001 ざんねんな転生
「受付番号72番の方、窓口5番までお越しください」
音声案内に呼ばれて、ひとりの女性がやってきて腰掛けた。まだ若い。
スタイルもよく、美人といってさしつかえないが、腕を組んでイライラしているようだ。
「住民登録の方ですね」
あご髭の生えた若い男がクリアファイルを片手に話しかけてきた。
ワイシャツにオレンジのネクタイ、うすーいミドリの作業着。
首からぶら下げた名札に「真心込めてサポートします、中村」と書いてある。
「お役所やんけ!」
「は?」
「ここ、異世界とちゃうんかい?」
女はドスをきかせて睨みつける。
「はい、異世界ですよ」
中村はさわやかに笑った。
「日本やんけ。市役所やんけ。公務員やんけ。どこが異世界なんじゃあぁボケぇーーっっ!!」
「それってあなたの感想ですよね」
「ひろゆきやんけ」
「まあまあ、そんなに興奮しないで。たしかに市役所なんで驚かれる方が多いんですけど、最初はここにきていただかないといけない決まりになってまして、イメージと違ってて申し訳ないんですけど」
「で、なんでウチが異世界転生せなあかんねん」
「転生ではなくて転入ですね」
「転出もしてへんわ!」
「でも申し込みされてますよね?」
「してへん!」
「またですか。こちらの手違いということにしていろんな特典を騙し取ろうと思っても、そうはいきませんよ」
「またって。ウチ、はじめてやし、しかも特典とかがもらえんのも知らんし」
「いやいや。ここは神様のいたずらやミステイクで来るところではありません。ご存知の通り、希望者多数で、お申し込みいただいても数年前から抽選制になってるんですよ」
「ご存知ないわ。お申し込みもしてへんわ! どないして申し込むねん!」
「ネットですけど」
「ネットでつながっとるんかーーい!!!」
「はい。異世界もののポータルサイトを見ていると、ものすごく邪魔なバナーが出てきたと思うんですけど」
「あれかーっ! 邪魔やのに×がちっちゃすぎて、イラってして連打してもうたー!」
「では当選者ということで」
中村はキリッとした。
「抽選せなあかんくらい人気なのに、なに詐欺広告バナーみたいなことしてんねん」
「いえいえ、そっから先はいろいろとご希望をうかがうフォームを埋めていただいて、最終的に利用規約をお読みいただき、どれが信号ですかクイズに答えていただいて、申し込むを押したうえに、帰ってこれませんがいいですか、と念を押したはずですが」
「あ。」
「では見事当選ですね。おめでとうございます」
女はデスクに顔を突っ伏した。
「取り消しでけへん? ほかにも希望者おるんやろ、譲ります」
「いまのところ戻す方法が見つかってないんですよ」
「ほんまに、ここ異世界やんな?」
「はい?」
「いや、いまんとこ知らん街の市役所にきただけな感じやし」
「ご覧になってみます?」
中村はデスクの引き出しから手鏡を取り出して女に手渡した。
「だ、誰やねん……」
「あなたですよ。阿倍野ハルカさん」
「ゔぃやあぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
※ ※ ※
阿倍野ハルカは思い出していた。
意識がゆらゆらと戻ってくると、そこはここちいいボサノヴァ的なBGMがながれ、やわらかい間接照明があたる静かな空間に横たわっている。
そしてやさしい女性の声が異世界であることを耳元で告げた。
ゆったりとしたソファに腰掛けたまま、リラックスしながらその声をきく。
ここには新しい人生と役割があり、素敵な冒険の日々が待っているという。
「あなたが世界を救うのです」
女神のような姿をした美しい女性は、ハルカの手をとり立ち上がらせる。
「さあ、おゆきなさい」
と誘い、扉を開ける。
まだやや虚な意識に眩しい白光が差し込んできた。
蛍光灯だった。
で、市役所の受付だった。
扉がガチャンッと閉まる音がする。
振り返ると「転入者用リラクゼーションルーム」というプレートがあった。
親切なことに日本語である。
※ ※ ※
「そんなにばっちりキャラメイクもできているというのに、人が悪いですね」
中村は言う。
阿倍野ハルカは放心している。いや、これもキャラ設定の名だ。
赤みの強いピンク色の髪。たしかに憧れはあったが。
