002 ざんねんな世界観
市役所5階の会議室。エレベーターで上がる。
60人が着席できる部屋だったが、ガイダンス受講生はハルカのほかは誰もいない。
真ん中の一番前の席にすでに資料が用意されている。ここに座れということらしかった。
しばらくすると、戸がガラガラとスライドする音がして、人が入ってきた。
ガイダンスの講師であろう。清潔感のある白いスーツを着た女性だった。背筋がまっすぐと伸びて堂々としていて、真っ黒な髪を高い位置でサイドテールにしているが、かわいい感じはない。むしろひきしまった感じだ。そして目つきが異常に鋭い。
「なんかこわ」
ハルカはつぶやいたが、誰もいないのでしっかり聞こえ、講師にキッと睨まれた。
「転入者のみなさん、ようこそ異世界市へ」
「ウチひとりやで」
「本日より何回かに分けて、この世界の基礎知識を身につけてもらうためのガイダンスに参加してもらいます。私は担当の風間です」
そういうと風間は資料を読み上げ始めた。マニュアルどおりか、一方的に淡々としている。やる気のないおざなりな態度のように見える。
「いま、あなだ転生してきたこの場所はアカツキ列島にあるヴァリス半島の北端。アカツキ国の行政特区として生まれた〈異世界市〉といいます」
「さっきも思うたけど、なんで、異世界が自ら異世界を名乗ってんねん?」
しかし、風間はちらっと目線を投げただけで無視する。
「続けます。転入者のほとんどがこの異世界市に在住しており、住民登録としては〈異世界市民〉ということになります。なので……」
「せんせーい!」
ハルカはぶったぎって手を挙げた。
「はい、阿倍野さん。先生まだ話してますよ。あと先生ではないですよ」
「ぜんぜん興味ありませーん。頭に入ってきませーん」
「人がまじめに仕事をしているのに茶化さないでください」
「まじめにしないでいいでーす。面白いのがいいでーす」
風間は顔面に「ムカついてます」というシールがたくさん貼られたかのような表情をしている。
「おい貴様っ、これは面白いとか面白くないとかじゃない。ゲームで言ったらティザームービーだ。まだ、ゲームははじまってないんだぞ!」
「ティザームービーがすでにおもんなかったら、誰もやらんやん!」
「これはティザームービーではない!」
「前言撤回がはやいっ」
「8ページ目まですっとばす。はい教科書ぉっ!」
ハルカは焦った。じつは小心者である。
「はっはい!」
「まず転入者とはなにか、だ。お前らがよく知ってる〈転生〉は別の世界で別人に生まれ変わるやつだ。要するに〈生まれ変わり〉だな。昔から宗教思想に存在する概念だ。だが今では、やり直し願望を叶えるために前世の記憶をもったままじゃないと意味がない。それで貴族になったり、魔王になったり、スライムになってみたり、自販機になってみたり、そんなわけあるかーーっ!」
机をバンバン叩く。
「えっ!? コワっ! 誰にキレてんねん!?」
「転移はその身のまま別世界に移ることだ。ただすぐに活躍できないといけないので、だいたいスーパーな能力が最初から与えられている。与えられているが気づかない場合もある。与えられているが隠している場合もある。とにかく与えられている。クラスメート全員で転移したりもする。あっちの世界のカーストがひっくり返る爽快感がある。読者の」
「いま、読者っていうた?」
「結論。転入は、転生と転移の中間だ」
「わからん!!」
「つまり、あちらでの記憶はあるが若干曖昧なところがあり、たぶん死んだわけじゃない。こちらでの容姿や能力などは微妙に引き継がれていたり、すっかり変わっていたりする。弱点が変わらなかったり、嫌いな食べ物がなぜか食べられるようになってたりすることもあるようだ」
「はっきりしてくれ!!」
「エルフやドワーフ、獣人といった亜人種族がこの世界にはいるが、それらに変わっていることもある」
「なら転生! ならスライムもありやろっ!!」
「いま現在、亜人以外の生き物や無生物への転生は確認されていない」
「もう転生ゆうてるやん。転生でええやん」
「転入の際に希望種族を書かせているアンケートが影響しているかどうかも確認できていない」
「つくづく無意味なアンケートやな」
「ここからが大事だ。この世界はやたらと転入者がやってくる。正直困っている。トラック業界からもクレームがきている」
「そういやなんでトラックに轢かれなあかんのかな」
「それはフィクションだ。実際には転入者は生きたままやってくる。お前もそゔだっただろバカが」
「なーーっ! ならなんで業界からクレームがくんねん」
「イメージだ。企業にとってイメージと信用は重要だ。風評被害受けてんだアホ」
「なぁーームカツクうぅぅ! 暴言やぞ! お客様サービスセンターにクレーム入れるぞ!」
「私は公務員だ。住民用投書箱、通称〈市民の声〉に寄せろ!」
「えーん、わがりましたぁっ!」
「ともかく、多すぎる転入者に対処すべく、この異世界市はつくられた。元はアカツキの行政特区だったが、形式上の独立国だ。他国の調整役として永世中立を宣言し、転入者問題を一手に引き受けている」
「国っていうのは、さっき聞いたエリアってやつ?」
「そうだ。やれやれ。中村さんは異世界人を楽しまそうと思って、テーマパークみたいな言い方をしてしまうようだが……」
資料が読み上げられる。
