【幕間】 フィーナのとある日
私は見てしまった。
中村さんのところに最近、若い女が頻繁に訪れていること。
赤毛の長髪。
しかも業務時間に、わざわざ市役所の窓口にまで来て。
中村さんの業務は主に課長として部下の業務管理をすること。そして、繁忙期には窓口に出て異世界人の登録手続きなどをすること。
業務上、同じ人がなん度も訪れることはない。
(異世界人ではなさそう)
つまり、個人的な用件で尋ねているということ。
(考えられるのは、家族……)
私は嫌な予感がした。
若い女で家族。
(妻!!!!!!)
大爆発級の衝撃が私を襲った。
私は中村さんの個人情報をほとんど把握していない。
あんなに超かっこいいのだから、妻や恋人や愛人がいたところで納得はできるが……。
(いや、できるか! だとしたら呪う!! 呪術師にクラスチェンジする!!)
しかし、確かめる度胸はない。職場の同僚にも聞けない。
知ってしまったら私は呪術師にならなければならないかもしれない。
(でもモヤモヤする)
私は仕方なく自分に都合のいい推理をする。
(あ、あれはお母さん?)
そうだ、いる。時々、息子よりも若く見える母親が。主にアニメで。
よし、そうしよう。
私はある日、中村さんに言った。
「中村さんのご両親ってどんな方ですか?」
「え、なに? 急に。ぼく、両親いないんだよね。いろいろあって」
「あ、そ、そそ、そうだったんですね。失礼しました!」
「いいよいいよ、ぼくも記憶にないくらい昔のことだし」
(親じゃなかったーーー!!)
悪いことを聞いてしまったが、私はもっと悪いことを知ってしまった。
そしてまたある日、あの赤毛女が中村さんと市役所の廊下で会っているのを見てしまった。
私はとっさに隠れる。
(突き止めなければならない。奴の正体を)
少し遠過ぎで会話が聞こえない。というか私が集中できていない。
赤毛女が何かを手渡しているのが見えた。
(あ、あれはお弁当ーーーーっ!!!)
大爆発!!
やばいやばいやばいやばい。
(妻かーーーーーーー!!)
赤毛女はくるっと踵を返した。
赤毛がふわっとなびく。それはスローモーションのように私の脳裏に焼きついた。
私は見惚れていたかもしれない。
(スゴクカワイイ。トニカクカワイイ。モウ、オワタ。)
私は絶望の一歩手前だった。
ええ。わかっています。私は中村さんのことになると常軌を逸しています。
ヤンデレと世間でいわれるあれなんでしょう。でも、デレはあんまりないです。
基本的に脳内で別れて付き合うを繰り返しては情緒が不安定になっています。
呪いでしょうか。でもこんなに夢中になれること「あっち」でなかったから、祝福かもしれません。正直推しが同じ職場にいて、絶対付き合いたいけど絶対付き合っちゃいけないという状況にそろそろおかしくなっているのだと思います。
だが、私は自分が死霊術師になる前に、最後に彼と言葉を交わしたかった。
お弁当を受け取った中村さんの後をつける。
市役所内の食堂ではなかった。食堂はお弁当持参でも利用できるはずなのに。
結局向かったのは、屋上だった。
屋上は施錠されていて利用不可だったが、中村さんはカギをもっていた。
なぜこんなところへ。
(ちっ、愛妻弁当見られたくないのか。ちっ、ちっ、ちっ、ちっ)
私の舌打ちは止まらなかった。
私は中村さんが外に出てから、少し間をおいて扉をあける。
「あれ?」
中村さんが私に気づく。
地べたに座り込んでお弁当を開けようとしていたところだ。
「ここ、入れるんですねー? いやー中村さんが入るのが見えて、ついてきちゃいましたっ」
「あーばれたかー。本当はダメなんだけど。ぼくここのカギ管理しててね。お昼はいつもここで食べているんだ。内緒ね。」
「そうなんですねぇー。あれ? お弁当ですかぁー?」
「うん、そうなんだ。最近、つくってくれるようになってね。」
(誰がだっ! 妻か! なんでいままで作ってなかった! 私なら一日20食つくるぞ!!!)
「あ、もしかして彼女さんですかぁ?」
きききききき、ついに聞いてしまった。我ながら大冒険。
そして、われながら芝居がうますぎる。ネクロマンサーの前にいったんアクトレスに転職した方がいいのかもしれない。
「ちがうちがう、下宿先のおばさん」
(大地母神よ、天空の大神よ、9大女神よ、その他100柱の神々よ)
私は信仰していない神も含めてすべての神々に感謝の祈りを捧げた。
「へえー下宿してるんですかぁー」
ならあの女は、ただの配達人ということだ。
私は中村さんの弁当を覗き込む。
オムライス的なやつにケチャップで〈LOVE〉と書いてあった。
(なんなんなんだーーーーーーーーー!!!!!!!!!)
ふざけろ、なんだこれはっ。下宿先のおばさんは、好色か、未亡人かっ、団地妻かっ!!!
「ら、LOVEっててててて……」
もはやアクトレスが続けられない。
「ヤー恥ずかしい。これ、おばさんの娘が書いてきたんだ」
大混乱!!!!!!!
(なななななな、そっちのほうがまずいではないかっ!)
「下宿、先、の、娘さん、ということ、は、一緒、に、住んで、る?」
「そうそう」
(そうそうじゃねーよっ!! なにいけしゃーしゃー言ってるんだ。このスケコマシがっっ!!)