もっとちゃんと考えてやればよかったのか、そもそもそういう問題なのか。
「あらためてようこそ。阿倍野さん」
「は、はい……」
力が抜けてしまった。
「それにしても、えーっと転入志望動機はハーレム……」
あの申し込みフォームか。
「い、いや、やめてっ……」
ハルカは顔から火をふいた。
「へーっそうなんだ。へーっ」
「イケメンやのに感じわるっ」
「あ、私もハーレムの一員ですか?」
「なんでそうなんねん!」
「――と、いいつつ?」
「結局ぅ? ってちゃうわ!」
さらに赤くなる。首から上はほぼ赤とピンクだ。
「すみません。おふざけはこのくらいにしましょう。最初に申し上げておきますが、ご記入いただいたご希望は、結局のところはすべてあなたの努力次第です」
中村はいいことを言った。
「ほんだら、なんで聞いたんじゃあ! みんな都合よくええことあるから来るんとちゃうんかい!」
「すみません、お人柄を知るためのアンケートでして。それから、よく誤解されるんですが、こっちの世界もじつはそんなに変わんないんですよ。とくに人間関係はどうにも」
「あーせやろな。ここが市役所な時点でお察しやわ」
「でも魔法は使えますよ」
「うそーーーーん!」
「モンスターとかも出ますよ」
「うそーーーーん!」
「冒険、いっちゃいますぅー?」
「軽いっ。思うてた冒険のはじまりとちゃうっ!」
「でも阿倍野さん、魔法はご希望欄にチェックマークなかったんで、とりあえずは使えないですね」
「やってもうたー。ハーレムしたいだけやから戦闘スキルスルーしとったー。てゆーかそんなんあるのちゃんと見てへんかったー!!」
「こちらは取り返しのつかない要素になります」
「えーー」
「あと俺つええもご本人次第です。がんばって強くなってください」
「そらそやな。てゆーか異世界人、ほかにもおるっちゅーことやんな?」
「この異世界市は特区ですので住人の6割ですね」
「多数派か。与党か。大株主かっ。ほんで市なん、やっぱり自治体なん。ってゆうかそんなにおったら異世界に来た意味ないやん。知り合いに会いそうやん」
「ですから、自分のうちだと思ってくつろいでください」
「せやから意味ないやろっ」
「人生の意味は自分で見出すものですよ」
「ええことゆうた! このイケメンが!」
「私がお好みなのはわかりましたが、その、ごめんなさい」
「フラれた! だがしかし傷つかない! なぜなら一目惚れはしない派や!」
中村はペットボトルのお茶をもってきた。落ち着けということだろう。
「それからエリアのご希望もいただいてないようなのですが?」
「エリア?」
「はい。異世界市は他国と提携していまして、そのうちまず3つのエリアを転入者の方にご案内しています。まあ一般的には剣と魔法のファンタジーあふれる冒険者エリアを希望される方がほとんどですが、学園都市、近未来サイバーパンクエリアなどもあります。どこを主な拠点にするかということですね。あと異世界市内にも団地エリア、なつかしの昭和商店街エリア、ゲーセンエリアなどがあります」
「なんやそのでたらめな取り揃えは。 テーマパークかいっ。そしてなんや団地エリアって!」
「まあ、テーマパークみたいなものですよ。複雑な歴史がありましてね。この異世界市ができてからはいろんなご意見を参考に新しいエリアがつくられたもので」
「誰の意見で団地エリアができたんや」
「団地妻です」
「現実世界でもできるやろがい!」
「いやー私、現実世界のほうはわかりませんので」
「いや、自分から見たらこっちが現実であっちが異世界やろ!……いや、ちゃう、どっちも現実でどっちも異世界? ややこしっ!」
「たしかに、そうですね。ただ、ここ〈異世界市〉という名称なので、あちらを異世界と呼ぶのは抵抗がありますね。こっちを異世界、あっちを別世界と呼びましょうか?」
「別ぅも、異ぃも、おんなじやろが!」
「じゃあ新世界?」
「それは大阪や! あーもうわけわからん!」
「まだいらしたばかりで体が慣れていないのかもしれませんね」
「頭の問題やろ! ……なんやて!? 失礼やろ!」
中村は落ち着いた表情で一人芝居を見守っていた。
「さて、阿倍野さん」
「あ? あー、ウチのことか……」
「このあとは転入ガイダンスが会議室のほうでありますので移動してください。それが終わったら本日は終了になります」