007 アヤメル
「ノロイ……?」
ハルカは師匠の思い出話に口をはさむ。
「そう、数千年前から人類を苦しめてきた大妖怪じゃ。白い大蛇の姿をしている。1000年前にこの霊山に封じ込められてからは、御神体として慰撫、鎮護され、この霊山神社の御神体となっている。つまりもともとは妖怪だったものを鎮めて祀られているものじゃ。それが、200年前、また人を食らう妖怪として復活した」
「モンスターと妖怪っていっしょなん?違うの?という疑問はおいといて、きっと〈えらいこっちゃ〉、やねんな?」
「まー、そういうのは主観だからなー。ともかく、人を襲う化け物じゃ。ワシもそのときは都市伝説くらいにしか聞いたことがなかった。ノロイは倒すことのできない大妖怪だと」
「倒せない?」
「ノロイは他者の殺意をエネルギーにして、呪いにして、人に返す。戦いとなって、これに勝てるものはおらん。殺意がない太刀というものは存在しない」
「倒そうとすればするほど、敵は強くなるんか」
「そういうことじゃ。その大妖怪〈ノロイ〉は倒せない。その時、霊山にいたのはワシとワシの命を狙うくノ一と、五条くんだけじゃった」
「五条くんはどっから出てきたんや」
「五条くんは1000年前にノロイを封印したカラス天狗の一族じゃ。霊山に住みつき、封印が解かれないよう、神社の管理をしていた。しかし、いわゆる少子化問題とかで、種として滅びかかっておった。封印を守るためには大勢のカラス天狗が必要じゃった。しかし、それを維持できないのは明白。それで、カラス天狗の一族は、ノロイとあらたな契約をした。一族の選ばれたひとりが霊山神社の手入れをし、100年勤め上げたらノロイに食われる。それさえできれば、山の外には危害を加えない、と」
「そんな」
「もともとこの霊山はカラス天狗の聖地。この山の鎮護は彼らにとってはほかの何にも代え難い。だから、彼らは100年に一度、一族の中から人身御供を差し出していた」
「それが、五条くん?」
「そうそう。あの時は、まだよちよち歩きじゃった」
師匠は遠い目をしている。
「長い付き合いやんな……」
「そうじゃな。ワシが盗んだバイクで走り出して、この霊山にたどり着いたとき、すでに五条くんはノロイのために奉仕しておった。そして、いつか食われる運命も教えてくれた」
「で、でも、それ200年前やんな。そしたら、食われんで助かったってことやん?」
「そう。五条くんは息子も同然としていっしょに過ごした。そして、その運命を知って、むざむざバケモノに命を奪われるのをよしとはできなかった……」
ここには五条くんもいる。この話を聞いて、複雑な表情をしている。
200年前にふたりにあった出来事、という言葉では片付けられない雰囲気を感じる。
「ノロイは倒した」
師匠が言う。
「だが、新しいノロイが生まれた」
「どういうこと?」
「話を端折りすぎたな。わしはノロイを倒すために単身、やつのネグラに乗り込んだ。しかし、まるでかなわなかった。倒そうと思えば思うほど、やつは強大になっていく。まるで歯が立たなかった。やはり、カラス天狗たちがしたように、倒そうなどと考えずに、封印を維持すべきだと思ったものだ……」
「そ、それで……」
「ワシは死んだ」
「えっ?」
「しかし、その後、ノロイは倒された。ノロイの想定を超える〈殺意〉に。ワシの見る限り、三千三百の刀傷を負ってノロイは絶命した」
「は?どゆこと?」
「倒したのはアヤメじゃ」
「くっ……」
五条くんがうめくような声をあげる。
アヤメ……師匠の命を狙っていたくノ一が?
「じつは、〈アヤメル〉とはいろいろあってから付き合うようになってな」
急に師匠がデレだした。
「は? アヤメル?」
あだ名? なにそれ?
「毎日毎日、命を狙われてたら、そりゃ恋も芽生えるじゃろ?」
「ならんわっ! つか知らんわ!! ……いや、そんなもんなんか……」
ハルカはラブコメに詳しい。しかし、現実については何も知らない。
「ワシとアヤメルは五条くんを実の息子のようにしてこの山で暮らしておった」
「展開が早いっ」
「もちろん、アヤメルは、その間も隙あらばワシの命を狙ってきた」
「心がやすまらない!!」
「しかし、殺す、避ける、殺す、逃げる、そして愛し合う、がワシらの日常になっていった……」
師匠は遠い目をしていた。
「五条くんと三人の家族、それだけあれば幸せじゃった……」
師匠の思い出語りにあわせて五条くんの咽び泣きが聞こえる。
「お、おかあさん……」
「すべては、ワシがうっかり死んじまったことによる」
師匠の言葉からは悔恨の念がはっきりと伝わる。
「ワシが死んだことによって、アヤメルは全身全霊の殺意を込めてノロイを倒した。人類史上初だったろう。しかし、ノロイにとって殺意はエネルギーでしかない。これはまさしく呪いだった。ノロイを倒したアヤメルがつぎのノロイとなったのだ……」
「そんな……」
「ノロイとなった彼女はワシも五条くんも襲わない。無論、ワシはすでに死んでおったがな。ワシと五条くんは、ノロイのテリトリーに人が入り込まないよう、当時の最高の祈祷師に依頼して最も強力な結界をはってもらった。そして、ふたりで化け物になったアヤメルの心を鎮めるために200年の時を過ごしていた。静かに、家族だけの時間を」
「なら、なんで、異世界の冒険者たちを呼び寄せるようなマネをしたんや?」
「開眼したのじゃよ」
「なにが?」
「ノロイの呪いから、アヤメルの魂を解放することのできる必殺技を。いや、勢いで必殺技って言っちゃったが、誰も殺すことのない、〈不殺生〉の剣。わが奥義が20年前に完成したのじゃ。それを伝えたかった……」
「ハルカさん、父さん――先生にはもう実体がありません。ですが、ハルカさんの体を使えば顕現することができるのです。再現できるのです。〈秘伝 壱乃太刀〉が――」
五条くんはむせびながらも、強く訴えかけてきた。
「母さんを、救ってください!」