まずは、この異世界市があるヴァリス半島に近接している巨大な大陸、「古王国」(最近一般公募で「ナルニワ大陸」という名称に)。ここは歴史上もっもと古くから国があり、文明が発達以降も中世あたりの景観や文化が保存されている。近代テクノロジーの持ち込みも禁止されている。最大領土を誇る中世ヨーロッパ風のレダ王国を中心に、7つの国々が内包されていて、冒険者たちのファンタジー体験を提供している。モンスターはこの大陸にしか現れない。
次に異世界市に隣接しているふたつの都市は、異世界市と同様に行政特区だ。ひとつはテクノロジーが著しく発達した都市「ゴートシティ」。有数の巨大企業が居を構えている一方、オタク文化と退廃的なディストピアがごちゃついている。表向きアートとカルチャーの街だが、政治が腐敗しているため治安が悪く、犯罪者がよく流れ着く場所でもある。それゆえ別名「バッドシティ」。そういった連中との魔法×機械のバトルが期待できる。そして学園都市「メルラン」。学生率7割という驚異の青春パラダイス。魔法学園、研究機関、専門学校、ワークショップ、とにかく恋愛と習い事ならココ。
「……という感じだ」
「テーマパークで合ーてるーっ!!」
「そうかもしれないな。正直言ってお前ら異世界人の勝手なイメージやらお約束とやらに我々は振り回され、辟易している。しかし、いまとなっては持ちつ持たれつの関係なので、外面だけでもうまく付き合っていかないといけないというわけだ」
「代表してすんません」
「転入者の移動の自由はいまあげたエリアに限定されている」
風間はハルカに一枚のカードを差し出す。
「肌身離さず身につけろ。住民カードだ。この世界での身分保証になる。異世界から来た者をよく思わない連中がいないこともないからな」
「なんや物騒やな……」
「それから、お前は明日から働かなくてはならない。3か月は市が至れり尽くせりサポートするが、それまでに自活するんだ」
「仕事をするっちゅうこと?」
「そうだ。許可されているどこの国で働いてもいい。自分にあった職を見つけろ」
そのとき、ノックがあって職員が風間を呼び出した。うってかわってニコニコと対応していたが、よく耳を澄ませると、なにやら注意を受けているようだった。
戻ってきた風間は明らかにイラついていた。
「教官!」
「なんですか阿倍野さん」
ぎこちなく丁寧な口の聞き方になっているが、教官は否定しない。
「ネコかぶりしてるんですか?」
「うるせーわ、ストレス溜まるんだわ、公共サービスは」
もう元に戻った。
「その口のききかたを注意されとったんちゃう?」
「さっき教えた市民の声には投書しないでくださいね。お金あげるから」
風間は能面の表情になり、抑揚のない口調で言った。
「いまさらやろ」
「ちょっと今朝いやなことがあって。失礼いたしました。お金あげるから」
「ウチは教官のほうがええ。おもろいし」
「信じますよ。お金あげませんよ」
「ええで」
教官は口元をほころばせた。今朝どんないやなことがあったのか気になる。
「それでは、お前にこの世界の重大な秘密を教えてやろう」
教卓にバンッと手を置き、唐突に言う。
「えっ、それウチが解き明かさないかんやつでは?」
「心配するな、お前は主人公ではない。いや、自分の人生においては誰もが主人公、か……?」
「なに言うてんの?」
「話の腰を折るなあ!!」
「お前じゃああ!!」
風間は秒で冷静さを取り戻し、重大発言をするポーズに戻った。
「いいか――」
ためやがる。ハルカは息を呑んだ。
「この世界はそもそも異世界人によってつくられたのだ」
「……」
「……」
「お返事! リアクション!」
風間は机をバンバン叩いている。
つくえ、嫌いか。
※ ※ ※
阿倍野ハルカはとりあえず団地エリアに案内された。
市役所のある行政エリアからもっとも近いからだ。
市役所のシルバー人材が住居まで案内してくれることになった。
途中に信号やコンビニなどがあり、車も走っている。ただの知らない街だ。
団地は妻でないと入居できないとのことで、マンションに泊まることになった。
団地エリアだというのにマンションがある。
そもそもハルカはマンションと団地の違いがいまいちわかっていない。
鍵と弁当を渡され、明日は別の者が案内役でくるという。
夜は団地妻とゴブリンが出現するので外出しないようにと忠告された。
6畳ぐらいのワンルーム。コンロが一口ついたキッチン。ユニットバス。
まるであっちの異世界、じゃなくて現実の自宅と見間違う。
あっちでは大学に通ってた。実家を離れてひとり暮らしをしていた。
テレビもある。この世界は電力ではなく魔力が動力源になっていると聞いたが、
見た目がまったくおなじ。コンセントやケープルもある。
これが魔力で動いているといわれてもハルカにはわかからない。
魔力も電力も言葉がかわっただけで、どっちにしろそのしくみも違いもハルカには説明できない。
着ている服にしても自分の持ち物として覚えがないが、見慣れた服装だ。
リモコンのスイッチを入れる。ニュースがやっていた。
《――北の迷宮を探索していた仲間が消息を絶ったとして冒険者から捜索願いがだされました。行方がわからなくなったのはミサモさん、17歳。職業は聖女。警察はすでに捜索を開始しているとのことです。》
もうちょい世界観統一せーや。
弁当をあけてみる。からあげ弁当だった。
うまい。どこまでも「違い」を見せてくれない世界だ。
目覚めたら現実に戻ってそうだ。こんなアホな異世界があってたまるか。
あしたの授業、休講だった気がするが、どっちでもええか。
ハルカは食事を済ませてシャワーを浴びると、さっさとベッドに入った。