029 報酬
異世界市の某所――。
阿倍野ハルカは、腰に手をあてて「わが城」を見上げていた。
ムーンランス伯爵領でのミッションをクリアした報酬。
それは、かなりのギャラだったが、それに加えて、不動産をもらってしまったのだ。
異世界市の場末にある「スナックJOAKER」、一度、勇者に連れられて来たことがある。
そのときは、風間教官が一日ママをつとめ、中村さんが飲みに来ていた。
じつはそこを含む、この細長い4階建てのビルのオーナーが、座間ショウヘイだった。
ずいぶんとほったらかしにしてあって、しかたないので、1階をバー風にして貸し出していた。中村さんが座間ショウヘイと旧知で、風間教官に一日ママをすすめていたらしい。
しかし、いまや、ハルカがオーナーだ。
実際のところ、名義変更の手続きはされていない。
「オレがビジネスをはじめた頃は、とくに問題がなかったんだが、いまは法律が変わってね。新しく異世界人が土地建物を所有することはできないんだ。まあ、手続きはともかく、もう好きに使っていい。生活魔力費もこちらで払っておくよ」
座間はそんな破格の条件を出してくれた。
生活魔力費というのは〈あっち〉でいうところの光熱費やら通信費、諸雑費のことだ。
この世界は魔力依存だ。
「使ってなかったからね。ちょうどいいよ。君とは長い付き合いになりそうだし」
(えっ、付き合うって……!!)
と、もちろんハルカは舞い上がった。
「君ががんばってくれている間に、召喚人同盟の内偵を進めていた。どうやら根が深そうだ。ほかの危険な組織ともつながりがあって。例の一件が絡んでいるのかはわからないが、あやしい動きがちらほら耳に入ってきている。転生者の不祥事は異世界市が手を出しにくいこともあって、この問題、オレたち転生者が自身で対応すべきなんだ」
「はい」
ハルカは目がうるうるしていた。
(先に部屋で待っててくれよ)
妄想上のショウ様がいう。いつものライダージャケット姿だが、その下は全裸だ。
どどど、どうしよう。心の準備が!!
「ハルカ!! よだれ!」
勇者の声が聞こえて、回想(一部妄想)が終了。ビルの目の前に戻った。
「ふう。ありがとなトモ。いつも世話かけるで」
ハルカはふたりきりのときには勇者を〈トモ〉と呼ぶ。
「何を考えててニヤニヤしてたんだかわからんが、幸せそうでよかった」
もう勇者はハルカの妄想トリップには慣れっこになっていた。
「どや、ウチの城やで?」
ハルカはまさにドヤ顔でいう。
建物の名前は〈bine〉。バインと読む。は酒の味付けに使われる植物らしい。裏路地にあって、周りの建物に比べれば、日当たりもいいほうではなく、狭小だが、ビルオーナーには違いない。
1階のバー施設はそのままスナックでもカフェにでも、貸し出すつもりだ。
そもそも結構な割合で風間教官がレンタルしている。ほぼ店長だ。
2階は使われていないが、元々は座間が最初の会社を立ち上げた時のオフィスで、小さいが事務所としての設備がすべて揃っている。ハルカも、ここで創業したいと考えている。
3階と4階はまったくの未使用。住居として使う予定。1LDKだが、十分だ。これからどんな家具を買って、どんなレイアウトにするか楽しみで仕方ない。
とりあえず、全部が備えられている2階のオフィスに入る。
中央に応接セット。向かい合うソファにテーブル。打ち合わせに使うのだろう。
窓を背にしたところには、立派なデスクと椅子があった。
社長とか、部長とか、そういうエラい人の座る、アームレストのついたハイバックのチェア。ゲームしてても疲れなさそう。
「うわーマジかーあがるやーん」
ハルカはさっそく座ってみる。めっちゃ、ふかふか。
座ってみると、応接セットをはさんで、奥にも事務机がある。
秘書かなんかが座る席だろうか。偉い人セットからはだいぶ落ちるが、一通り揃っていそうだ。
「秘書、雇うか!?」
ハルカはすぐにその気になる。
「まず、なんの商売やるか決めてからにしろ」
