してしまう世界ランキング1位か。
その時、その魔眼が輝き出した。しかし、だからといってなんの役にも立たない魔眼だ。
アスラがそれに見とれている。
「何が起きている?」
「魔眼の力や……お前も持ってるやろ?」
「こんなのは見たことがない。魔眼の力とはなんだ?」
(まさか、こいつの左魔眼にはなんの機能もついてないのか?)
だとしたら、こけおどしにはなるかもしれない。ハルカは眼帯をぐいっとあげた。
「青く光っておる!!なんじゃこれは!!」
(霊眼か。裸眼とか近眼とかじゃなくてよかったー)
魔眼は発動も機能もランダムだ。そしてどれも役に立たない。
「くっくっくっくっ……どうやらお前は開眼していないようだな……」
ハルカは芝居に入った。
「開眼とはなんのことじゃ?」
アスラは警戒して、飛び退いた。
「開眼とはな……えーっと」
(はやく、はやく思いつけ。なんでもええ、びびらせるんや)
しかし、ハルカは考えがまとまらなかった!
「おのれ、貴様を殺してから、目玉を奪うことにしたぞ!!」
「しまった!」
勇者がブレスで援護するが、かわされてしまう。
絶体絶命!
〈ハルカさん、借ります!〉
頭のなかで声がする。
途端、ハルカの身体は別の意思に従った。
アスラの一撃を跳躍してかわすと、印を結び、両掌から魔力を錬成して投げつける。
「魔法苦無!?」
アスラの黒剣が鈍く光ると魔法の苦無を叩き割る。数が多く、回避しながら防御を強いられる。
「おのれ!!」
無限かのように降ってくる苦無だったが、やがて、止んだ。
その時、アスラの懐にはハルカがいた。その手に持った苦無は完全に首筋をとらえていた。
「これが霊眼の力や。ウチの魔眼にはお前の知らん能力があと4つある」
「な、んだと……」
「今日はここまでにしといたる。出直してこい」
「……いいだろう」
アスラは剣をおろし、後ずさると納刀した。
「阿倍野ハルカ。必ず、奪いにくるぞ。魔眼とチビドラチャンを」
ビルの上に飛び上がるかと思いきや、歩いて繁華街に消えていった。
(その格好は夜の繁華街で目立つで……)
※ ※ ※
「ふー、やばかったあ……」
アスラが去った後、ハルカは道端にへたり込む。
あの迫力。オーラ。なんていうか、武器を持っていたところでやばかっただろう。
「助かったで、アヤメル……」
「アヤメル?」
勇者がひとりごとを言い続けているハルカを訝しがった。
「それにさっきの忍術ははなんだ。すごいな。本当に忍者になったんだな」
「いや、あれはウチの忍者の先生――アヤメルの実力や。ウチはまだ新米忍者や」
〈ちょうどよかったわね〉
アヤメルの声が頭で聞こえる。
〈もういいかしらね〉
そう言ってアヤメルはフワーッと、ハルカの体を離れる。
「ところで、いったい、なんでここにおんねん……って師匠!!」
振り向くとアヤメばかりか師匠・不死家卜全の霊体もあった。
勇者には見えていない。声も聞こえない。
ひとりコントをはじめたハルカを心配している。
「いやのう、ノロイ倒したじゃん。そしたらワシらがあの場所に縛られている意味、なくなったらしいのよ」
師匠が相変わらず軽い感じでフワッとしたことを言う。
「そしたら、成仏するのでは?」
そうだ。未練やら心残りが霊をこの世に縛りつけるのじゃないのか?
「私たち、修行と称してハルカさんの体に取り憑いてばかりいたでしょ」
「うん」
「それでたぶんな。背後霊になってしもうたんじゃ」
「さっきのように取り憑くこともできるから、憑依霊ともいいますね」
「お主の霊眼が発動しているときだけらしいがな。霊山にお籠もりしていたせいか、お主の霊眼は強くなり、安定してきているようじゃ」
「そうそう。うまく使いこなせれば、今日みたいに助っ人できそうです」
「それは、ありがたい。忍者マスターと剣聖が助っ人なんて」
「いやいや、ちょうど、久しぶりに都会に出てみたいと思うとったし」
「は? なにその観光ついでみたいな感じ?」
「私なんて初めてです。なにしろ人生、人殺してばっかりだったので。うふふふふ」
「そんなわけじゃ、わが弟子よ。これからもよろしくな」
「……」