「どしたの? 顔色よくないね? 赤いというか、紫というか、灰色というか、とにかく顔色がひどいよ」
「私、アンデッドにクラスチェンジしたのかもしれません」
「?」
※ ※ ※
ラブコメの鉄則は、好き合っているのが一目瞭然なのに、関係が一進一退であることだ。
そして、それ以上に大事なのは、ふたりが日常的に接触する機会があるということだ。
なぜなら、一月に一回しか会わないような間柄だと、そもそもお話が成り立たない。
だから、二人は職場が同じ、あるいは学校が同じ、部活が同じなどして、お互いが好意を表明しなくても自然と接触する機会が頻繁になければならない。
そして、いまあげた以上にこの都合のいい距離感があるシチュエーションは。
(ひとつ屋根の下!!!!!!!)
親が再婚してたまたま義理の兄妹になったとか、親が死んでたまたま引き取られた先の子が同い年の異性とか、家が家事で燃えていっしょに住むことになったとか。
(むりむりむりむりむりむりむりりりりりぃーーーーーーーーーー!!!!!)
私は正直、壊れかかっていた。
同じ職場、同じ部署。私もラブコメ環境が整っている、そう、油断してました。
まさか、お風呂チャンスとか、着替え見ちゃうイベントとか、今日は都合よく親がいないとか、そんなハイクラスの敵がいるとは思いませんでした。
そうして、気づいたら私は中村さんの下宿先に向かってました。
誘われたらモジモジしながら初めて訪れる予定だった場所。
自分から出向いてしまいました。
一階が喫茶店でした。
カランコロンと扉に取り付けられた鐘が鳴り、入るとあの赤毛女がまたスローモーションで振り向きました。
「いらっしゃいませ」
(ふ、あいかわらず、かわいいな。もう俺の嫁をくれてやる嫁として認めてやんよ)
私はチョコレートパフェとシロノワールといなり寿司とメロンソーダの糖質高めのやけっぱちオーダーをした。なんでいなり寿司があるのか?
「あれ、もしかして市役所にお勤めの方ですか?」
赤毛女が話しかけてくる。
「え、ええ。なんでご存知なんですか?」
「いえ、なんかよく見かけますし。〈彼〉がよく話している方かなと」
(彼!!!!! そういうあなたは彼女!!!!!!!!!)
「中村さんの彼女さんでしたか」
「いえ、親戚なんです。私、杉本リリアといいます」
(いよっしゃぁーーーーーーーーーー!!!!!!!)
「そして幼馴染なんです」
(いよっしゃぁーーーーーーーーーー!!!!!!!)
幼馴染は負け確。これ常識。
「そうでしたか。いつもお世話になっています。私、フィーナといいます。中村さんの直属の部下になります」
私には余裕が戻ってきた。もう足を組み直してふんぞり返ってもいいくらい。
「いえいえ、こちらこそ。彼のことよろしくお願いします。ああ見えて、いろいろ抜けているんですよ」
(私のほうがよく知ってるマウントきたーーーっ!!)
「いえいえ、仕事ぶりは私もよく存じ上げていますし。頼りになる先輩なんです」
(くらえ、仕事でいろいろあった感じ!)
「そうなんですか。職場ではちゃんとやっているんですね。よしよし」
(くっ、母性攻撃!!!)
「フィーナさん、〈転入者〉ですよね? 」
「えっ? ……そう、そうです」
言った途端、言葉が詰まった。
「ど、どうしたんです?」
杉本さんがあわてて聞いてくる。
ちょうど、そのタイミングで別の客が来てしまった。
「あ、ごめんなさい、また後で」
私は無言でパフェとシロノワールといなり寿司を食べ始めた。
涙が、こぼれる。
鼻水をすする。
すごい早さで食べ終わると、お勘定を済ませて、店を出た。
涙が止まらなくなった。
異世界人は現地の人とは結婚ができない。
そんなばかな法律がある。
異世界市だけではなく、同盟の国家すべてで、だ。
とつぜん、転入者が増えたための暫定措置だと聞いた。
別に、結婚なんてできなくてもいい。
だけど、はじめから自分が除外されているような気分になる。
「くっ、うっうっ……」
とぼとぼと歩いていると、聞き慣れた声に呼び止められた。
「あれ、フィーナさん?」
「中村さんっ……」
「さっきリリアに聞いて、店に来てるって。もう出ちゃったんですね。っていうかどうかしました?」
(下の名前呼び!!)
しまった、本当にやっちまった。
私の異世界ネームはレスフィーナ・デルフィーナ。
略してフィーナ。上も下もない!!
「中村さん」
「はい?」
「私、井口っていいます。あっちの苗字」
「あ、そうなんですね」
「だからフィーナは下の名前です」
(そう、だから私はずっと下の名前で呼ばれていた。これでよし!!)
「はあ、え?」
「いえ、別に、なにも」
「そうですか。でも会えて良かった。渡したいものがあったんです」
「え?」
そう言うと中村さんは後ろ手に隠していたもものを差し出す。
小さな花束のブーケ。
「どうして?」
「市役所勤務1周年、ですよ。いろいろとありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
「たかだか職場の同僚に?」
「そんなことはないです。フィーナさんは特別です」
(特べちゅ!!!!!!)
頭がクラクラしてきた。やばい、しゅき。
「あと、これ」
なにかプレゼントのように包装された箱。
「な、な、な、な?」
「欲しがってた、あれです。銀のハーモニカ」
「え?」
「え?」
「は?」
「は?」
誰が欲しがってたって? 誰?
「杉本さんと、間違えてません?」
「リリアは歌は上手いけど、楽器はカスタネットすら無理だよ」
「あ?」
私も手拍子すら合わせられないんですけど。
「あれ?」
中村さんはまたなにかしらばっくれようとしている。
(まだ、なんか、ほかにもいるのかーーーーーーーーーーーい!!!!!!!)