勇者がたしなめる。
「うーん。なんやろ。探偵しか思いつかん」
「探偵って、浮気調査とか、ペット探しとかだからな。殺人事件の解決ならハルカに依頼がくることはないと思う」
「えー、たしかにウチ、推理小説最後まで読んでも結末がわからへんときがある」
「それは、すごいな……。ていうか読んでないだろ。ページ捲ってるだけだろ」
「タイパやん?」
「むしろ、時間ムダにしてるぞ」
「なら、モンスター退治でも引き受けるか……」
「モンスター退治するなら、ギルドでクエストもらえばいいだろっ!」
「ほんまやっ。そしたらウチになにができんねん!?!」
※ ※ ※
引っ越しが終わって、ハルカはバインビルの最上階に住むようになっていた。
マトリで買ってきた家具や雑貨であふれて、すでに部屋は狭くなっていた。
「もっと広いと思うてたんやけどなー」
「何も置いてない部屋なら、そう思うだろ。引っ越しあるあるだ」
勇者はあきれたように言う。
「なんで、ヒキニートがそんなこと知ってねん」
「こっちでの話だから! こっちでいろいろ経験積んだんだから!!」
「冗談や。ていうか、最近気づいたんやけど……なんでお前とずっとうちにおんねん?」
「はい? どういうことでしょう?」
「自分、グランオートに自分の家あるやん? 豪邸なんやろ?」
「まあな。工房までついてるぞ」
「帰れや!! 何泊してんねん!」
「まさか、ハルカがそれに気づくとは! このままなし崩し的に同棲生活がはじまると思ったのに!!!」
「なんじゃそりゃ!! お前、何目的や!」
「俺はハルカを守りたい。すべてのものから」
勇者は、できうるかぎりのイケボで芝居をしてごまかそうとした。
「はぁあああああああーーーーーーーー???!!!」
はかるかはご近所迷惑どころでない大声を張り上げた。
それと同じくらいに顔面を赤くしていく。
「しまった、俺よりもハルカに恋愛耐性がないのを知っていながら、調子に乗ってしまった!!」
「そういうことなら責任とれやー!!!」
ハルカは勇者という名のチビドラゴンの首根っこをつかんでいる。
「いやっ、ハルカ、落ち着け。いろいろおかしいっ!! 俺みたいな魔獣相手でもそんなになるのか? やばいぞ」
「いろいろあったとはいえ、自分、そもそも人間やろっ! 40過ぎのオッサンやろ!」
「まあ、そうだけど!」
「なら、うかつにプロポーズみたいなこと言うなや。勘違いしてまうやろ?」
「どこからが、ハルカにとってのプロポーズ判定がどこなのかが俺にはよくわからんが、……その……俺もその対象に入ってるのか? 40過ぎでも……」
「……当たり前やろ」
ハルカの興奮状態はおさまったが、こんどは照れて目を伏せている。
「マジか……そうなのか?……えー、そうなの……」
勇者は心臓の鼓動が人生一高鳴っていた。死ぬかと思うくらいに脈が早い。
「せやけど、ウチわからんねん。人の好意が。〈あっち〉にいたときは全部信じられんかった。でも、こっちでは、ぜんぶ信じたいと思うようになった。人の優しさに、ぜんぶ応えたい。そう思ったら、……なんか自分でもヤバイな思うてる、もう好きって言われたら、なんでも言うこと聞けるかもって……」
「そ、そうなのか…… たいへんだな。いやいや、心配だな、おいっ!! おいおいおいおいーーーーっ!!!!」
勇者は頭を抱えていた。また保護者に戻ってしまった。
「せめて事務所に寝泊まりしてくれんか。〈小僧〉として雇ったるわ」
「いいのか!?」
「ああ。トモはいろんなことに詳しいし、大人対応もできるし、ウチに足らんもんいっぱい持ってる」
「一応、評価してくれているんだな」
「まあな」
そんな時、チャイムが鳴った。
「さっそく依頼人や!!」
「いや、まだ開業も、宣伝もしてないし! 来るわけないだろ!! え!? ていうか、やっぱり探偵事務所なの?」
たしかに、ここを知っているのは数人しかいない。
まりんなら勝手に入ってくるから、それ以外だ。
開けてみると、おなじみ異世界市役所、転入者サポート課課長の中村さんだった。
「すみません、お邪魔しちゃって」
中村さんは1階のスナックの常連だ。いまや、冒険とは関係なく、ちょいちょい顔を合わせるようになった。
「どしたん?」
ハルカはさっそく勇者にお茶汲みを命じて、中村さんに問いかけた。
「フィーナさんと最近連絡とってます?」
「そういや、ご無沙汰や。どうかしたん?」
「チャットも、メールも、通話も無視されているんです。市役所にもきてません」
それは一大事かもしれないが、フィーナと中村さんの関係を知るハルカは複雑だ。フィーナは中村に片想いしている。そして、中村さんは気持ちに気づいているのにしらばっくれているとにらんでいて、ひそかに「バックラー」だと名付けている。もし、そのへんが関係あるなら、できればつきあいたくはない。
「ウチにはこころあたりないな。すまんけど。中村さんのほうが知ってるんちゃうん?」
「そうですか。まあ、そうなんです。彼女、召喚人同盟の関係者だというのがこのあいだ、わかりまして……。ムーンランスの一件以来、召喚人同盟というのはとても印象が悪くて。もちろん、あの事件は一部の過激派が起こしたものなのですが……ある日、私のデスクに〈辞職願〉が置いてありまして。それ以来、いっさい連絡がとれていません」
「そっか。なんでも十把一絡げに人を肩書きで差別してしまうもんなんやな。っていうか、中村さん、その事を相談されなかったん?」
「面目ない。まったく……」
まあ、好きな人にほど迷惑かけられない、の法則があるから無理からぬことかもしれない。
ハルカは考えながら「ほうほうほ、わかっとるがな」と、したり顔をした。
「に、しても、捜したんか?」
「はい。彼女の自宅ほか、よく立ち寄っているといわれるエリアはすべて捜してみました。でもいなかった。桜木町にも行きました。そんなところにいるはずもないのに……」
「桜木町ってどこ!? あと、いるはずない思うたんなら捜すな!!」
「ともかく、彼女、異世界人ですから、異世界市に居ないのなら、古王国ナルニワ、電脳都市ナイトシティ、学園都市メルランのいずれかです。とはいえ、広すぎます。とくに古王国ならかなりお手上げです」
たしかに、オーストラリアくらいの広さに、7つの国がある古王国は、広大なことに加えて、魔力インターネットなど一部の近代機器の使用が制限されているため、捜すのが困難だ。
「なら電話してみよ」
ハルカは魔力デバイスを取り出すと、フィーナに通話してみた。
通話音が鳴る。かかったみたいだ。
「はい」
フィーナが応答する。出た。
「ああ、ウチや。なんか、みんな捜しとるで。いまどこにおんねん?」
次の瞬間、通話が途絶えた。
「ハルカー、ストレートすぎない? もうちょっとさー」
勇者がダメ出しをする。
「は、はは。そ、そやな。ま、まあ、これでナルニワでないことはわかったんちゃう?」
ナルニワでは通話はできない。となると、ナイトシティ、メルランを当たった方がいい。範囲はだいぶ狭まった。
「さすが、名探偵。ハルカさん、これは俺個人からの正式な依頼です。彼女を見つけてください」
「なんで、ウチが探偵事務所やってわかったん!?」
「いやいや、違うだろう。というか、中村も何いってんだ!!」
勇者が間に入る。
「せやけど、フィーナは、あんたを待っているんとちゃう?」
ハルカは、そのことが気がかりだった。
「もちろん。ハルカさんには、彼女を見つけてくれさえすればいいです。そうしたら、必ず俺が迎えに行きますから」
いつにない真剣な表情。
「うぇっ」
(俺が、君を、迎えに行くから……)
か、かかかかかかか、かっこいいーーーー!!!
なに、それ!!? なに!? 結婚!?
結婚!?結婚!?結婚!?結婚!?結婚!?結婚!?結婚!?
「はい。……私なんかでよければ……」
ハルカは顔を真っ赤にして答えた。
「ハルカを迎えに来たんじゃないぞ」
勇者は腕組みをしながらが呆れる。
第2章 完




